第160話『彼女を支えてこそ彼氏』

 ひとまずの腹ごしらえは終えたものの、花火が打ち上がるにはまだ余裕がある。胃袋の満たされ具合を考えればこのまま食べ歩きでもよさそうだが、何も食事だけが祭りの楽しみではなく、腹ごなしにぶらりと歩いたところで見つけたのは射的の屋台だった。

 銃口にコルクの弾を詰めて撃ち出す昔ながらのタイプであり、夏祭りという激戦区の中でも大いに賑わいを見せている。


「雛はやり方知ってるか?」

「お正月のお祭りでも見かけたことはあるので大体は。でも初めてなので、まずはお手本をお願いしますね?」

「はいよ」


 からかいの色を帯びた雛の笑顔に促され、優人は一歩前に進み出る。

 銃の空きは一丁、雛はけんに徹するということなのでまずは優人が先だ。

 手本を頼まれたからには無様な真似は見せられないなあ、と若干緊張しつつ、頭にハチマキを巻いた気の良さそうな男店主から代金と引き替えに五発分のコルクを受け取る。


「よっと」


 コルクの乗った小皿を台に置き、優人は銃を手にする。

 さて、雛には「はいよ」なんて軽い調子で受け答えてしまったわけだが、射的なんて両親と一緒に来た小さい頃の祭り以来だ。

 あの頃は大きく、持つだけでも一苦労だったコルクの小銃が思ったよりも軽く感じる。それこそ撃つだけなら片手でもできそうなぐらいだ。


 銃側面のスライドを引き、銃口にコルクを装填。台に両肘をついて姿勢を安定させると、視線の高さのやや上に位置する駄菓子の小箱に狙いを定める。

 棚に並ぶ景品の中には、無地の包装紙が巻かれた『当たってからのお楽しみ!』と書かれた興味をそそらせるものもあるけれど、雛の手前景品の一つも獲得できないと格好がつかないから簡単そうなもの選んだ。


 というか、手本を抜きにしても単純に良い格好を見せたい欲が湧いてきており、優人は気を引き締めて引き金に指を添える。たかが遊び、されど遊びなのだ。

 ぱんっ、と軽快な発射音を残して撃ち出されたコルクは狙いよりも下に逸れ、棚に着弾して力無く地面へ落ちた。


「やっぱり難しいんですねえ……」

「まあ見てろって」


 雛の呟きにはあえて余裕を見せつけると、そのまま次弾を装填する。

 一発目はハズレになってしまったが、少なくとも横方向に関してはズレがなかったと分かっただけ収穫だ。あとは先ほどよりも少しだけ銃口を持ち上げて、ぱんっ。


 目当ての駄菓子が倒れた瞬間、すぐ隣で「わ!」と歓声が上がる。

 思わず口元が緩みそうなその声に後押しされて射的を続けた結果、最終的な獲得景品数は二つ。命中率こそ半分にも届かなかったが久しぶりにしては上々の成果であり、お手本としても役目は十分に果たせただろう。


「と、まあこんな感じだ。……雛?」

「あ、はい……べ、勉強になりました」


 銃を置いて隣に向き直ると、なぜかほのかに頬を赤く染めた雛が目を泳がせる。

 今の流れでそんな反応をされる要素があっただろうかと首を傾げれば、優人が獲得した景品を持ってきた店主から笑いながら肩を叩かれた。


「色男だなあ兄ちゃん。彼女さん、あんたに見惚れてたぞ」

「え」


 思わぬ方向からの暴露にびくんと跳ねる雛の両肩。そして頬の赤みはさらに濃さを増し、雛の唇はあわあわと開いては閉じてを繰り返す。


「……そうなのか?」

「ち、違っ……くは、ないです、うぅ……」


 抵抗はほんの一瞬。今の自分の慌てようが動かぬ証拠であることは、雛自身も理解したのだろう。


「なんと言いますか、優人さんの真剣な横顔がカッコよくて、つい……」

「お、おう、そうか」


 たどたどしく伝えられた賞賛のせいで今度は優人の方が熱を持ち、たまらず誤魔化すように熱くなった頬を指でかく。

 たかが遊びに本気になってしまったことを呆れられるどころか、こうして好意的に見てもらえるとは。恋人故に美化されてる部分もあるだろうけれど、好きな女性からカッコいいと評してもらえるのは、男として非常に嬉しくある。


「あっはっは! こんな可愛い子からそう言ってもらえるなんて、男冥利に尽きるってもんだなあ兄ちゃん」

「うぅ……あんまりからかわないでください……。次、私お願いします」

「おっと悪い悪い。一発サービスするからそれで勘弁な?」


 雛が差し出した代金と引き替えに合計六発のコルクが彼女の手元へと献上される。雛の方もそれで手打ちとしたのか、一度緩いため息をつくと優人が使っていた銃を手にする。


「やり方は大丈夫そうか?」

「はい、しっかり見させてもらったので」

「みたいだしな」

「優人さん」

「ハイ」


 ちょっとだけ悪戯心が湧いて話を蒸し返すと、金糸雀色の瞳にすっと剣呑けんのんな光が差す。手にした銃の照準こそ向けられはしないが、視線の圧だけならそれと似たようなものである。


 大人しく胸の前でホールドアップして優人が降参の意を示せば、雛は優人の撃ち方にならうように銃を構えた。見様見真似ではあるが意外と様になっているし、美少女が真剣な顔で銃を構えている光景には独特の良さがある。


