第173話『予期せぬ出会いはお互い様』

「さてと、そろそろ大浴場に行ってみるか?」

「そうですね……あ、その前に売店を覗いておきませんか? お土産買いたいですから」

「おっと、そうだな。先に済ませとくか」


 そんな会話を交わしたのが約十分前のこと。ある程度の荷物整理をしてから部屋を出た優人たちは、一階にある売店フロアを訪れていた。

 二人の目当てである土産物が商品の大半を占める他、優人たちにはまだ縁遠い酒のさかな類や、温泉定番の瓶の飲料なども販売されている。そして土産物と一口に言えど、食べ物からキーホルダー、猫の置き物、果ては木刀までと種類は様々だ。


「雛は誰に買ってく?」

「お義父さんたちと、あとは小唄こうたさんたちにですね。優人さんは?」

「俺もそんなとこだな。親と友達」

木山きやまさんにはどうします?」

「あー、芽依めいさんか。なら二人で半分ずつ出して何か買うか」

「そうですね、そうしましょう」


 というわけで、まず初めに二人が住むアパートの大家である木山芽依宛てのお土産を選ぶことになり、色々とお世話にもなってることを加味して少しお高めの入浴剤のセットをチョイスした。それから一旦別れ、各々吟味を進める。


「お」


 店内中央の棚を物色すること数分、優人が目をつけたのは温泉まんじゅうの詰め合わせ。旅館の名前である『いちのせ』の焼き印が押されたもので、部屋にも同じものが用意されていたからついさっき食べたばかりだ。


 美味しかったのでこれにしようと手を伸ばすと、同時に白い手が横から伸びてきて指先が触れ合う。

 ぱちくりと優人を見つめる、金糸雀色の瞳。


「ひょっとして雛もこれ?」

「はい、さっき食べて美味しいなと思ったので……」

「俺も同じ理由で選ぼうと思った」

「ふふ、息ぴったりですね私たち。一通り見てみましたけど、量的にも値段的にもこれが一番――あれ?」


 不意に首を傾げた雛が服の上から身体を探り始めた。


「どうした?」

「……すいません、お財布忘れたみたいなので取ってきます」

「いってらっしゃい」


 恥ずかしそうに顔を赤らめた雛を苦笑混じりに送り出す。ひとまずこの場は優人が立て替えてもよかったが、それを思い付く頃には雛の背中は廊下の角に消えていた。


(とりあえず雛の分も……って)


 買う物は決まったから先に確保だけしておこうと包装紙の巻かれた箱を手に取るのだが、自分と雛の分を合わせると陳列されている数では足りない。一応周囲を見ても同じ商品は置いてないので、レジ内で作業している従業員に声をかける。


「すいません、この商品ってまだありますか? あと一つ欲しいんですけど」

「はい、少々お待ちください」


 幸い在庫の用意はあるらしく、従業員はレジ備え付けの内線電話に呼びかけるとすぐに優人へ顔を戻し、「今お持ちしますね」と言ってくれた。

 言葉通り、ほどなくして一人の従業員が優人の下を訪れる……のだが、現れた彼女・・を前に優人は目を見開く。そして対する相手もまた、優人の顔を見つめると口をぽかんと半開きにさせた。


「え……あ、天見先輩ですよね?」

一ノ瀬いちのせ、なんで……」


 商品を携えてやって来たのはまさかの知り合い。優人の一つ下の後輩にして、雛の友人である一ノ瀬麗奈れいなだ。

 なぜこんな所に彼女が、と疑問が浮かんだところで、ちょうど麗奈の持つ商品の包装紙にも記されているこの旅館の名前が目に入る。


『いちのせ』――もしや、ここは。


「なあ一ノ瀬、ひょっとしてこの旅館って……」

「あ、はい、うちの親戚がやってる旅館なんですよ。この時期は忙しいからってことで手伝いに来てて」

「あー、なるほど……」


 予想は的中だった。

 今になって思い返してみると、優人たちを部屋まで案内してくれた仲居が口にしていた『雛と同い年の姪』というのは麗奈である可能性が高い。記憶に残っている仲居と目の前にいる麗奈の顔を比べてみても、少なからず顔の作りが似ている気がする。


 わざわざ遠出までして後輩に出会すなんて、世界はなんと狭いことか。


「まさか先輩がうちに泊まりに来てるなんてびっくりですよ」

「同感だ。にしても一ノ瀬はすごいな、こんな立派な旅館で働いてるなんて」


 優人たちのような高校生には場違いな場所だというのは先ほど思ったばかりだが、こうして目の前に立つ麗奈は自然と場の雰囲気に溶け込んでいる。

 優人が目にしていたかぎりはストレートだった長い黒髪を結い上げ、身を包むのは旅館の制服である臙脂えんじ色の作務衣さむえ。仲居が着ていた着物ほど畏まったものではないようだが、美人寄りな彼女によく似合っていた。


