第162話『魔法使いに憧れた(前編)』

 小さかった頃の優人は人付き合いというものが苦手だった。まあ、今だってお世辞にも得意とは言い難いのだが、輪にかけてだ。


 そしてこの手の話になると、決まって厳太郎が「俺の目つきの悪さが遺伝したせいで……」と申し訳なさそうに苦い顔をする。確かに原因の一端ではあるかもしれないけれど、所詮それは文字通りの端っこ、原因の大部分では決してない。

 結局、そもそもの優人の気性が内向的だったのが根本的な問題だ。


 外で遊ぶよりも家にいる方が落ち着く。好きなことは当時からすでにパティシエとして有名になり始めていた母と一緒にお菓子を作ることで、スポーツやゲームが好きな同年代の男子とは趣味嗜好が合わない。


 そんな内気で、父親譲りの目つきに反して女々しさすらあったのが当時の優人。例えばいじめのターゲットにされるほど悪い環境ではなかったけど、胸を張って友達だと言えるほどの相手なんてほとんどいなかった。


 そして、だからこそ人一倍友達という存在が欲しかった。小学校の同じクラスで、一人の男子を中心にしているグループに自分も入れたらと願った。

 今にして思えば、声が大きくて強引なところが目立つその男子の下に集まるグループとは最初から反りが合うわけもなかったのだが、あの頃の優人にはそれがたくましく映るほどだった。


 あのグループに混ざりたい。でもその手段が分からなければきっかけすらもなく、ただ外側から眺めることしかできない日々が続く。

 それを終わらせてくれたのは、きっかけを与えてくれたのは、母である安奈だった。


 ある日、安奈が学校へ向かう優人に「こっそりね」と持たせてくれたのは、安奈の

店で販売しているお菓子たち。綺麗に個包装されたそれらをきっかけに、彼らに話しかけてみたらという親心からの提案であった。


 ――効果は覿面てきめんだった。


 そもそも、優人の母がプロのパティシエだという事実はすでにクラス中に知れ渡っていた。以前に『父、または母の仕事を調べよう』という社会の授業があり、優人はそこで安奈のことを発表していたからだ。


 まだ大して高額な小遣いを与えられない小学生にとって、優人が持ち寄るちょっとお高いお菓子はなかなか手の届かない代物。それに無料タダでありつけるのだから、少なくとも表面上・・・は優人を拒むことなどしないだろう。


 つまるところは優人は、金づるではなく、いわば菓子・・づるとして彼らに取り入ったわけだ。

 当時を冷静に振り返ることのできる今なら、それがいかに間違った距離の詰め方であるかは理解できる。けれど優人にとっては、表向きだったとはいえ彼らが自分を仲間として迎え入れてくれた――その事実だけが真実だった。


 それからというもの、彼らと行動を共にする時にお菓子を求められ、持っていくことが優人の役回り。さすがに内緒で学校にまで持ち込んだのは最初の一回だけでも、放課後や休日に遊ぶ時には大抵そうだ。


 何度もお菓子を持っていく状況をきっと安奈は憂慮ゆうりょしていたと思うけれど、最初にそれを提案したのが他ならぬ自分自身であること、何より楽しそうな優人の手前では断りにくい面があったのだろう。


 実際、楽しかった。

 優人が持ってきたお菓子を受け取った彼らが「次も頼むな」と笑ってくれると、そこに自分の居場所があるみたいで嬉しくなった。

 優人と彼らを繋げ、笑い合える手助けをしてくれた母のお菓子は、とてもすごいものなんだと憧れた。


 それを作り出した母は、まさしくそう――。








「母さんのこと、魔法使いみたいだって思ったんだ」

「魔法使い、ですか?」


 背中合わせのまま、聞き返した雛の言葉に優人は頷く。


「人と人を繋いで、食べた人をみんな笑顔にさせる。そんな魔法のようなものを作り出せるすごい人。だからその頃は……俺も将来は母さんみたいなパティシエになりたいって思ってたよ」


 思ってた。今はもう抱いてない過去形の夢。

 本気でなりたかったし、根拠も無くなれると信じてさえいた。少しずつだけれど、そのための勉強を自分なりにも重ねるようになっていた。


 ――だからその日、優人はある行動を起こしたのだ。


「あいつらと遊ぶようになってしばらくした頃、休みに皆で集まろうっていう日があった。今までだったら、また母さんから店のお菓子をもらってたところなんだけど……その日は俺、母さんに自分で作ったのを持ってくって言ったんだよ」


 いくら安奈が自分の店から持ってくるものとはいえ、本来ならお金を払うべきである商品であることに代わりはない。原価や利益率なんて知るわけもなかったが、回数を重ねることがよくないというのは薄々感じていた。


「材料だって全部、ちょっとずつ貯めてた自分の小遣いで買い揃えた。そばで見てる母さんからアドバイスはもらいながらだったけど、初めて自分の力だけで完成させたんだ。クッキーだよ」

「それって、もしかして昨日の……」

「ああ、裏返しになってたアルバムの写真がその時のだ」


 初めて優人が完成させた瞬間を切り取ったのがあの一枚だ。確か、いつの間にか安奈と一緒に見守っていた厳太郎が撮ってくれたのだったか。


「形はちょっと崩れたところもあったけどさ、味は良かったはずなんだよ。もちろん味見して確かめたし、母さんたちからもお墨付きはもらえた」

「じゃあ、集まりにはそのクッキーを持っていったんですよね?」

「ああ、持ってた。……そしたら、さ……」

「……美味しくないって、言われちゃったんですか?」


 徐々に沈んでいく優人の言葉尻から先を察したのか、雛が躊躇いがちに口を挟む。

 優人は顔を伏せ、口の端を歪に吊り上げながら、首を横に振った。


 それならまだよかったかもしれない。

 自分の力が足りなかっただけだと、そう思えたから。


「食べてもらえなかったよ。――全部、捨てられちまった」

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