第193話『文化祭開始』
ついに到来した文化祭当日朝の空模様は、生憎と前日のにわか雨を引きずるような曇り空だった。幸先としては微妙なものであるものの、予報だと午後からは天気も快復するらしく、文化祭に参加する生徒たちはその灰色の空に負けない活気で開催直前の準備に精を出している。
そんな中で優人はと言えば、ひょんなことから後輩たちのクラスの臨時講師なんてものを務めることになったけれど、あくまで準備期間だけの限定的なもの。当日の手伝いはさすがに不要だろうし、優人にしても後輩たちの出し物にそこまで
よって、文化祭が開催される二日間は実質的な休日であり、ましてや朝から学校に行く必要など皆無である、のだが。
「……天見先輩ってマメっていうか、世話焼きっすよね」
「え?」
文化祭スタートまでもうまもなく。
大概お節介であることは自覚しつつも、調理を行う家庭科室の方で何か困ったことはないかと最終確認に顔を出してみれば、そんなやや呆れ気味の言葉で出迎えられた。
優人を見ながらもしっかり手を動かしているのは、数回ほど行われたパンケーキ講座に参加し、比較的話すようになった男子――
彼を含む数人が最初のシフトにおける調理担当らしく、家庭科室の割り当てられたテーブルでパンケーキの下準備や調理器具の確認をしている。各々淀みなく作業に勤しんでいるので優人の心配はどうやら杞憂だったらしい。
「わざわざ様子を見に来てくれたのはありがたいですけど、まさかそのためだけに朝から登校したんですか?」
「まあ、一応。雛が家を出るのに合わせたってのもあるが」
「………え、ってことは一緒に住んでるんすか? 同棲?」
「違う違う。付き合う前からたまたま家が隣同士なだけだ」
「あー、そういう接点で仲良くなったんすね」
優人と雛の馴れ初めを少なからず理解したのか、ボウルの中でパンケーキの材料を混ぜ合わせながら頷く初賀。
正確には家どころか部屋が隣、しかもお互い一人暮らしという親の目が届かない状態ではあるが、これ以上は語るまい。
「大丈夫っすよ。天見先輩がレシピまとめてくれたおかげですげー分かりやすいですし、講座以外でも割と練習したんすよ?」
ほら、と言って初賀が見せてくるボウルの中身は確かに胸を張るだけあり、材料がダマにならずに綺麗に混ざり合っている。
元より講座でも真面目に取り組んでいたのでそこまで心配はしていなかったわけで、この分なら問題なさそうだ。
ちなみにメイド喫茶のメニューだが、ドリンクはペットボトル飲料を使い捨てのプラコップに注ぐだけのお手軽路線。フードについてはパンケーキに加え、電気式のホットメーカーで作ったベビーカステラが採用されている。
元となる生地はパンケーキのをそのまま使い回しており、型に流し込むだけで作れる分、手間も幾分か楽だ。
フードがパンケーキだけだと注文が立て込んだ時に大変だろう、というのを考えてのことらしい。
ただまあ、言い切ってしまっては身も蓋もないと思うが、所詮は高校の文化祭レベルの出し物なのだ。注文が立て込むなんてことはそうそうないだろう。
「そういえば小唄が売上げトップ目指すとか息巻いてたけど、その辺りはどうなんだ?」
「そりゃやるからには一位目指したいっすよ。実際、俺らのクラスは先輩の彼女を始め綺麗どころ可愛いどころが揃ってるんで、前評判は結構いいみたいですよ?」
「だろうなあ……」
「やっぱ彼氏としては彼女がナンパされないかって不安すか?」
「……ご名答だ」
図星を突かれた優人が渋面を作ると、初賀はけらけらと可笑しそうに笑った。
「俺も衣装合わせで見ましたけど、空森さんのメイド姿めちゃくちゃ似合ってましたもんねー。先輩の前で言うのもなんですけど、あれは男なら誰でも
「分かっちゃいたけど心配だ……」
「まあまあ、安心してくださいよ。ナンパとか撮影はナシの方向で徹底しますし、教室にも裏方や受付で男手はいますから」
「そうしてもらえると俺も助かるよ」
「あ、いっそ空森さんがシフトの時だけ先輩も教室手伝います?」
「……さすがに邪魔だろ」
一瞬頷きかけた自分は内緒だ。……雛がシフトの時はしきりに教室を覗きに行くかもしれないが。
この期に及んで煮え切らない自分にやれやれと呆れていると、スピーカーから全体放送で文化祭開始の合図が流れた。
そのタイミングで優人は制服のポケットからスマホを取り出す。
少し前、シフトが最初からだという雛に『頑張れ』と送ったメッセージ。
届いていた返事はこうだ。
『いつでもお帰りをお待ちしてますよ、ご主人様』
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