第118話『頑張り屋さんと制服デート』

 学校を後にしてから雛と向かったのは大型のデパートだ。

 一階と地下は食料品街、二階から上は衣料品や雑貨を始めとする幅広い品揃えを誇り、夕方という時間帯も相まって来店する人の数は多い。

 夕飯の買い物中の主婦や遊びに来た学生グループ、それぞれの目的へ向かって入り乱れる人波の中、高校生カップルとして訪れた優人と雛は出入り口からほど近いエスカレーターに乗り込む。


 雛が先で優人がその後。エスカレーターの段の違いが普段と異なる身長差を生み出し、優人の目線とほぼ同じ高さに並んだ金糸雀の瞳は得意げな様子で緩まった。


「ふふ、こうなると優人さんの顔がよく見えますね」

「お互い様だ」


 雛からは若干照れくさそうな男の顔を見れる一方、こちらからも愛らしい微笑みを見せる恋人の表情をしっかり見ることができた。

 可愛らしさと美しさをぎゅっと詰め込み、なおかつ内面も魅力的な美少女が今や自分の恋人だというのだから、自分は男としてなんて幸せなんだろうと思ってしまう。


 この幸せにただ胡座あぐらをかくわけにはいかないが、もうしばらくは浸っていたい。

 優人がそんなことを考える一方、たった今すれ違った下りのエスカレーターに乗る他所の高校のカップルを一瞥した雛がおもむろに口を開く。


「意図したわけではありませんでしたけど、これって制服デートになりますよね?」

「ん、確かに」


 言われて思い返してみても、多少の寄り道や帰りがけにスーパーで買い物ぐらいならともかく、雛と制服のまま出歩いた経験はなかった気がする。


 お互いに準備して着飾ったデートも良いが、こうした気兼ねのないデートというのにも違った良さが感じられる。

 そもそも雛の場合はどんな服でも着こなすほどなのだから、たとえ制服でもその魅了は少しも損なわれないだろう。


「せっかくだし適当にぶらつくか」

「はい、そうしましょう」


 目的こそ買い物ではあるが、それ以外に予定が詰まっているわけでもないのだ。デートらしく二人でぶらぶらと店内を歩くのも悪くない。

 学校を出てからずっと、指を絡め合った手に力を加えながら提案すれば、嬉しそうに顔を綻ばせた雛が手を握り返す。


 目的の階よりも一つ下のフロアでエスカレーターを降りた優人たちは、雛が優人を引っ張るような形で奥へと進んでいくのだった。







「はあ、可愛かったですねえ……」


 どこか恍惚とした表情で雛がため息をこぼす。

 つい数分前まで優人たちはたまたま見かけたペットショップに立ち寄っており、雛の感想はそこで眺めた一匹の子犬に対するものだ。

 無論、ガラス張りのケージの中で大切に飼育されていたから触れ合えたわけではないし、生憎とお休みタイムだったらしく、静かに寝っ転がっているだけでこちらに反応を返してくれるでもなかった。


 けれど、くうくうと安らかな表情で眠りについている子犬はそれだけで可愛らしく、雛に至ってはしばらくその光景に齧り付いていたのだから微笑ましい。

 誤って子犬を起こさないようにうるさくはせず、だが目の奥だけは抑えきれずにきらきらと輝かせていた雛。どちらかと言えばそんな姿こそが琴線に触れた優人は、恋人という隣に立つ立場を最大限利用して眺めさせてもらった。おかげでほくほくである。


