第152話『頑張り屋さんには何のその』
優人に浮かんだ些細な表情の変化を雛から追求されることはなかった。
上手く隠し通すことができたのか、それとも何かを察してあえて見逃してくれたのか。どちらにしろ確認などできないのだが。
用意したカフェオレを飲み終えて片付けまで済ませた頃、外から微かに車の停まる音が聞こえた。玄関付近の様子が見える窓に近寄ってみると、家の前に一台のタクシーがアイドリング状態で停まっている。
「ひょっとして帰ってきました?」
「みたいだな」
小さな問いかけに窓の外を指で指し示しながら答えれば、ソファに腰掛けた雛は胸に両手を当て、ゆっくりと深呼吸をし始めた。
優人の両親との対面はとうに分かったこととは言え、父である厳太郎とは完全に初対面、安奈にしても半年以上の期間が空いている。その時が直前にまで迫っても独特の緊張感は拭えないらしいが、深呼吸を二、三度を繰り返した雛はぱちりと目を開き、様子を窺っていた優人に向けて頷いた。
出向かえる心構えはできた、ということだろう。
『彼女としてのご挨拶』に向けて随分と張り切っている雛をリラックスさせるように軽く頭を一撫でし、優人は玄関へ向かう。
色々と大荷物を抱えているはずだと見当を付けて先んじて扉を開ければ、やはり予想通り、大きなスーツケースを携えた母――安奈の姿がそこにあった。
「久しぶり、それとおかえり母さん」
「あら、気が利くわね。ただいま優人」
とりあえずスーツケースを受け取って迎え入れると、久しぶりに見た母の顔は柔らかな微笑みを浮かべた。
「暑いのは国を
「お疲れさん。リビングはしっかり冷房効かせてあるぞ」
「あー、それが何より一番ありがたいわねー」
色々と用意してもらってありがと、と優人の肩を叩いた安奈は靴を拭ぐ傍ら、リビングに続く廊下、正確にはそこに佇む雛へと視線を持ち上げ、にやりとからかいの色を含んだ口元で笑う。
「雛ちゃんもありがとう。クリスマスに一度会ったきりだったのに、こうして手伝いに来てもらって助かるわ」
「どうもご無沙汰してます。私の方も安奈さんたちにはご挨拶したかったので、ちょうどいい機会でした」
「まあご挨拶だなんて。あなたたちが付き合ってるのはもう知ってるけど、そこまで畏まられるとまるで結婚の許可でも取り付けに来たみたいね」
「けっ――」
正直優人も思っていたがあえて口にはしなかった言葉を事も無げに告げられ、雛がかあっと顔を赤らめる。その可愛らしい姿はいつまでも眺めていたくあるが、優人としても気恥ずかしさが飛び火して居心地が悪くなるので早めに横槍を入れさせてもらう。
「ストップ、雛をあんまりからかわないでくれ」
「あら、フォローが早いこと。優人もしっかり彼氏を努めてるみたいね」
「母さん」
「はいはい、ごめんなさいね。色々とお話を聞かせてもらうのはあとの楽しみにとっておくわ。雛ちゃん的にはもう一人、ご挨拶したい人がいるでしょうし」
雛の隣に立った優人が目力を強めるとと、肩を竦めてあっさりと引き下がる安奈。そして意味深な視線を後ろに送ったかと思えば、まるで見計らったかのようなタイミングで開けっ放しだった玄関の扉から、安奈の言うもう一人が姿を現す。
「――ただいま」
「おかえり父さん」
初めて目にした相手の姿に、雛の肩がぴくんと驚いたように跳ねるのが分かった。
何せ優人の父――
日本人としてはかなり珍しい190超えの高身長に、それに見合ったがっしりとした肩幅。短めの黒髪の下、片方の眉を縦に切るようにうっすらと刻まれた古傷は安奈曰く『やんちゃだった頃の名残』だそうだ。
これだけでも中々に威圧感があるというのに、極めつけは優人の遺伝元にもなった鋭く尖った目つき。細身の角張ったフレームの眼鏡をかけているせいで尚更鋭さも増し、これで髪をオールバックに整えて質の良いスーツでも着せれば、裏稼業の組織のインテリ系幹部と言われても納得がいくほどだ。
実の父に対して抱くのはどうかと思う印象だが、実際にスーツを着た時に安奈が笑ってネタにしていたこともあるから仕方ない。
「俺とは一年振りになるか。……少し背が伸びたか?」
「あ、それ私も思ったわ。目線がちょっと上になった気がするのよねえ」
「そうか? 健康診断でもほとんど変わってなかったけど……」
「む、そうか、なら勘違いか。――っと、そちらが優人の?」
厳太郎の視線が雛へと流れる。
家族としてはあれでも本人なりに和らげているのが分かるが、依然として鋭さは残ったままだ。
「初めまして、優人の父の厳太郎だ。優人から話は聞いている。今日も私たちのためにこうして足を運んでもらってありがとう」
安奈と違って靴を抜いで上がらず、雛とは距離を置いたまま厳太郎が軽く頭を下げる。その光景を目の当たりにした優人の脳裏に中学時代の三者面談の時の出来事が
当時はまだ両親が日本におり、仕事の兼ね合いでその日の三者面談には厳太郎が出席した。相手が担任を持ったばかりの若い女性教諭だったのもあるけれど、教室に迎え入れた厳太郎を見てヒクリと頬を引きつらせていたものだ(もちろんすぐに体裁を整えていたが)。
成人した女性ですらそうなのだから、高校生の雛には余計に刺激が強いはず。だからこそ厳太郎は雛と距離を置いたままのファーストコンタクトに及んだのだろう。
緊張を解すために雛の背中を軽く叩こうか。そう思って上げた優人の片手は――意外なことに空を切る。
優人が行動を起こすよりも早く、自ら厳太郎の前へと進み出た雛は両手を合わせ、丁寧な所作で一礼をした。
「どうも初めまして。優人さんとお付き合いしている空森雛と申します。こちらこそご挨拶の機会を頂けてありがとうございます。今日も含めて三日ほど、お邪魔させていただきます」
微かな緊張はあれど、それ以上は特に動じることもなく雛は流暢に言葉を紡いだ。
礼を終えて上げられた顔は淑やかな笑みで彩られており、恐らく予想外だったであろうリアクションに厳太郎の方が面を食らっていた。
「えっと、厳太郎さんとお呼びすればいいでしょうか?」
「あ、ああ、それでいいのだが……君は……」
「はい……えっと、私が何か?」
「ふふふ、心配しないでいいわ。雛ちゃんに怖がられなかったから逆に戸惑ってるだけよ」
助け船を送るべきと判断したのか、どこか可笑しそうに笑う安奈が厳太郎の肩に手を置く。厳太郎がするばつの悪そうな咳払いは、安奈の指摘が真実である分かりやすい証明だ。
「なるほど、そういうことですか」
「こういう可愛いところがあるのよ、この人は。でも、正直私も驚きだわ。初対面で、しかも女の子相手に怖がられないなんて珍しいもの。ねえ?」
「ああ、いい意味で予想を裏切られたものだ」
「あはは、どうも。まあ私はもう――とっくに慣れっこですから」
そう言って優人の方を向いた雛は、得意げな笑みと共にぱちりと可愛らしいウインクを送るのだった。
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