第124話『わがままな彼女』

「もー……優人さんのばかー……」

「何で怒られてんの俺……?」


 街灯に照らされたアパートまでの帰り道、逃げるように駅から立ち去った時のまま優人の腕を掴む雛の呟きに、優人は疑問の声を上げる他なかった。


 さっきから雛はずっとこんな調子だ。

 柔らかそうな頬をふっくらと膨らませ、ぶつぶつと優人への文句をこぼし続ける。実際は文句というほど尖った言葉遣いではないし、表情からしても怒ってるというよりは何か煮え切らないものがあるといった感じだ。


 しかし、それ故に状況が掴めず、何でと理由を尋ねてみても「それは、その……」としどろもどろな態度で誤魔化されるばかり。

 優人だって雛が人生初めての彼女だから女心に精通してるわけでないけれど、それを差し引いても雛の様子には首を捻らざるをえなかった。


 ――例のあの目。


 その単語が出た瞬間に雛の様子が変わったから、優人の目つきに何かしら関係があるのだと予想まではできるが、年がら年中鋭さが変わらないであろうコレに今さら何があるとも思えない。


 結局堂々巡りに近い思考では明確な答えが出るわけでもなく、自力で答えは出せないと見切りを付けた優人は「雛」と口を開いた。

 微かに潤いの混じる金糸雀色の瞳がこちらを向く。


「すまん、俺が何かやらかしたんなら教えてもらえるとありがたいんだが……」

「…………」

「えっと、雛?」

「そうやって真剣に謝られてしまうと……。別に優人さんが悪いわけでもはありませんし……ただ、私の……」


 雛の返事はやはり要領を得ない。

 しばしうんうんと悩む素振りを見せた雛は、やがて交差点の信号で立ち止まったタイミングで絞り出すように言葉を紡ぎ始める。


「……笑わないで聞いてくれますか?」

「ああ」


 内容こそ分からないがはっきり頷き返すと、雛の頬にうっすらとした朱色が差した。


「……私、優人さんの目が好きなんです」

「え、目?」

「はい。優人さんは鋭くて怖いだけって思ってるかもしれませんけど、私にとってはきりっとしてて、力強くて、かっこいい目だなって思ってます」

「……あり、がとう」


 いきなり何の羞恥プレイだろうか。

 少し途切れつつもはっきり好きだと伝えてくれる雛に心臓をかき乱され、否が応にも鼓動が早くなる。


 まさか、そんな風に思ってもらえていたとは。

 今となってはコンプレックスというほどでもないが、多少なりとも悩みの種であった目つきを、他でもない雛から肯定してもらえたのが嬉しい。


 同時に正直な好意を伝えられることが気恥ずかしく、雛に掴まれている方とは逆の手が忙しなく閉じては開くを繰り返す。


 信号が緑に変わって再び歩き出す中、雛の言葉は続く。


「それで普段の力強い目も好きなんですけど……たまに優しい目をしてくれる時があって、それもまた、大好きなんです」

「……俺、そんな目してる時があるのか?」

「はい。無意識でしょうけど」


 正直、雛の言う優しい目というのはいまいちピンとこない。

 自身の目つきをそう評されたこと自体初めてだし、当たり前だが仮にそんな目をしていても鏡と顔を突き合わせないかぎり気付きようがない。ましてや、鏡の中の自分を相手にそんな視線を送ることもないだろう。


 だから雛の言葉には頷き難い部分があるけれども、決して冗談などでないことは分かる。頬に続いて赤くなった耳が何よりの証拠だ。


「さっき私を迎えに来てくれた時もそうでした。……たぶん私だけが見れる、優人さんの隠れた魅力。それを他の人に見られてしまったことが、何だかちょっともったいなく思えて……ただ私が、独占欲を出してしまっただけの話です」

(そういうことか)


 先ほどの慌てたような雛の態度の意味がようやく腑に落ちた。

 察するに雛を――好きな人を想う時に自分はそういう目をするのだろう。


「ごめんなさい。わがままみたいなことを言ってるのは分かってます。優人さんがどうこうできるものでもないでしょうし」

「……そうだな。雛がさっき言った通り無意識だからさ、俺の方で気を付けるっていうのはまあ難しいと思う」

「……はい」

「けどさ――」


 腕を掴む雛の手をそっと引き剥がす。途端に寂しそうな色を滲ませる雛に、今の自分なりに優しい目を心がけて笑いかけるとフリーになった手を彼女の腰に回した。


「ひゃっ」と可愛らしく小さな悲鳴が上がるのにも構わず、雛の身体を自分の方へと寄せる。

 横並びのまま密着した恋人同士の距離感。

 慣れない行為に固くなりそうな表情に気を付けながら、目を丸くして優人を見上げる雛を見つめ返す。



「俺がこういうことするのも、したいと思うのも雛だけだ。だからまあ、安心してくれ」

「……もう、優人さんは優し過ぎますよ。私のわがままをいつも受け入れてくれるんですから」

「でもそういう風に甘えてくれるのは、彼氏である俺だけってことでいいんだろ?」

「はい、もちろん。……こんな風に甘えたくなるの、優人さんだけです」

「ならいい。雛のわがままぐらい、いくらでも叶えるさ」


 くすりと柔らかな笑いが隣から聞こえた。

 心から安心したようなその声音は耳に心地良く、優人もまた口元を緩ませながら雛と共にアパートまでの道のりを歩き続ける。

 腰を抱き寄せたままでは少し歩きづらくもあるが、この幸福感を味わえるなら些細な必要経費だ。


 やがて辿り着いたお互いの部屋の前。

 雛を彼女の部屋へ入れるべく腰に回していた手をどけたのだが……どうしてか雛は優人から離れようとしない。


 代わりに、金糸雀色の瞳が真っ直ぐに優人を捉える。

 蜜のような潤いを宿し、どこか物欲しげに揺れる綺麗な輝き。

 小さな両手には力が込められ、優人の服に皺が刻まれる。


「雛?」

「……まだ、離れたくないって言ったらどうしますか?」

「……え?」


 言葉ははっきり聞こえたはずなのに、理解が、遅れて、


「……今夜はお泊まりしても、いいですか……?」


 優人が身構える間もなく、甘く切ない囁きに、胸を貫かれた。

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