第123話『心配性な彼氏』

 雛が修学旅行から帰ってくる日曜日の夕方、自宅にいる優人はソファに寝転がりながら片手でスマホを弄んでいた。

 画面に表示してあるのは性懲りもなくメッセージアプリの雛とのトーク画面だが、さすがに一昨日ほど寂しさをこじらせてはいない。


『飛行機にトラブルがあったみたいで帰るのが少し遅れます』


 数時間前に雛から送られたメッセージがこれだ。

 具体的にどういったトラブルなのかまではよく分からないが、どうやらそういうわけらしく、本来なら今ぐらいの時間には家に帰ってこれるはずの予定が後ろ倒しになっている。


 このメッセージが送られた時は割と本気でひやひやしたものの、幸いにもトラブルとやらは安全に解消されたらしく、すでに雛たち二年生は北海道から東京の空港への帰還を果たしていた。

 それは約三十分ほど前の雛からのメッセージで確認済みであり、そのまま空港で現地解散することで晴れて修学旅行の全日程を終えることとなる。


 最後はともかく、それ以外は大きなトラブルに見舞われることもなく帰ってきた恋人に安堵しつつ、ソファから身を起こした優人はベランダの窓から現在の空色に目を走らせた。


 綺麗な茜色はすでに鳴りを潜め始め、取って代わるようにダークブルーの薄闇がその領域を広げている。本格的に夏が近付くにつれて日の入り時間は遅くなっているが、雛が最寄りの駅に到着する頃にはすっかり暗くなっているはずだ。


「……よし」


 ネットの路線検索で改めて雛の到着時間を確認した後、優人はクローゼットから外行きの服を取り出し、着替えを始める。

 最寄り駅からアパートまでの道のりは極端に人通りが少ないというわけでもないのだから、優人が今から行おうとしてることは過保護な行動かもしれない。


 しかし、見目麗しい恋人がこれから一人夜道を帰ることには些か気を揉んでしまうし、修学旅行帰りで疲れた彼女の荷物持ちぐらいなら買って出られる。

 それにまあ、雛に早く会いたいということも、あるし。

 そんな気持ちに突き動かされた優人は身支度を整えると、アパートの自室から外へと繰り出した。







 雛よりも早く最寄り駅に到着することを見越しての出発ではあったが、些か早く着きすぎた。駅前にあるファーストフード店で時間を潰すことしばらく、雛の到着予想時間より十五分ほど早く店から出た優人は駅の改札が見渡せる位置にある柱に背中を預け、彼女の到来を待つ。


 すでに帰宅ラッシュの時間帯を迎えてるので出てくる人の数は多いが、ホームへ繋がる階段から現れた雛の姿は遠目からでもはっきり捉えることができた。

 雛の他、優人は知らない恐らくクラスメイトの女子が二人。

 帰る路線がたまたま同じだったのか、彼女ら三人は会話を交えながら改札を通り抜ける。


「雛」


 定期入れを仕舞ったタイミングで声をかける。

 聞き慣れた声だからか反射的にぱっと振り返り、それから予想外と言わんばかりに雛はきょとんと目を丸くさせた。


「は、え……優人さん? な、何で」

「遅くなるって言ってたからな。迎えに来た」

「そんな、わざわざそこまでしてもらわなくても……」


 こちらへ歩み寄りつつ、優人を見上げる雛の眉尻が申し訳なさそうに下がる。

 こういう反応が返ってくるだろうと思ったから迎えに来ることはあえて伝えなかったのだが、まさしく予想通りの表情と声音に笑みがこぼれる。


 彼氏彼女の関係になったとしても、こういうところは相変わらず謙虚だ。


「いいだろ別に。もう夜だし、ちょっと心配だったんだよ」

「優人さん……」


 優人を見つめる金糸雀色の瞳にじわりと親愛の色が宿り、面映ゆさと嬉しさで綻ぶ口元が綺麗な弧を描く。

 ひょっとして過保護で差し出がましい行動かと思ったが、どうやらただの杞憂で済んだらしい。


 心配してくれてありがとうございます、と薄い紅色を頬に落としながら呟く雛の肩から手荷物であるボストンバッグをやんわりと奪えば、彼女が浮かべる笑みは一段と濃くなった。


 やはり間近で見る雛の笑顔は格別だ。

 電話で話すというのもいつもと違った感じで心地良かったが、こうして面と向かって顔を見ながら話せるのが一番いい。

 改めて何事もなく帰ってきてくれたことに嬉しさが募り、自然と優人の手が雛の頭へと伸びようとする。


「ああっ!?」


 が、それよりも早く、素っ頓狂な声が横合いから突き刺さった。

 発生源は雛と一緒に改札から出てきた、二人の女子の片割れ。何故かこちら――正確には優人を見てわなわなと肩やら唇やらを震わせている。

 その態度に優人や雛が首を傾げるのはもちろん、彼女の横にいるもう一人の女子も呆気に取られた様子で口を開く。


「え、何、いきなりどうしたの?」

「いやほら今の、今のだよ! 空森さんが言ってた例のあの目!」

「――っ!?」


 例のあの目、というよく分からない単語が飛び出した瞬間、隣の雛がビクンと敏感な反応を見せた。


「例のあの目……? なあ、何のことだ雛?」

「や、えっと、あの……と、とにかく帰りましょう優人さん! もう夜遅いんですし、ほら早く!」

「お、おい雛!?」


 ぐいぐいと優人の腕を引っ張ってその場から立ち去ろうとする雛。「さようなら!」と女子たちへの別れの挨拶を忘れないところは礼儀正しい雛らしいが、だからこそ際立つ珍しいまでの強引さに戸惑いを覚える。


 結局「また学校でねー」とやけに生暖かく聞こえる呼びかけを背に受けつつ、雛に腕を抱えられた優人は駅を後にした。

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