第154話『馴れ初め』

「あら、こっちへ来てどうしたの新婚さん?」

「雛があとは任せてくれってさ」


 もはや突っ込むだけ無駄だ。新婚発言はあえてスルーし、優人は両親が座っているソファから見て斜め左にあるクッションの上で胡座をかいた。

 リビングのテレビに映っているのは両親が見る覚えがあまりなかった野球中継な辺り、やはり興味の矛先はこちらへ向いていたらしい。現に優人が座るなり、二人の視線は揃って優人の方へと注がれた。


「ちょうどいいわ。せっかくだし二人の馴れ初めを訊きたいと思ってたのよ」

「馴れ初め?」

「そうそう。私たちが芽依ちゃんから聞いてるのって二人がある程度親しくなってからのことだから、そもそも何がきっかけで知り合ったのかは知らないじゃない」

「ああ、そうなのか」


 去年のクリスマスに直接顔を合わせる前から、安奈は優人たちが住むアパートの大家――木山きやま芽依めい経由で雛のことを知っていた。だが今の口振りから察するに、雛が優人の隣部屋に引っ越してきた当時のことを詳細には語られていないだろう。

 そもそもが雛の家出というプライバシーに関わる事情から始まったことでもあるので、芽依の方で不要な情報は伏せてくれたのかもしれない。


 変わらず夕食の準備に集中している雛を窺う。

 一応ここに来るまでの電車の中で、仮に雛の過去について明かすようなことになっても、特に隠さなくていいという許可はもらっていた。

 なんでも「おかげさまで今となっては乗り越えられた過去ですから」ということらしい。

 本人がそう言った以上は問題ないとは思うが、何から何までというのもデリカシーに欠ける気がするので、ある程度言葉を選びながら当時のことを振り返ってみた。


 雛と初めて言葉を交わしたのは、放課後に荷物持ちを手伝った時のこと。

 その流れで多少の顔見知り程度になった雛が、ある日家出した現場に偶然にも出会でくわして、ちょうど空室になっていた優人の隣部屋に案内したこと。

 義理の両親との折り合いが悪かったが故の行動ではあったが、今はそれも改善に向かっていること。


 最初は興味津々という感じで耳を傾けていた二人も話が進むにつれ、雛に対して同情的な眼差しを浮かべていた。


「……そうか。大変だったんだな、彼女は」

「ああ」


 締めくくるような厳太郎の言葉に優人は頷く。

 これからどうすればいいのかと、未来さきのことを見出せない不安で押し潰されそうになっていた雛の姿を思い返すと、未だに優人の胸は凍った手を当てられたように苦しくなる。

 結局具体的なアドバイスが与えられるわけでもなく、雛が安らげるように寄り添うことぐらいしかできない優人だが、こうして彼女が笑っていられるなら本望だ。


 真剣だけど、どこか楽しんでいるようにキッチンで動く雛を見てついそう感じていると、横合いから生温かい視線が投げかけられているのに気付く。

 主に安奈からだが、度合いは抑えめでも厳太郎も似たようなものだった。


「……なに?」

「お前は本当に彼女のことを大事にしているんだと思ってな。目を見ればよく分かる」

「うるさいそーだよそーですよ悪いか」

「誰も悪いなんて言ってないわよ、拗ねちゃってもう。でもいいわねえ、なんだか運命の出会いって感じがして素敵じゃないの」

「運命って、別に事故から命からがら救ったとかじゃあるまいし」

「ドラマチックなだけが運命じゃないわよ。……はあ、若者の恋愛話を聞いてると昔を思い出すわねえ」

「そういや母さんたちの馴れ初めはどんな感じだったんだ?」

「あ、聞きたい? 聞きたい? 実はね――」

「待て安奈、その話は」

「皆さーん、ご飯できましたよー」


 喜色満面に語りだそうとした安奈を厳太郎が制止しようとした矢先、キッチンから雛のお声がかかった。


「いいタイミングね。この際雛ちゃんも混ぜてお話しましょうか」


 さらりと立ち上がってテーブルへと向かう安奈を追いかける厳太郎は、どうにも決まりが悪そうに唇を噛んでいる。反応を見るかぎり相当気恥ずかしい話だと予想できるが、すでに馴れ初めは語った優人がわざわざ止める理由などなかった。


 雛が仕上げた夕食を続々とテーブルへと運び、本日の食卓を整えていく。

 ふっくらと仕上がった魚の煮付けや淡い湯気と香りを上らせる豚汁は見るだけでも食欲が湧いてくるようで、着席した両親は「いただきます」を唱えるとすぐさま箸とお椀を手に取った。