 ひとしきり雛の興奮が落ち着いた後、二人は本命の買い物に取りかかるため上のフロアへ。

 やがて辿り着いたのは生活用品店、とりわけ料理関連のものが集結しているキッチンコーナーで、お目当ての商品がずらりと陳列された棚の前で雛は思案気に眉を寄せ始める。


「さて、優人さん用のお弁当箱はどれにしましょうか?」


 そう、今日買いに来たのは他でもない弁当箱。

 付き合い始めたことをきっかけとして本格的に優人の分のお昼ご飯を用意したいというのが雛の弁であり、こうして必要なものを買いに来たわけだ。


「……本当に作ってもらっていいのか? そりゃありがたいけど、無理しなくていいんだぞ」

「労力は大して変わらないので大丈夫ですよ。お夕飯の残りの兼ね合いもあるので毎日とまではいけませんが、どうせなら優人さんに作ってあげたいんです」


 ここまで来て今さらな心配を口にしても、雛は何の憂いもなさそうに柔らかく微笑むばかり。

 優人も同年代に比べたら料理に精通してる側なので手間暇に関しては理解できるが、そうであっても雛の尽くしっぷりには頭が上がらなくなってしまう。

 ただでさえ夕食に関してはすっかり雛のご厄介になっているというのに。


「俺の食事情が雛の色に染められていく……」

「ふふふ、これからもどんどん染めてあげますよ。何だったらお休みの日ぐらいは朝ご飯も作りにいきましょうか?」

「…………」


 ふと、真剣に思い描いてしまう。


 カーテンの隙間から柔らかな光が差し込む、休日のゆっくりとした朝。

 平日なら起きて学校へ行く支度を整えなければいけないが、その必要もないから安心して惰眠を貪ることができる。


 やがて、うつらうつらとした曖昧な意識をすり抜けるように優人の嗅覚を温かみのある匂いを捉える。

 日本人にとって馴染みの深い、味噌の香り。

 未だ朧気な意識で疑問符を浮かべるのも束の間、優人の顔に差していた朝日が何かに遮られる。


 正体を探ろうと目を開けるよりも早く、寝癖混じりの髪をゆっくりと撫でられる感触が。

 海の底からそっと掬ってくれるような優しい手付きに促されるまま目を開けば、優人の視界に天使と見紛うほどの美しい少女が現れる。

 そんな彼女が、にこりと笑ってこう言うのだ。




『おはようございます、優人さん』




「優人さん?」

「――っ!?」


 想像の中の雛と現実で隣にいる彼女、二人から同時に名前呼ばれたところで優人はようやく我に返った。

 だいぶ自分勝手な妄想に入り込んでいたという自覚が冷や汗となって優人の背中を伝い、分かりやすく表情を引きつらせた優人の反応に、雛はくすくすと鈴を転がすような音色で笑う。


「どうやら満更でもないご様子で」

「……要検討ということで、ここは一つ」

「はあい。――お待ちしてますね?」


 爪先立ちで優人に向き直った雛が、口の横に片手を添えながら耳元でそう囁いた。

 妄想を見抜かれて早鐘を打つ心臓を余計にドキリとさせる甘さたっぷりの囁きで、今度は表情どころか全身を固くした優人に雛はまたくすりと微笑む。


「ほら、そろそろお弁当箱を選びましょう。優人さん用なんですから、優人さんの意見をしっかり聞かせてもらいませんと」

「分かった分かった」


 雛の手の平の上で転がされてる感は否めないが、気持ちを切り替えるにはちょうどいい。

 とりあえず目に留まった手頃な品の見本を手に取ると、それを眺めた雛が「わあ」とほんのり驚いたように声を漏らした。


「どうした?」

「そうやって大きめのお弁当箱を選ぶ辺り、優人さんも男の子ですよねって思って。私が使ってるのはこれぐらいですもん」


 そう言うと両手で大まかな大きさを形作る雛。確かに優人が手にしている品よりは一回り小さい。

 運動部ほどではないにしろ優人だって食べ盛りの男子高校生だ。雛も女子にしては食べる方だろうけど、さすがに負けはしない。


「なんたって雛が作ってくれるご飯だろ? その日の昼が待ち遠しくなりそうだ」

「責任重大になりましたね。腕によりをかけて作るとしましょう」

「お願いしますよっと。……それにしても、弁当箱って一口に言っても色々あるよなあ」

「ですね。わ、これなんてすごい。お昼までほかほかですって」


 雛が食い付いた見本は大きめな寸胴タイプの品物だ。下から順に汁物、ご飯、おかずの器を保温力の高い筒型の容器に収める形だ。

 それこそつい先ほど優人の妄想の中に出た味噌汁なんかも持っていける一品だが、サイズ的には少々かさばるか。


 洗い物まで考えた単純な使いやすさという点では、優人が今手にしているものに軍配が上がるだろう。


 実際に弁当を作ることになる雛の意見も交えながら吟味を進め、結局は一番最初に目を付けたものに決まる。

 特別高い保温性を誇るわけではないが、「冷めても美味しいのを作ります」と雛が自信たっぷりに言ってのけたので問題はない。


「――あ」


 会計を済ませるべくレジに向かおうとしたその間際、雛が何かを見て立ち止まる。

 視線の先を追いかけた優人はとある商品群が並ぶ棚を見て取ると、雛と同じように興味を引かれた。


 晴れて雛と恋人になった今、ああいう・・・・のを持つのもいいかもしれない。


「覗いてくか?」

「はいっ」


 喜びを滲ませた雛の微笑みに優人も笑みを返す。

 二人の買い物はもう少しだけ続くのだった。

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