第153話『大切な時間』

「雛ちゃんってば手際もいいのねえ。安心して台所を任せられる安定感があるわ」

「何でさっきからしきりに覗いてんだよ……」


 キッチンのカウンターに頬杖を突いてこちらを楽しそうに見つめる安奈に、優人はいい加減げんなりとした様子を隠さずにぼやいた。

 本日の夕食は外国から帰ってきたばかりの両親を気遣い、家の台所を借りて優人と雛の共同で作ることにした。もっとも調理の主役は、設備の整ったキッチンを前にやる気十分の雛であり、優人はそのお手伝いサポートという形なのだが。


 献立は魚の煮付けや豚汁などを始めとする純和風の構成。

 これもまた久しぶりの日本である両親に忖度そんたくした結果であり、それが見事にハマったのか「この香りがたまらないわねー」と口ずさむ安奈は待ち切れなさそうに、豚汁の鍋へと丁寧に味噌を溶かし入れている雛の手元を眺めていた。


 料理に長けた人の手際は見てるだけでも結構面白いのはまあ分かるのだが、そろそろ大人しくリビングでテレビでも見ながら待っててくれないものだろうか。

 優人のそんな無言の圧はどこ吹く風と言わんばかり、雛以上に鋭い視線には慣れっこの安奈は変わらず息子の恋人へと興味を注ぐ。


「本当に手慣れてるのね。雛ちゃん、あなた将来いいお嫁さんになるわよ」

「ありがとうございます。プロの現場で働いてる安奈さんから見たら、至らないところもあると思いますけど……」

「あら、謙遜することないわよ? 日頃から丁寧に取り組んでるからこその賜物なのはよく分かるし、むしろそのプロのお眼鏡にかなったって胸を張りなさいな。ま、プロと言っても私はあくまでお菓子専門だけど」

「きょ、恐縮です……」


 うっすらと頬を赤らめ、俯き加減になってしまう雛。料理に際して髪を後ろに束ねているので、露わになった耳にまでじわりと赤みが及んでいることがよく分かった。

 そして、それを見た安奈がさらに口角を持ち上げるのだから始末に負えない。


「ほら雛、味噌はもう冷蔵庫に入れとくぞ?」

「あ、はい。そろそろ煮付け用の調味料を用意してもらっていいですか?」

「了解。ついでに皿も用意しとく」

「お願いします」


 反応したらしたで安奈が盛り上がってしまう以上、こうなれば割り切って調理に没頭するだけだ。

 そんな考えの下に雛と力を合わせてテキパキと行程を進めていくと……カウンターから注がれる微笑ましい視線の色が余計に濃くなってきたように感じられた。


「んふふふふ」

「何だよ気味悪いな」

「あらヒドい、母親に向かってなんて言いぐさ。私はただ二人の息がぴったりだなーって思っただけよ? まさに阿吽の呼吸――いえ、仲睦まじい新婚さんって言った方がいいかしら」

「もうホント向こう行っててくれ!」


 優人の叫びはもはや悲鳴に近かった。

 さすがの安奈もからかいがしつこすぎたと判断してカウンターから離れたものの、やはり上向きの口の端を隠そうともせず、「はいはい邪魔したわね」と軽やかなステップでリビングへと退散する。


 実の母親ながらなんて困ったものだ。リビングで大人しくテレビを見ている厳太郎の落ち着きを少しは見習って――あ、違う、あっちもあっちでこっそり聞き耳を立てていただけだ。目を向けたら露骨に顔を背けやがった。


「ったく……」

「ふふ、仲が良いですよねえ」


 煮付けに使う調味料各種を小鉢でやや乱雑に混ぜ合わせていると、新婚発言でぶり返した頬の赤みを吐息と共に逃がした雛が、安奈の背中と優人を見てふと柔らかい笑みを浮かべる。


「……ちょっかい出されて弄ばれただけだと思うぞ?」

「優人さんのことを大事にしてるからこそ、色々と気になるところがあるんですよ、きっと」


 優人から受け取った調味料をフライパンで温めながら、雛は笑みを絶やさず言葉を続ける。


「さて、あとは私一人でもこなせますので、優人さんも向こうでくつろいでてください。出来たら呼びます」

「え、別にまだ手伝えるぞ? 四人分でいつもより多いんだし一人だと大変だろ」

「大丈夫ですよ。それよりも久しぶりに会えてるんですから、家族の団らんも大事にしないとです」

「…………」


 ――家族。そう言った瞬間、金糸雀色の瞳の奥に見え隠れした羨むような光は、本人にしても無意識のものだったと思う。

 言われてからすとんと腑に落ちる。

 雛にとって、家族との時間というものは人一倍に飢えて、欲しているはずのものだ。今でこそ改善には向かっているけれど、空森家はあくまで義理の家族。もちろん義理だとしてそんなの関係とは思うが、雛がこの先本物・・の両親との時間を手に入れられるのかは……たぶん、もう難しい。


 だからこそ雛は、それを持つ優人には大事にして欲しいと、心の深いところで思っているのかもしれない。

 自分の考えを押し付けようとする気はないだろうけれど、雛のそんな深層心理を感じ取ってしまえば、優人に残された選択肢なんて一つしかなかった。


「分かった。どうせまたからかわれると思うけど行ってくるよ」

「はい、いってらっしゃい」

「ただし」


 キッチンから出ようとしたろころで優人は足を止め、振り返って雛の顔を真っ直ぐに見つめる。

 不思議そうに首を傾げる彼女へしっかり、はっきりと。


「夕食の時は盛大に巻き込んでやるから、覚悟しとけよ?」


 この場において雛だけが一人、家族という枠組みからは外れている。

 けど、遠慮なんてする必要はない。決して一人にはしないし、寂しい想いなんて絶対にさせない。

 そんな一つの信念を込めて告げると、眩しそうに瞳を柔らかく細めた雛はやがて温かな表情で微笑んだ。


「お手柔らかにお願いしますね?」

「そいつは母さんたちに言ってくれ」

「それもそうですね。なら私は会話が弾むように、美味しいご飯を用意できるよう頑張ります」

「頼む」


 握り拳を作ってみせた雛に見送られ、優人は両親の下へ向かうのだった。

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