 示し合わせたかのように豚汁へと口を付け、同様に久しぶりの本格的な和食に顔を綻ばせる安奈と厳太郎。

 固唾を飲んでそれを見守っていた雛がひっそりと肩の力を緩めたことに気付いた優人は、両親には悟られないようにテーブルの下で雛の腰を軽く叩く。

 優人からしてみれば雛の手料理が好評を得るのは当然の結果だと捉えられるものの、当の本人は直前まで心配だったらしい。優人に叩かれた雛は照れくさそうに唇をすぼめ、豚汁のお椀を口元に寄せてその尖りを隠した。


 四人の中で最後にお椀を手にした優人も温かな豚汁を口に含む。――うん、やっぱり今日も美味しい。

 改めて両親から「美味しい」という言葉での評価を雛がたまわり、夕食の時間はゆっくりと進む。一通りの料理に舌鼓を打って一段落した頃、先ほど中断した話題が四人の間に上げられた。


「安奈さんのバイト先に、ですか?」


 ほんのりと小首を傾げた雛に「ええ」と安奈は頷く。


「厳太郎さんと出会ったのは雛ちゃんたちより遅い大学生の時なんだけど、当時私は地元の洋菓子店パティスリーで働いてたのよ」

「へえ、ならその頃から将来はパティシエになるって決めていたんですか?」

「漠然とではあったけどね。それである日、同じ大学に通ってた厳太郎さんがそのお店に一人でやって来たの。学部が違うから話したことは一度もなかったんだけど、ちょっとした噂が一人歩きしてたせいで顔と名前は知っていたわ」

「噂ってどんな?」


 優人が煮付けの身に付いた小骨を取り除きながら尋ねれば、安奈は可笑しそうに肩を揺らし、厳太郎は対照的に嘆息した。


「なにせこの高身長と目つきだから、喧嘩に明け暮れる狂犬なんて言われちゃってたりねー」

「迷惑な話だ。喧嘩など二度しかしてない」

「二度はしたのかよ……」

「売られた喧嘩だ。避けようがなかった」


 心外だと言わんばかりに厳太郎が鼻を鳴らす。

 なるほど、眉の古傷のルーツはそこにあるらしい。


「とにもかくにもそういう人だったから、お店に来た時は正直場違いでびっくりしたわ。それから二十分ぐらいはショーケースの前で何を買うか悩んでて、いざレジに来たと思ったら、この人……ふっ、ふふ……!」


 いったい何を思い出したのか、急に口元を手で抑えて肩を震わせ始める安奈。


「な、何があったんですか?」

「それがね雛ちゃん、この人ったら誰に訊かれたわけでもないのに、妹に頼まれて仕方なく買いに来たんだーって」

「え、父さんに妹がいるなんて初耳なんだけど」

「いないわよ、厳太郎さんも私も一人っ子ですもの。つまり嘘よ嘘、すっごい目を泳がせて言うもんだから一目で分かっちゃったわ」

「あれは……! お前があまりにもいぶかしげな目で見てくるからだぞ……!」

「そうだったかしら? それはごめんなさい」


 安奈は悪びれた様子もなく厳太郎に笑みを見せ、やがてその笑みが大切な思い出を懐かしむような柔らかなものへと変わっていく。


「その様子が、噂と違ってなんだか可愛くてね。始まりがそんなだったから、それからウチのお店の味を気に入った厳太郎さんが来店するるたびに、私もなんとなく目で追いかけるようになったの。ある意味一目惚れに近かったのかしらねえ……。実は甘い物好きなこの人がケーキを選んでる時の目が小さな子供みたいで、そういうのに惹かれちゃったのもあるわね」

「あ、その気持ちすごいよく分かります! 普段が鋭くてきりっとしてるだけに、その違いというか、ギャップがいいんですよね……!」

「あら雛ちゃん、あなたイケる口ね? つまり優人にもそんな一面があるのかしら?」

「はい! 優人さんの場合だと――」


 男二人を脇に盛り上がりを見せる女性陣。

 共感してくれる同志が現れたせいか、いつか独占したいと口にしていた優人の隠れた一面をも解禁し、雛は安奈との会話に花を咲かせている。

 話が弾むのは大いに結構だが、それを真横で聞かされる身としては非常に羞恥心が募る状況だ。


『…………』


 ふと、対面の厳太郎と目が合う。

 ――諦めろ。

 父の目は如実にそう語っていた。

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