第130話『両親』

『今言った配分で果物を盛り付ければ、色彩のバランスも良い感じに取れると思うわよ。後で写真で例を送ってあげるわ』

「ありがとう。なんか、毎回頼ってごめん」

『一人息子の頼みぐらいわけないわよ』


 六月下旬、とある休日のお昼過ぎ。一人訪れたデパートのフードコートにいる優人は購入したアイスコーヒーのカップ片手に、遠い外国の地にいる母――安奈あんなと電話をしていた。


 時差を考慮するとあちらはすでに夜。夕食や入浴が終わって一段落したであろうタイミングを見計らって連絡してみると、快く通話に応じてくれた。

 優人はとある理由から近々手の込んだケーキを作る予定があり、例によって例の如くこうして安奈にアドバイスを求めた次第である。


 そのとある理由やらはすでに安奈に話してあり、事情を把握した母は『それにしても』とからかいの色を帯びた声音で話を続ける。


『彼女の誕生日に手作りのケーキを振る舞ってあげるなんて、優人も立派に彼氏をやってるみたいねえ』

「いいだろ別に。……大事な彼女なんだし」

『褒めてるんだからそう拗ねないの。感心感心』


 馬鹿にされてると思うほど捻くれた受け取り方はしないものの、安奈のにやけ顔が目に浮かびそうな言葉に優人はやや渋面を作り、アイスコーヒーのカップから伸びたストローを軽く噛んだ。


 仕方ない、多少の恥ずかしさは必要経費だ。

 そう割り切り、優人はじきに到来する日にゆるりと想いを馳せた。


 ――来月の七月三日、その日は雛の誕生日であり、優人は彼女のために特製のケーキを作ると約束している。誕生日当日は日曜というおあつらえ向きの日取りであり、雛の生誕を祝うべく本腰を入れて取り組むつもりだ。


 午前中はデパ地下のスイーツコーナーを巡って作るにあたってのインスピレーションを貰い、ある程度出来た脳内計画の是非や、見栄えをより良くするための工夫を安奈に窺っている。

 現役パティシエの助言はさすがの一言に尽き、おかげで頭の中の完成予想図は自信作と言っていいほどの仕上がりを誇っていた。これなら雛も喜んでくれるだろう。


『優人が自分から告白して付き合い始めたって聞いた時は正直驚いたけど、うまくいってるみたいで母さん安心だわ』

「まあ、おかげさまで」


 雛との交際に踏み切ったことに関しては、告白した日の翌週には安奈に伝えていた。クリスマスやホワイトデーには世話になったことだし、そもそも雛への好意自体半ば勘付かれている節もあったので、後々知られるぐらいならいっそ白状した方がいいと思ったからだ。


 無論その時も根掘り葉掘りの質問責めに見舞われたが、こうして自分たちの関係を見守ってくれてるようでありがたい。


『さて、ケーキについてはとりあえず大丈夫そう?』

「ああ、ありがとう。……ちなみに、この際ついでに訊きたいんだけどさ、誕プレって何がいいと思う?」

『……あなたね、そういうのは自分で考えるからこそ意味があるんでしょうが』

「いやそうは言ってもさ、クリスマスにはぬいぐるみあげたし、アクセサリーは高いもんってわけじゃないけどホワイトデーにあげたしで……こう、被らないようにって考えるとどうにも選択肢が……」

『あらあら、まだ経験不足ってところかしらねえ』


 スマホを持つ手に一瞬力が入ったものの、実際経験が足りないのだからぐうの音も出なかった。

 幸いにもアドバイスはしっかりくれるらしく、電話越しに安奈の考え込むような唸り声が聞こえてくる。


『まあ、必ずしも形に残るものじゃないとってわけでもないんだし、今回は消耗品でもいいかもしれないわね。例えば化粧品……リップなんてどうかしら?』

「リップって、リップクリームのことか?」

『薬用とかじゃなくてメイク用のお洒落なものよ? 良いとこのブランド品だったりすると……一万を越える場合もあるわね』

「え゛」


 絶句した。

 それはまあ女性向けのコスメ用品の相場なんて把握はしてない優人だが、さすがに桁が違うんじゃないかとツッコミたくなる値段には開いた口が塞がらない。


「プ、プレゼントするなら、そんぐらいなもんじゃないとダメなのか……?」

『心配しなくても高校生向けのもっとお手頃な物もあるわよ。そこら辺は自分で見繕いなさいな』


 戦々恐々とした優人の内心を吹き飛ばすような安奈の言葉に胸を撫で下ろす。

 そもそも優人の生活費などを負担してくれているのは両親なのだから、どの程度の値段帯なら手が届くかもおおよそ理解してるだろう。


「でもリップって色によって種類が分かれるよな? どれが似合うとか、そこら辺のセンスには自信が無いんだけど……」

『そんなのはお店の人に訊けばいいのよ。雛ちゃんの写真ぐらいあるでしょ?』

「まあ、一応」

『それを見せて、この子に似合いそうな色はどれですかって相談すれば大丈夫よ』

「なんか恥ずかしいな、それ……」

『雛ちゃんに喜んで欲しいならそれぐらいは我慢しなさい』

「りょーかい」


 もちろん優先すべきは雛の幸せなので最終的には頷く。

 ちょうど雛が修学旅行の日に送ってもらった写真が優人のスマホには保存されている。せっかくの一枚を他人に明かすことには口惜しさがあるが、コスメ担当ならきっと女性だろうから目を瞑ろう。


