第163話『魔法使いに憧れた(後編)』
「捨てられたって……一口も食べずにですか?」
「そうだよ、丸ごと全部だ」
「そんな……」
「まあ、さすがに目の前で捨てられたってわけじゃなかったけどな」
優人は一息ついて顔を上げ、澄んだ夜空を見上げながらその時の光景を思い起こす。
「渡した時は帰ってから食べるって受け取ってくれたよ。でも、作った側としちゃ早く感想を聞きたいもんだろ? もしかしたら俺がいると逆に食べにくいのかなとも思ったからさ、その時は用事があるって適当に嘘ついて、俺だけ先に帰った振りをしてみた。で、陰からあいつらのことをこっそり見てたわけ」
雲行きが怪しくなったのは、優人がその場から離れて五分ぐらい経った頃だったか。
優人が作ったクッキーを片手に歩き出した彼らは見るからに拍子抜けといった雰囲気で、袋の包みを開けようとする素振りすら見受けられない。あまつさえキャッチボールのように投げ合いすら始めるのだから、隠れながら後を
そして、それでもと信じていたなけなしの願いすら、最後にはあっけなく放り投げられてしまったのだ。
「しばらくして、ぶらぶらと歩き出したあいつらが河川敷近くの橋に通りかかった時、リーダー格だった奴が河に投げ捨てた。他の奴らも後を追いかけるようにどんどん投げ捨てて……まあ、そんな感じだ」
「……なんで、そんなひどいことを。優人さんがせっかく作ったのに」
「あいつらが欲しかったのは、プロが作ったちゃんとしたお菓子なわけだからな。そりゃ素人同然の俺のなんかいらなかっただろ」
「だからって――!」
「別にさ、あいつらのことを恨んでるとかじゃないんだよ」
まるで自分のことのように怒ってくれる心優しい雛の憤りに感謝しつつ、
もちろん当初は悲しくて泣きじゃくった。
事情を知った両親、最初にお菓子を持たせた安奈からは特に優しく労れても、彼らに対して憎しみすら覚えた時期もあった。
けれど、きっと元を正せば捨てた彼らが悪いわけでも、安奈が悪いわけでもなく、自分以外の何かに頼ることでしか人に歩み寄れなかった
あの頃に比べれば物事を達観できるようになれたからこそ、今はそう思える。
「そもそも母さんの力をダシにしたのは俺だ。自分からそんな役回りで近付いといて、あいつらだけを悪く言うのは違うと思う」
それに、何も全員が全員とも捨てるつもりだったわけでもないだろう。集団故の同調圧力といったものがあっただろうし、渋谷あたりはその良い例だ。
あんな風に今も悔やまれてしまうと、逆に優人の方が申し訳なくなってくる。
「……優人さんはそれでいいんですか?」
「いいも何も、今さら過去は変えらんないだろ。いやホント、俺にとってはもう納得して終わった出来事なんだよ」
雛を心配させまいとあえて軽い調子で言ってみせたが、それ自体は優人の本心でもある。
自分なりに納得のいく結論は出せた。
だからトラウマなんて言うほど根深い傷ではなく、時々思い出して、少しだけ沈んだ気持ちになってしまう程度のかさぶたのような過去だ。
作ることから逃げ出すほどでも、作ったものを人に振る舞えなくなるほどでもない。
――ただ、
「俺は、母さんみたいにはなれない」
ああ、くそっ、これ以上は言うつもりなんてなかったのに。
中途半端に開いた心のダムは今さら閉じてくれそうになくて、喉の奥から勝手に言葉が絞り出された。
「安奈さんのような道に進む気がないのは、今の話があったからなんですね?」
「……ああ、そうだ」
聞き逃してはくれなかった雛からの問いかけに優人は諦めて肯定する。
「単純に怖くなったんだよ、本気になることが。本気になって、また何かでつまずいたらと思うと怖い」
安奈に限らず、その道を極めて成功を収めている人たちは輝かしい功績の裏に並々ならぬ努力がある。順風満帆などではなく、それまで歩んできた道のりの節目には何かしらの壁があったはずだ。
例えば才能の限界だったり、誰かと比べられたり、周囲からの心ない言葉だったり、とにかく色々と。
小さい頃のたった一つの出来事で胸が張り裂けそうなくらい苦しんだ優人は、またそれに行き当たるかもしれないことが怖いのだ。その痛みはきっと、本気になればなるほど、より色濃く辛いものになるから。
「だから、俺にとっては趣味で留めとくぐらいでいい。その程度がちょうどいいんだよ」
「…………」
我ながら情けない締めくくりを終え、その場の静寂が訪れる。
気になってスマホで時間を確認すると、花火が始まるまで残すところあと五分を切っていた。
残っていたチョコバナナを一息で食べ切ると、花火が打ち上がる夜空の方へと目を向け、場を仕切り直すようにパンと軽く叩く。
「以上でつまんない話は終わり。聞いてくれてありがとな、雛。そろそろ花火も始まるからそっちを楽しもう」
こんな所にまで来た本来の目的はそれだ。辛気くさい話を聞かせた後にフラットな気持ちで鑑賞に臨むことは難しいかもしれないが、その分は自分が場を盛り上げるように努めよう。
「……雛?」
雛が座るためのベンチのスペースは空けてあるのに、当の彼女がいつまで経っても座りにこない。
不思議に思い振り返ろうとした、それよりも早く――。
「優人さん」
とても優しい声音と共に、肩口から伸びてきた二本の腕が優人の首にやんわりと巻き付く。そのまま上半身を後ろに引かれたかと思えば、後頭部が得も言われぬ柔らかさに包まれた。
雛の胸に抱き寄せられている。そう自覚した瞬間、雛はこう囁いた。
「優人さんが私に初めて食べさせてくれたのも、そういえばクッキーでしたよね」
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