第119話『恋人らしい証明』

 デパートから帰宅して一段落した頃、部屋着に着替えた優人は雛の部屋へ。

 エプロン姿の雛が出迎えてくれることに胸の内を高鳴らせつつ、いつも通り彼女が作ってくれた夕食を二人で食べる。


 本日のメニューは生姜焼きをメインにご飯と味噌汁、それから副菜できんぴらごぼう。きんぴらごぼうは大振りな器に用意されているので、残った分は明日からの弁当に回されることだろう。

 炊き上がったばかりのほかほかな白米と味の染み込んだ生姜焼きのコラボに舌鼓を打つ中、味噌汁のお椀に手を伸ばす雛がふと顔を上げた。


「改まって訊いたことありませんでしたけど、優人さんって何か嫌いなものとかありますか?」

「あー……特にはないかな」


 母親である安奈はパティシエ、つまるところ料理人だ。それ故、幼い頃から食事におけるマナーなどはしっかり躾られている。何も口酸っぱくというほどではなかったが、おかげでぱっと思い浮かぶものがない程度には好き嫌いにうるさくない。


 弁当を用意する上での事前確認といったところだろう。

 優人の答えに「分かりました」と頷いた雛は静かに味噌汁をすする。


「もし好き嫌いがあったらどうしたんだ? 例えばピーマンとか」

「そうですねえ……分からないように細かく刻むとか、美味しく食べられるように工夫を凝らしたでしょうか」

「子供か俺は」

「ピーマンが嫌いなんてそれこそ子供みたいでしょうに」


 どう考えてもやり口が好き嫌いでぐずる幼い子供に対するそれだ。

 冗談混じりの憤慨を口にしてもごもっともなお言葉でさらりと流されるばかり。「明日はピーマンの肉詰めでも作りましょうか」などと笑いながら言い出す雛に、優人は「楽しみだな」と何食わぬ顔で答えてみせた。


 他愛もない会話を続けながら夕食を済ませた後、片付けの流れのまま台所に立った優人は食休み中の雛へと振り返る。


「いつものでいいか?」

「はい、いつものいいです」


 わざわざ言い直した雛に笑みをこぼしつつ、優人はガスコンロに置いた片手鍋へ冷蔵庫から取り出した牛乳を注ぐ。

 いつものと言えるぐらい馴染んだそれは、思い返せば雛が初めてこのアパートにやって来た夜に振る舞ったホットミルクだ。


 温めた牛乳に砂糖とハチミツ、それから隠し味でシナモンパウダーを足した母直伝の一品。雛はこれがいたくお気に入りとのことで、たびたびこうして作ってあげることがある。


 レシピ(というほど大層なものではないが)自体は雛にも教えてあるものの、彼女曰く優人に作ってもらうと一味違うらしい。


「じー……」

「……何してんだ?」


 材料を混ぜ合わせた鍋の中身をゆっくりかき混ぜる中、何やら立ち上がったと思えば近くまで来て優人の手元を凝視する雛。

 温めるだけとはいえ一応火を使っているので注意しながら尋ねれば、雛がふむうと難しそうに唸る気配を感じた。


「優人さんが作るホットミルクの美味しさの謎を今日こそ掴もうと思いましたけど……ダメですね。やっぱり何が違うのか分かりません」

「まだ気にしてたのか……。教えたレシピ通りには作ったんだろ?」

「ええ。でも、何かこう、優人さんに作ってもらうのは妙に美味しく感じるというか……」

「――あえて言うなら、」

「あえて言うなら?」

「雛への愛情を込めてるから、かな」


 鍋から目を離さず告げる。顔を見ながら言うには気恥ずかしい台詞だった。

 人の想いが実際の味を左右する。そんなものは気の持ちようだと言えばそれまでかもしれないが、優人はそうは思わない。

 現に雛は何かしらの違いを感じてるようだし、優人だって雛の手料理は彼女との関係を深めるほど美味しさが増すように感じている節があるのだから。


 ……とはいえ、さすがに気障きざな台詞だったろうか。

 思わず口走ってしまったことを少し省みながら振り返ると――


「あ、う……」


 ぽふんといった音が似合いそうなほど顔を赤くした雛が視線を右往左往させていた。


「そ、そういう不意打ちはやめてくださいよう……」

「はいはいすいませんでした。ほら、もうちょっとで出来るから大人しく待ってろ」

「うぅ……」


 恥をかいた甲斐はあったらしい。

 自分以上に羞恥を感じた雛のおかげで余裕も生まれ、借りてきた猫のように大人しくなった背中を見送った優人はコンロの火を止める。


 そのタイミングで手に取ったのが、今日の買い物で弁当箱以外に購入したとあるもの。

 二つあるそれに完成したホットミルクを等分し、雛が待つテーブルまで持って行く。


「お待たせ」


 まだ頬の熱さが抜けきらないらしい雛の隣に座り二つのそれを置く。

 置いた時の小さな音に顔を上げる雛。その横顔に、くすぐったそうな微笑が宿った。


「……いかにも恋人って感じですね」

「そう、だな」


 優人と雛の前にある二つのそれは、ペアのマグカップだ。

 片や白猫、片や黒猫の可愛らしいイラストが描かれたており、カップの持ち手がそのまま猫の尻尾をイメージした造形となっている。しかもそれだけでなく、持ち手同士を合わせると一つのハートマークが出来上がるという品物でもあるのだ。


 微妙に気恥ずかしくて優人はカップを少し離して置いてしまったが、優しい笑みを浮かべる雛がおもむろに手を伸ばし、白猫の尻尾を黒猫のそれにくっつける。

 見事出来上がったハートマークに優人の口元が緩みそうになる中、白猫の後を追うように雛も優人との距離を詰めた。


 触れ合った肩から服越しにじんわりと雛の体温が伝わり、その熱に促されたようにテーブルの下でどちらからともなく手を繋ぎ、互い違いに指を絡める。恋人繋ぎはまだちょっと落ち着かないけれど、これから先の未来できっと馴染んでくれるだろう。


 幸せです、と舌の上で転がしたような微かな囁き声に耳をくすぐられながら、目の前で寄り添う二匹の猫を眺める。

 それぞれから上る湯気は、やがて宙で一つに混ざる。


 ようやく飲み始めた頃には少し温くなっていたが、それ以上に胸の奥は温まっていた。

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