「色々とありがとう。参考になったよ」

『どういたしまして。あ、ちょっと待って優人』


 とりあえず諸々の方向性は定まった。残りは安奈の言う通り優人が自分で考えることだ。

 夜遅くまで付き合わせるのも悪いので通話を終えようとすると、安奈はその気配を察したのか引き留められた。


厳太郎げんたろうさんも少し話したいらしいから代わるわね』

「父さんが?」


 そうよ、と相槌を打たれて電話越しの安奈の声が遠くなると、少し間を置いた後、静かだか明瞭と耳に届く低音の声が聞こえてくる。


『――優人』

「久しぶり父さん。去年の夏休み以来だよな?」

『ああ、今年も母さんと一緒に顔を出すつもりだ』

「そっか。予定分かったらまた教えてくれ」

『ああ』


 優人の父、天見厳太郎。名は体を表すかの如く、まさしく厳格な人だというのが息子から見た父親の印象だった。

 実直で曲がったことを嫌い、その性格にまさしくぴったりな優人以上の鋭い眼光。

 仕事はフリーランスのパティシエである安奈のスケジュール管理や仕事依頼の窓口――つまりマネージャー業のようなものであり、その徹底した仕事ぶりは安奈が『安心して任せられるわ』と太鼓判を押すほど。昔まだ日本にいた両親と一緒に暮らしていた頃、自宅でデスクワーク中の厳太郎を目撃した時は、まるで精巧な機械かのようにテキパキと仕事をこなしていた覚えがある。


 とはいえ決して冷淡な人というわけではなく、安奈と同様優人に時に厳しく、時に優しく――目つきや人柄のせいもあって少し分かりづらいかもしれないが――、愛情を持って接してくれた。

 面と向かって言うのは恥ずかしいけれど、胸を張って自慢の両親だと断言できる。


『母さんから聞いているが、最近彼女が出来たらしいな』

「いきなりぶっこんでくるなあ……。まあ、そうだけど」

『とても可愛らしいそうだな。良い子なのか?』

「ああ、俺にはもったいないぐらいに……って言ったらむしろ怒ってくれるような子だよ」

『そうか』

「……えーっと?」


 別に父との会話が苦というわけではないが、いまいち話が見えてこない状況に優人は少し戸惑う。厳太郎の性格上、ただの雑談というわけでもないだろうし。

 相手の次の言葉を待っていると、やがて聞こえてきたのは――心の底から安堵したようなため息だった。


『……よかった、本当に』

「父さん?」


 珍しく気が抜けてしまったような声音に首を捻る。


「よかったって何が?」

『……お前には、昔から俺に似た目つきのせいで嫌な思いをさせたからな。だから今、そうして幸せでいてくれることがとても嬉しい』

「別に父さんのせいじゃ――」

『それでもなんだ。俺は、あまり力にもなってやれなかった』


 厳太郎の言葉はどこまでも優人への申し訳なさに溢れているようだった。

 父にとって、当時の優人に起きたことは未だ心残りなのかもしれない。けれどそれで父を恨む気など最初から無い優人は、あえて笑い声を上げながら口を開く。


「父さんは心配性なんだよ。そりゃ俺だって、あの時のことが綺麗さっぱり忘れられたってわけじゃないけど、少なくとも父さんが謝ることなんて一個も無い」

『優人……』

「それに俺の彼女なんだけどさ……俺の目が好きだって言ってくれるんだ。力強くてかっこいいって。それ考えたら、むしろ父さんに似てよかったって思うよ」


 この間、頬を染めながらも雛がはっきりと伝えてくれた言葉は記憶に新しい。

 現金な考え方かもしれないけれど、好きな相手からそう思ってもらえるならむしろありがたいぐらいだった。


『……そうか。その子は母さんと似てるのかもしれないな』

「母さんと?」

『ああ、昔俺に同じようなことを言ってくれたよ。むしろツボに入るらしい』

「何だそりゃ」

『まったくだ』


 電話越しに二人で笑い合う。雛も安奈も物好きなものだ。


『お互い、良い女性ひとに恵まれたみたいだな。大事にするんだぞ?』

「分かってるよ」


 言われなくてもそのつもりだ。

 雛が優人を好きで尽くしてくれるように、優人もまた雛が喜んでくれるために最善を尽くす。その当面の目標が彼女へ贈るバースデーケーキだ。


 近付く雛の誕生日に向け、優人は今一度気合いを入れ直した。

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