「働いてるって言っても裏方の雑用ばかりですよ。在庫の整理とか掃除とか。メインの接客なんてハードルが高過ぎて、とてもじゃないけど出来ませんって」

「まあ、いかにも格式のある老舗の旅館って感じだもんな」

「そういうことです。それで天見先輩は? 家族で来てるんですか?」

「あー、俺は……」


 どうにも口ごもってしまう。

 雛との関係は麗奈も承知の上だから隠す必要もないのだが、わざわざ二人で旅行に来ている現場を後輩に目撃されるのは些か気恥ずかしい。

 とはいえ誤魔化したところでバレる可能性の方が高いし……などとアレコレ考えている間に、背後から聞き覚えのある足音が小走りで近付いてきた。


「すいません優人さん、お待たせ――って、れ、麗奈さん!?」

「え、雛? ……ってことは、」


 友人の姿を目の当たりにして硬直する雛をよそに、麗奈の目が優人と雛の間を行ったり来たりする。

 楽しみにしていた旅行だけにいつにも増して着飾った雛。そしてそんな雛の隣に立つのならと、服装こそラフだが髪などはしっかりセットした優人。


 両者の姿をしばし見比べていた麗奈は、


「ははあ」


 はいもうぜんぶ分かりましたー、と言わんばかりのしたり顔で頷くのだった。


「二人きりで温泉旅行ってことですか。いいですね」

「あの、麗奈さんこれは……」

「別に生徒会長だからってとやかく言うつもりないわよ。二人の場合は純粋・・異性交遊なのはよく分かってるから。むしろお邪魔して悪かったわね、雛」

「うぅ……」


 優人の隣で恥ずかしそうに俯く雛。

 確かに麗奈からは、優人たちのことを変に邪推するような雰囲気は感じられない。むしろ仲の良さに感服するような感じだ。

 しかし、だからこそからかいの視線が気恥ずかしい。雛のみならず、年上であるはずの優人ですら目を逸らして頬を掻いてしまうぐらいだ。


 この空気どうしたものか、そう思った頃。


「麗奈ー、そろそろ――……あれ、麗奈の知り合いかい?」


 従業員用出入り口から出てきた一人の男性が優人たちに近付いてくる。

 見たところ優人より二つか三つは年上の彼。物腰には柔らかさがあり、麗奈とは色違いの濃紺の作務衣の上には穏やかな顔立ちがある。そんな彼はこちらの様子を見ると、接客スマイルのまま少しだけ首を傾げた。

 そして、麗奈のすぐ隣に立つ。


「どうも。一ノ瀬と同じ高校の三年の天見です。彼女が二年の、」

「空森雛です。麗奈さんのクラスメイトです」

「あー、どうもどうも。僕は麗奈の従兄いとこやなぎしんって言います。ご利用ありがとうございます。お二人で宿泊に来られたんですか?」

「はい。そしたら偶然一ノ瀬に出会して……まさかここで働いてるなんて」

「あはは、そうなんですか。それはまた偶然でしたね」


 初対面かつ年上の相手ではあるが、真の柔らかい物腰のおかげで話し辛さは感じない。彼の方もあくまで客と従業員の立場なので、こちらが年下と分かっても敬語は崩さないようだが、浮かべる笑みには親しみが含まれている。


 ――ところで、そんな和気藹々わきあいあいな空気の中、


「…………」


 急に黙りこくった麗奈は、さて一体どうしたのだろうか。

 優人たちをからかっていた笑みは鳴りを潜め、一転して唇を真一文字に引き結ぶ麗奈。なぜかちらちらと落ち着かない視線は真に向けられており、その手はしきりに作務衣の袖をいじっている。


 何かをやり過ごそうとしている、もしくは悟られまいとしている。


(うーん……)


 真がこの場に現れてからの態度の急変。ついでに言えばただの親戚関係にしては近いように思える麗奈と真の距離感。

 それから導き出される答えは、もちろん確証なんてないけれど、たぶん。


 会って早々は不躾かもと思いつつ、優人は思い切って訊いてみることにした。


「えっと、柳さん?」

「うん?」

「間違ってたらすいません。一ノ瀬に彼氏がいるって前に聞いたことがあるんですけど、もしかして……」

「ああ、それ僕です」


 本人認定は早かった。そして分かりやすく麗奈の肩も跳ねたので、彼女が隠そうとしていた事実もこれで間違いない。

 つまりこの後輩、こっちのことをお熱くていいですねーみたいに揶揄してくれやがっておきながら、


「彼氏さんと一緒にお仕事ですか。いいですね」


 意趣返しと言わんばかりの雛の反撃に麗奈の頬がかあっと赤く染まった。無論、先ほどの麗奈と同様、雛の一撃には微笑ましいものが多分に含まれている。

 恋人と一緒の現場を見られて気恥ずかしいのは彼女も一緒のようだ。


「これはちがっ、私は叔母さんに頼まれたから仕方なく……」

「え、そうだったの? あれ、でも母さんの話だと麗奈が自分からいっだい!?」

「真にいはちょっと黙ってて……!」

「あ、麗奈さんは真兄って呼んでるんですね」

「~~っ! ほ、ほら、あれ、私たちまだ仕事中だから! はい戻るすぐ戻る!」

「いや麗奈ちょっと待って、それなんだけど……!」


 真の背中をぐいぐいと強引に押して去ろうとする麗奈に、何やら脇腹を押さえる真は慌てて振り返る。


「時間は頃合いだし、仕事も一段落したから、僕らもう上がっていいよってことを伝えに来たんだけど……」


 そういえば最初に来た時も、真は麗奈に何かを言いかけていたっけ。

 唯一の合理的逃げ道を封じられた麗奈は、しばしその場で打ち震えるのであった。

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