第117話『頑張り屋さんの好きなところ』

 放課後。部活や委員会、遊びの用事などクラスメイトたちがそれぞれの目的に動き出していく中、クラスの清掃当番である優人はスマホでメッセージを送った。

 宛先は雛で、掃除の関係で遅れるという旨。

 今日はこの後ある物を買いに雛と街へ繰り出す予定なので、彼女には少し待ってもらう形になる。


 アプリで送ったメッセージにはすぐさま既読マークが付き、『図書室で待ってます』という返事、それから『頑張って!』とデフォルメされた犬のスタンプが送られてきた。


 可愛らしい励ましに胸の奥を温かくしつつ、同じく当番である数人のクラスメイトと役割を分担して掃除を始める。いつもよりも掃除に身が入った辺り、我ながら現金で単純な男だと思う。


 ほどなくして最後のゴミ出し含めて掃除が終わり、帰り支度を終えた優人は足早に図書室へ。利用中の他の生徒の邪魔にならないよう静かに室内を歩けば、すぐにその姿を見つけることができた。

 雛とそれから女子がもう一人、隣り合わせに座って何やらテーブルに向かっている。


「ここまで来ると、あとはどうなりますか?」

「えーと、さっき求めた数を代入するから……あ、そっかーなるほど!」

「はい、それで正解です」


 どうやら数学の勉強でも教えているらしい。一人で優人を待っていた雛に声をかけたのだろう。

 ちょっとした時間でも教えを請われる雛の頼られっぷりに感心しつつ、優人は近くの本棚の陰で立ち止まる。


 雛もにこやかに応じているし、途中で水を差してしまうのも悪いので、しばし二人を見守ることにした。


「ありがとう空森さん、助かったよー!」

「いえ。また何かあったら言ってください」

「あ、じゃあ、ちょっと訊きたいことあるんだけど……」

「はい、次はどの問題ですか?」

「いや、そういうんじゃなくて。……ちょっと耳に挟んだんだけど、三年の人と付き合い始めたって本当?」


 女子の問いはやんわりと声を潜めたものであったが、二人の方へ意識を向けていた優人の耳にも届いた。

 雛からのメッセージで分かってはいたものの、二年生の間でも優人たちの交際の話が広まっている事実に妙な緊張を覚えてしまう。


 尋ねられた直後、一瞬だけきょとんとした雛はすぐにふわりと柔らかい笑みを浮かべた。


「はい、昨日からお付き合いすることになったんです」

「わ、じゃあ本当に付き合い立てなんだ。空森さんから告白したの?」

「告白は相手からです。ただ私もずっと片想いしていたので、結果的には両想いだったということですね」

「へえー、とうとう空森さんを射止める人が現れたわけかあ。ちなみにさー……どういうところを好きになったの?」


 本棚から適当に抜いた小説を読む振りをしていた優人の動きが、ぴくりと固まる。

 自分のどういったところを雛が好んでくれているのか。そういえば改まって聞いた覚えはないと思う。


 これ以上の盗み聞きはあまりよろしくないと分かっているけれど、声をかける気も、ましてやその場から黙って離れる気も優人の胸中には湧いてくれない。


「そうですね。一口では言えませんが、誠実で、紳士的で、優しくて……」


 そうこうしている間に雛が口を開き、一つ一つと指折り数えながら優人への想いを紡いでいく。

 そして雛の横顔がふと、面映ゆそうにふにゃりと綻んだ。


「あと一番はやっぱり、私をちゃんと見てくれてる、ってところでしょうか」

「見てくれてる?」

「はい。何というか、あの人って結構マメなんですよ。ご飯を作ってあげた時は必ず美味しいって言ってくれますし、テストで結果を出した時なんかもお祝いしてくれる。そういう細やかな思いやりがすごく嬉しいんです。自分で言うのもなんですけど、私が頑張ったところをこの人はちゃんと見てくれるんだなあって……」

「お、おお……」


 どこか圧倒されたように女子が言葉を漏らすのは、それだけ雛の表情が幸せそうだからだろう。

 見る者に甘い蜜でも振りまくような、そんなとろけた笑顔を浮かべて眉尻を下げる雛。彼女の白い頬はほわほわと紅潮して淡く色付き、それが風に乗って流れてきたように優人の顔も熱を持つ。


 面と向かって好意を告げられるのももちろんだが、これにだって比べようのない別種の破壊力があった。

 あたかも雛が振りまく熱に溶かされたように、女子がテーブルに上半身を倒す。


「あー、私はどっちかって言うとリードしたい方だから、彼氏にするなら年下って思ってたけど……そういうの聞くと年上も捨てがたいなって思うなー」

「ふふ、包容力のある男の人って素敵ですよ?」

「うん、それは空森さんの顔を見てるとよーく分かる。頼りになる男の人ってヤツかあ」


 包容力――交友関係の狭い自分にそんな魅力があるのかと言われると素直に受け取り難いが、雛からそんな風に評価してもらえるのは嬉しい。

 頑張り屋な彼女が甘えられるような人間でありたいというのが、優人の目指す人間性の一つだからだ。


「よしっ、私も頑張って良い人見つけよっと。色々答えてくれてありがとね空森さん、バイバーイ」

「はい、また」


 女子と別れ、一人になった雛が肩の力を抜く。そのまま勉強した結果の身体の凝りでも解すように腰を回し始めると――その拍子に優人と目が合った。


『…………』


 二人の間に流れる束の間の静寂。

 先にそれを破った雛は鞄を手にして立ち上がると、優人が潜む本棚の陰へと歩み寄る。

 そして、優人の太もも辺りにぼすんと鞄を叩きつけた。


「何で声をかけてくれないんですかいつからそこにいたんですか……!」

「いや、勉強の邪魔しちゃ悪いと思ってな……」

「ってことは肝心なところ聞かれちゃてるじゃないですかっ」


 もうっ、もうっ、と鞄の次は手で優人の二の腕を叩いてくる雛。

 図書室なので声こそ抑えてはいるが、その分の抑圧された羞恥が小さな握り拳となって優人にぶつけられる。

 痛いというよりはくすぐったかった。


「でもほら、ちゃんと見てくれるのが俺の良いところなんだろ?」

「それとこれとは違います!」


 苦し紛れの言い訳は当然の如く一蹴された。

 偶発的とはいえ盗み聞きの形になったのは間違いないので、謝る以外の選択肢は優人に残されていないだろう。


「すいませんでした」

「むう……。まあ、許してあげましょう。聞かれたのは恥ずかしいですけど……紛れもない本心ですから」


 赤ら顔で拗ねたように付け足された呟きは、新たな熱となって優人の胸にぷすりと突き刺さった。

 態度や声音は照れ隠しみたいなのに、言葉はとても正直で、そのアンバランスさに心をくすぐられる。


「――俺が雛を好きになったところは、やっぱり何事にも真面目で頑張り屋なところかな。見ていて応援したくなるし、今は俺が支えてやりたいって思う」

「な、何ですか急に」

「雛のを聞いちゃったからな。俺のも伝えないと不公平だろ?」


 そう言ってのけて指通りのいい髪の上からぽんと軽く頭を叩けば、金糸雀色の瞳がきょとんと瞬きをした後に柔らかく細まる。続けて弧を描いた唇を弛ませて、雛は悪戯っぽく笑みを深めた。


「優人さんのそういう律儀なところも、すごく好きです」

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