第122話『修学旅行の夜といえば』

 草木も眠る丑三つ時――とまではいかないがそれなりの夜更け、女子六人部屋の和室に敷かれた布団の一つに身を休める雛が見つめる先では、同室の女子二人が部屋の入り口から外の廊下を窺っている様子が見て取れた。

 耳を澄ませば、彼女らの息を潜めるような小声での会話が聞こえてくる。


「……行ったよね?」

「うん、間違いなく行った。これでもう大丈夫でしょ」


 何かを確認した二人は静かに入り口を閉め、そそくさとそれぞれの布団に入り込む。

 部屋の電気はすでにオレンジ色の微かな常夜灯に切り替えてあるが、誰かが用意した持ち運べる充電式ルームライトのおかげでお互いの顔が見える程度には明るい。

 目にはよろしくないかもしれないけど、それを言い出すのは無粋というものだろう。元より自分はちょっと悪いし……、と一応寝る前なのですでにコンタクトを外した雛は代わりに着用したアンダーリムの眼鏡の位置を指で直した。


「それでは準備も整ったところで――」


 布団の並びは三人ずつの二列に別れ、頭同士を向かい合わせにする形。雛のちょうど真向かいを定位置とする小唄が音頭を取り始めると、それに合わせて他の面子が身構える。


 さて、すでに消灯時間は過ぎた今現在、ちゃんと寝ているかを見回りに来た先生のチェックをやり過ごした自分たちが、これから何を始めようとしているのかというと――


「ドキドキ! 深夜の恋バナ大会を始めたいと思いまーす!」

『イエーイ!』


 これである。

 先生方には気付かないよう、声量は落としつつもしっかり盛り上げるという小唄の実に器用なタイトルコールに室内が沸く中、こういったノリには不慣れな雛も「い、いえーい……!」とぎこちなく片手を握り拳にして上げた。


「いやー、修学旅行の夜といえばやっぱりこういうのだよねー」

「まあ定番と言えば定番よね」


 雛の右隣、友人の西村にしむら双葉ふたばがこっそり持ち込んだらしい大袋の菓子の中身を全員が取りやすいよう適当にばらまき、左隣の一ノ瀬いちのせ麗奈れいなが同意するように頷く。


 明るい雰囲気の小唄や双葉に比べるとクールな人柄が目立つ麗奈ではあるが、さっそく一口サイズのチョコレートを口に放り込んでいる辺りを見ると、彼女もテンションを上げているようだ。

 少しだけ逡巡しゅんじゅんした雛も結局小分けになったバタークッキーの一つに手を伸ばし、細い指でビニール包装を破いていく。

 夜中にお菓子、それに異を唱えるのもまた無粋だ。


「でもさ、恋バナって言ってもこの部屋の半数は彼氏持ちなんだよねえ」

「そこはほら、それならそれで後学のために色々有意義な話が訊けるってことで」


 対面側からそんな会話が聞こえた後、何やら期待の込められた三人分の眼差しが雛たちの側へと注がれる。

 雛にはもちろん優人が、そして双葉や麗奈も学外に恋人がいるとのこと。

 気付いてみれば布団の並びが恋人の有無ではっきり二分されているのは、果たして何の偶然だろうか。


「そういう意味だと私は空森さんの話が一番気になるなあ」

「一年の頃から難攻不落で有名だった空森さんにとうとう彼氏が出来たんだもんねえ」

「な、難攻不落……?」


 またしても対面側からの発言に、雛の口の端がひくりと引きつった。

 いつの間にそんなことを言われるようになっていたのか。陰口というわけでもないので別に構いはしないが、冷淡なイメージを付与するようなその四字熟語には些か首を捻らざるをえない。


