第109話『男の意地をかけて』
「優人さん、次はアレやってもいいですか?」
「ああ、いいぞ」
エアホッケーから離れて一段落した後――雛の衣服はすでに直されている。残念とか思ってはいけない――、雛が次に興味を示したのはゲーセンお馴染みのクレーンゲームだった。
数台の筐体が並ぶ中、雛が選んだのはやはりぬいぐるみが景品になっている一台で、動物モチーフの可愛らしいぬいぐるみの数々が照明に照らされながら
筐体のガラスに手の平を当てて中をじっくりと覗き込む雛のご執心は、どうやら真ん中にいる狼のぬいぐるみのようだ。
クレーンゲームの景品としては割と大きいサイズで、全体的にもふもふとした愛らしいデザインの割に片目に傷のある隻眼の一匹。首には真っ赤なスカーフを巻いており、その顔付きには一匹狼を地で行くような力強さがある。
「操作方法とかは大丈夫か?」
「ええ、初めてですけど知識としては知ってます。このボタンを押してる間にアームが動くんですよね?」
『→』と『↑』のボタンを軽く指で押す雛に、優人は「そうそう」と頷く。この様子なら初歩的なミスでお金を無駄にすることもなさそうなので、妙に張り切りつつ財布から硬貨を取り出す雛を静かに見守ることにした。
「お、いきなり五百円」
「一回分サービスされるみたいですからね。さすがに百円で取れると思ってませんし、これでダメなら諦めます」
ちゃりんと音を立てて硬貨が投入され、音楽と共にまず『→』のボタンが点滅を始めた。
ふう、と胸に手を当てて深呼吸を挟むと、雛はアームと狼の位置を入念に見比べながらボタンを押し込み、やがて適度なところで離す。
クレーンゲームというものはボタン操作とアームの動きに若干ラグがあったりするが、雛の見極めは大したものであり、正面から見た時のアームと狼の位置はほぼ重なっていた。これなら残りの縦移動の出来映え次第で良い位置にアームを辿り着かせることができるだろう。
「……よしっ」
雛が微かに呟いた一言を小耳に挟みつつ、縦移動が開始。こちらもちょうどいいタイミングで止めることができ、狼の頭上からアームがゆっくりと降下していく。
そして開かれた二本の爪が、狼の頭を挟むように締まったのだが、
「――あっ」
優人の隣からこぼれた残念がる声からも分かる通り、少し持ち上がったところで狼はアームから落ちてしまった。結果的には初期位置からほとんど変わっていない。
「むう、やはりそう簡単には持ち上がりませんか。なら今度はアームで押し出すようにして……」
次の手段を小声でぽそぽそと唱えながら二回目に入る雛。クレーンゲームのそういった
「……ひょっとして予習でもしたことあるのか?」
ふと思い浮かんだ可能性を優人が口にしたと同時、アームの横移動が止まる。雛の狙いから外れた中途半端な位置で。
その反応が紛れもない証拠であり、さらに裏付けを重ねるように雛の頬がうっすらと赤く染まっていく。
「……ま、前々から興味があって、何度かプレイ動画を見たことがあるだけです……」
だけ、と言い切るにはたどたどしい反応である。
もしかしたら密かな憧れもあったのかもしれない。そんな雛の願望も図らずも叶えられてあげたことが嬉しくて、優人の口元は自然と弧を描いた。
「な、何ですかその笑みは」
「いや何でも」
「むー……」
物言いたげに頬を膨らませる雛だが、結局はゲームの方を優先してすぐに視線を戻す。
その後、残りのチャンスを使い色々と試行錯誤を繰り返したものの、最終的には狼を獲得することができずにゲームが終わった。
「やっぱり難しいんですねえ」
残念な結果に終わっても雛の表情は明るい。景品こそ手に入れられなくともプレイできたこと自体で十分楽しめたようだ。
――それでもやっぱり、最後は手に入った方がきっと嬉しいだろうから。
「え、優人さん?」
雛の後を引き継ぐように五百円を投入すると困惑の声が上がる。ぱちりと目を瞬かせて見上げる雛に優人は頷きを返し、ガラスの向こう側でふんぞり返っている狼を見据えた。
「も、もしかして取ってくれるんですか?」
「二回目は邪魔しちゃったしな。まあ任せてくれ」
「……もう」
ほんのりと呆れたようで、抑えきれない嬉しさを含んだ声音。優人のすぐ隣、寄り添うように距離を詰めた雛のほのかな温もりを感じながら、優人は点滅するボタンを押し込んだ。
「……なるほど」
「優人さん?」
「アームがこれなら、これをこうすると、あれがああなるから……」
「優人さん?」
「……よし」
「優人さんっ!」
未だガラスの向こう側の狼を前にし、がしっと雛に腕を掴まれる。
「なに平然と続けようとしてるんですか!? ごめんなさいもういいです、もういいですから!」
「あと少し、あと少しで取れそうなんだ! それにほら、まだ俺の財布には五百円が残ってるだろ? つまりやれってことなんだよ!」
「さっき両替に行ったからじゃないですか! それまで使ったらもう二千円ですっ、これ以上はダメですってば!」
「テーマーパークのチケット代が浮いたし!」
「それはお昼に聞きましたっ!」
金額的には赤字になっていないもののそういう問題ではないらしく、雛は尚も食い下がろうと優人の腕を掴み続ける。咄嗟にもう片方の手に硬貨を持ち替えて筐体の投入口に滑り込ませると、「ああっ!?」と雛が素っ頓狂な悲鳴を上げた。
「もう……! これで本当に最後ですからね?」
「分かった、分かってるから」
念押しの言葉に、優人は内心の焦りを押し隠しながら答えた。
強引にプレイを再開したもののこの辺りが限界なのは承知しているし、仮にまた性懲りもなく両替に行こうとでもすれば、今度は雛が是が非でも止めようとするだろう。
それに優人とて、いい加減この辺りでけりをつけたい。獲得にこそ至らずとも狼の位置は着々と景品取り出し口に繋がる穴へと近付いている。
最後の五百円を投入したことによる残り六回のチャンスで物にできる可能性は、十二分に高い、と思いたい。
そう自分に言い聞かせプレイを再開。が、正真正銘残すところ後一回になっても取れない。いい感じのところまで来ても、他のぬいぐるみが障壁になったりして一線が越えられない。
子供の頃に見たおもちゃ物語の映画のように、実は意志を持っているぬいぐるみが取られまいとこっそり反抗しているんじゃないかと疑いたくなるぐらいだった。
「優人さん……」
始まってしまった以上は応援すると決めたのか、雛が気遣わしげな声で優人の肩に触れる。
ここまで来ると、ただでは引き下がれない優人の
なればこそ、最後には笑って終われる結果を手にしたい。
そんな想いを胸に挑む最後の一回――転機が訪れる。
狼が首に巻いているスカーフにアームの爪が引っかかり、その身体がゆっくりと持ち上がる。引っかかり具合こそ吹けば飛びそうな危うさがあるけれど、このままならきっと取り出し口までいけるはず。
「あ、あ、あ」
「頼む……!」
二人が固唾を呑んで見守る中、狼はゆっくりと取り出し口へ近付き、そして――。
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