 そうして優人が見守る中、雛の人生初射的が始まったわけだが、


「……当たりません」


 本来なら最後となる五発目もあえなく外れに終わったところで雛がぽつりと漏らした言葉は、悲しさよりも悔しさに比重が置かれたような声音であった。

 微かに膨らんだ頬からは雛の不満が伝わってくるようで、優人、そして接客の合間に雛の様子を見物していたらしい店主は揃って苦笑いを浮かべるしかない。


「まあ、初めてなんだからそういうことも――」

「見て見てお母さん、オレ当たったー!」

「まあ、初めてなのにすごいわねえ」

「へへっ、意外とカンタンだよ!」


 やめてくれ名も知らぬ少年、その無邪気さは雛に効く。


「……むぅぅ」


 背後からの歓声に優人の口がひくりと引きつる中、悲しいことにばっちりと聞こえていた雛の頬がさらに膨らむ。

 白くて柔らかそうだから餅みたいとかこういうところは結構子供っぽいよなあとか思ってしまいながらも、優人は腕組みをして雛の射的を振り返った。


 やはり構え自体はちゃんとしているし、一度雛の後ろに回って見た時は狙いだって悪くなかった。撃ち出されたコルクが比較的目標の上を通過することが多かった辺り、引き金を引く時に銃口が持ち上がってしまうのが原因だろう。


 雛が狙うのは、包装紙で封がされた長方形のシークレット品。机の片隅に置ける小物サイズのそれは駄菓子より難易度が高そうだが、上手く頭の方に当たれば一発でも倒すことはできるはずだ。


(俺が代わりに、ってのはちょっと違うだろうしな)


 次の一発がラストチャンス。

 あくまで雛が主体になることを念頭に置きつつ、優人は助け船を出すことにした。


「雛、さっきと同じように構えてくれるか」

「はい……?」


 同じだと結果も変わらないのでは、と眉を寄せるも素直に従ってくれる雛。

 周囲の目がある中でやるには気恥ずかしいことだという自覚はあるが、これも雛を助けるだめだと割り切り、優人は背中から華奢な身体にそっと覆い被さった。


「ふえ、優人さん……!?」

「撃つ瞬間に銃の先がブレるのが原因なんだよ、たぶん。狙いは合わせたか?」

「は、はいっ、大丈夫かと……」

「よし。あとは俺がしっかり支えとくから、雛のタイミングで引き金を引いてくれ。ゆっくりでいいぞ」

「――はいっ」


 引き金に添えられた右の人差し指の邪魔にはならないよう、優人は雛の両手に自分のそれを重ね、銃が動かないように力強く雛を支える。雛の返事こそ上擦ったものではあったが、次第に彼女の呼吸も落ち着き、不思議と優人の呼吸とリズムを合わせるように調子を整えていった。


 やがて、二人のそれが完全に一致したタイミングで――ぱんっ。

 真っ直ぐに撃ち出されたコルクは狙った見事景品の頭に当たり、地面に敷かれたクッションへと落ちた。


「あ、当たった、当たりましたよ優人さんっ!」

「ああ、やったな雛! 狙い通りだ」

「おめでとさん。こいつは二人の共同作業の賜物だな」


 含みを持たせた『共同作業』という店主からの言葉に雛の照れがぶり返す。気付けば、当たり前と言えば当たり前だが優人たちは他の客からの注目を集めており、覚悟していたはずの優人でも注がれる視線に居心地が悪くなる。

 微笑ましそうにという意味合いが強そうなのが救いではあるが、優人以上に恥ずかしがって縮こまりそうな雛を連れ出す名目も含め、優人は「色々とお騒がせしました」と店主に詫びを入れ、景品を貰ってその場を後にした。


 射的の屋台から十分に離れたところで、ようやく一息つく。


「……あの、ありがとうございました」

「最後の最後でゲットできて良かったな」

「えへへ、優人さんのおかげですよ」

「どういたしまして。ところで中身は何だったんだ?」

「あ、そういえば……写真立てでしょうか、これ」


 丁寧に解かれた包装紙の中から入っていたのは綺麗な木目の一品だ。枠には花の模様が彫り込まれていて品もある。


「うーん、生憎と私、写真の持ち合わせはないんですよねえ……」

「言われてみれば俺もだな。俺らの世代だと基本データ保存だし」

「……安奈さんたちへのちょっとしたお土産にするのはダメでしょうか?」

「まあ、気に入りそうなデザインだとは思うけど雛はいいのか?」

「はい、結果よりも過程というやつです。あ、でも、せっかく優人さんが手伝ってくれたのに……!」

「いいっていいって。雛が取ったんだから雛の好きにしろよ」


 何よりも雛に楽しんでもらうことが第一だったのだから、本人が満足しているのならそれで構わない。

 ぽんぽんと優しく頭を叩きながらの言葉に、雛の瞳はくすぐったそうに細まった。


「さてと、時間も時間だしそろそろ移動するか」

「そうですね。あ、その前にあっちで見かけたチョコバナナの屋台に寄りたいです」

「おお、それいいな」


 甘い物を食べながらに花火鑑賞というのも悪くない。

 雛を連れて向かった屋台は花火直前ということもあって並ぶ人も少なく、すぐに優人たちの番がやってくる。


 買うために財布から小銭を取り出そうとする、その矢先のことだった。


「……天見?」


 屋台の店員から、なぜか呼ばれた自分の名字。

 手を止めて視線を上げた先にいたのは、昔は一時期一緒に遊ぶこともあった懐かしい顔。


「……渋谷」


 胸の奥のかさぶたが、じゅくりと、痛んだ。

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