第159話『人の錯覚』
「はふっ、はふっ」
「ゆっくり食べろよー」
ほっそりとした顎を上向かせ、口に含んだたこ焼きを冷ますため必死に熱を外へと逃がす雛。熱いたこ焼きを頬張りながらのこの光景はもはや祭りの屋台における風物詩のようなものだろう。
幸い舌を火傷するような事態にまではならなそうなので、優人はついでに買ったお好み焼きを箸で切り分けつつ恋人の様子を横目で眺めた。
なんとまあ、絵になるというかなんというか。
優人が同じことをしたらちょっと間抜けに見えるであろうその行為も、雛という美少女ならば恋人の
雛を見た人たちがそのままたこ焼きの屋台に流れてるように思えるのは……さすがに思い上がりが過ぎるだろうか。いや、さっきまで割と余裕そうだった屋台の店主が忙しそうに動き出している辺り、あながち的外れな考えではないかもしれない。
屋台の繁盛を大変だなあとまさしく他人事のように捉えつつ、優人は一口大にしたお好み焼きを口の中へ送り込む。ソースがたっぷりかかった濃いめの味付けだが思いの外ちょうどよい。
優人が二口目に取りかかる頃には雛も無事に冷ました一つ目のたこ焼きを食べ終えており、ご満悦な笑顔を浮かべていた。
「美味いか?」
「はい。優人さんのお好み焼きも一口頂けますか?」
「いいぞ。ほら、あーん」
「あーん」
恋人らしい触れ合いにも割と慣れたつもりだけど、たっぷりのソースに気を付けるためか、垂れた横髪を耳にかけながら口を突き出す雛にはドキリとさせられてしまう。
優人の胸の高鳴りなど露知らず、ぱくりとお好み焼きをくわえた雛は口を動かし、こちらでも花が咲くように頬を綻ばせた。
「んむっ……お好み焼きも美味しいですねえ。これぞお祭りって感じがします」
「家で作るのとは違う独特の美味さがあるよなあ」
「火力とかの違いなんでしょうか。あ、優人さんもたこ焼きも食べます?」
「じゃあ一個くれ」
「はーい、ちょっと待っててください」
雛は手にした爪楊枝をたこ焼きに突き刺し、優人の口元ではなく自分の方へと近付ける。そして、ふーふーと吹きかけられる柔らかな吐息。
先ほどの自分を振り返った結果、少し冷ました方がいいと判断したのだと思うが、周囲からちらちらと見られている状況でやられるのは中々に気恥ずかしい。たこ焼きを冷ました分の熱が優人の顔にそっくりそのまま送り込まれてる気がしてならなかった。
「中はまだ熱いと思いますから気を付けてくださいね? はい、あーん」
とんだ針のむしろを味わいつつ、言われた通り熱さに注意しながらたこ焼きを頬張る。外はカリカリ、中はトロトロ、雛に食べさせてもらったおかげで美味さも
たこ焼きとお好み焼きを平らげた後、次に目を付けたのは夏の定番であるかき氷。シロップは優人がブルーハワイ、雛がいちごをそれぞれ選択し、山盛りの氷が盛られたカップ片手に近くの空きベンチに腰を落ち着ける。
「そういえばさ」
「はい?」
スプーンストローで慎重に氷の山を切り崩しながら食べ進める中、何かの拍子に聞いたことのある話を思い出して優人は口を開いた。
「かき氷のシロップって実は色が違うだけで味は全部同じって聞いたことあるんだけど、あれって本当なのか?」
「本当らしいですよ。厳密には香料にも違いがあるらしいですけど、あくまで色と香りだけで変化をつけてるみたいですね」
「……信じられん。雛、ちょっと一口もらっていいか?」
「どうぞ」
苦笑しながらも快く了承してくれた雛のカップから、いちごのシロップがかかったかき氷を頂いて口に含む。
あくまで風味と言えど舌先に感じるのはいちごの甘さであり、しっかり味を
「ふふ、納得できないって顔してます」
「だってなあ」
こちらの顔を覗き込んでくすくすと鈴の音を鳴らす雛に、優人はこれみよがしに首を捻った。
プロのパティシエを親に持ち、同年代に比べたら料理分野に精通している優人なのだから、人の味覚には視覚や嗅覚も密接に関わっているというのは理解している。目隠しして鼻をふさいだ状態で物を食べると、人は自分が何を食べているのかろくに判別できないという事例だって知っている。
しかし、そうだとしても赤のいちごと青のブルーハワイ、この二つが全く同じだと言われてもにわかには信じられなかった。
「人の錯覚ってやつか。そんな簡単に変わるもんなのかな」
「まあ、腑に落ちない気持ちは分かりますけどね。でも私は、人の感じ方って意識一つでどうにでも変わると思いますよ」
「へえ、なんか自信ありげ」
「ええ。そうですね……例えば優人さん、このいちご味を私に食べさせてみてください」
「いいけど……?」
さっきまでと同じ味を食べたところで何が変わるのか、と訝しみつつも雛のカップから
自身の名前通りに雛鳥のような愛らしさで目を閉じて味わい、ややあってから雛は柔らかな光をたたえる金糸雀の瞳を覗かせて「うん」と頷いた。
「やっぱり違います」
「何が?」
「自分で食べるより優人さんに食べさせてもらった方が美味しい、ということですよ」
はっきりとそう言ってのけた雛は優人を見つめると、頬を淡く染めてふにゃりと照れくさそうに笑う。――なるほど、これは一本取られたかもしれない。
身を以て分かりやすい例を示してくれた雛に微笑むと、不思議と美味しく感じられるようになるその錯覚とやらを、今度は優人が味あわせてもらうのだった。
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