 確かに、優人と知り合う前は色々な事情から色恋に興味を見出せなかったし、好きになってからは身も蓋もない言い方をすれば彼以外は恋愛対象として眼中になかった。

 しかし、数々の告白をきっぱり断ってきた経験こそあれど、普段の生活において優人以外の異性にそう冷たい対応をしたつもりもないはずだが……。


「そんな風に思われていたんですか、私って……」

「いやさ、ひなりんって基本的に礼儀正しくて人当たりもいいでしょ? だから男子もつい勘違いしちゃうんだけど、いざ告白してみたら脈無しでがっくりー、みたいな」

「別に雛が悪いってわけでもないでしょうけどね」

「な、なるほど……」


 双葉からの補足説明、そして麗奈からのフォローに神妙に頷く。

 優人というこれから先もずっと共に歩んでいきたいパートナーができたわけだし、今後の身の振り方にはもう少し気を付けた方がいいかもしれない。


「心配しなくても学内で言い寄る男はもう出てこないんじゃないかな? 雛ちゃんたちのラブラブっぷりはかなり広まってるし」

「うう……」


 表情からこちらの内心を読み取ったのか、小唄が微笑ましさとからかいをブレンドしたような笑みを向けてくる。

 周りから見ると優人との関係がラブラブと評されるぐらい仲睦まじくあるのが嬉しい反面、改めて指摘されると身体が芯から熱くなるようで落ち着かない。


 顔の下半分を枕に押し付けて隠せども、現在進行形で向けられる視線はどうにもなりそうになかった。


「にしてもあの先輩さんかあ……。私は正直ちょっと怖くて苦手かな」

「実際に話してみるとそうでもないよー? 落ち着いてるし、雰囲気的にもひなりんとお似合いに見えるし」

「いやいや、もちろん良い人なんだろうなとは思うよ? でも私的にはやっぱりあの目がちょっと……ごめん空森さん、これほんとにただ私の好みの問題だから」

「別に気にしてませんよ」


 両手を合わせて軽く頭を下げてくる女子に雛は柔らかい微笑みを返す。

 異性の好みなんてものは人それぞれだ。確か彼女は中性的な可愛らしい童顔の男性が好みだと、何かのアイドル雑誌片手に語っていた覚えもある。

 そういう意味では優人のような鋭い目つきをした男性は間違いなくストライクゾーンから外れるだろうし、雛だって初対面の頃は少し怖いなと思ったぐらいだ。


 優人本人だって度々たびたび自虐のように口にしているわけなのだから、そう目くじらを立てて否定するのでもないだろう。


「でも私としては、あの目がむしろ良いんですよね。他の人より力強さがあって、きりっとしてて、今となってはそれがすごくかっこよく見えて。それに……」

「それに?」

「優人さんって、たまにとても優しい目をする時があるんですよ。ぱっと見で分かるほど大きな変化ってわけじゃないんですけど……こう、目の奥から優しさが溢れてくる、みたいな?」


 初めてそれを目の当たりにした時を思い返すと、勝手に口元が緩んでほんのり熱い吐息が漏れてしまう。

 あれはズルい。あんな目を向けられたらきゅんとするに決まってる。


「ああいうのをギャップ萌えって言うんですかねえ……」


 ほう、と緩く息を吐いてると、いつの間にかその場の全員の視線が雛に集中していた。

 先ほどまでの微笑ましさを含んだものとは違う、どこか呆気に取られたような丸い瞳たち。

 一番早く我を取り戻したらしい小唄がゆっくり口を開く。


「乙女だ……雛ちゃんがすんごい乙女の顔してる……!」

「え、ちなみに空森さんそれってどういう時? どういうタイミングでそれ見れるの?」

「それは――内緒です」

「内緒!?」


 童顔好きの女子の期待をばっさり切り捨てると、彼女が絶望的な悲鳴を上げた。


「えー教えてくれてもいいじゃん! 写真とかないの?」

「写真はありませんし、あっても他の人には見せません。彼女特権ですもん」


 試しにつんと澄ました猫のような態度でそっぽを向いてみれば、彼女が恨めしそうに「けちー!」と言ってくるからちょっと楽しい。

 我ながらあからさまに独占欲を出してしまったと思うけれど、こればっかりは譲ってやらない。優人の魅力的な面は一人占めしたいのだ。


 雛の発言を機に、さらなる盛り上がりを見せる乙女たちの深夜の恋バナ。

 念のためにともう一度見回りに来た先生から強制終了を言い渡されるまで、その宴は続くのであった。

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