第104話『デートに向けて』
定期テスト明けの授業というものは往々にして気が抜けやすい。
それは鹿島小唄の所属する二年一組も同様で、彼女もまた例に漏れず板書をする教師の言葉を話半分に聞きながら、窓際最後尾という最高の席から外を眺めていた。
今日は天気がすこぶる良い。
校庭では他のクラスが体育のサッカーに勤しんでおり、何となく興味を引かれてボールがあっちこっちへ飛び交う様を目で追う。やがてボールが片方のゴールネットに突き刺さった頃、小唄は微かに頭を振って意識の切り替えを図った。
ダメだダメだ。いくらテスト明けだからってだらけてばかりはよくない。こういう時は身近にいる勤勉な人間の姿を見て、我が身を振り返らなきゃ。
そう思ったは小唄は自分から見て一つ前の席へと目を向ける。
そこにあるのはクラス一を越えて学年一、それどころか学校一かもしれないほど勤勉な彼女の後ろ姿。常日頃、同性の小唄から見ても綺麗な姿勢で勉学に励む彼女を見習えば、このだらけた気持ちも少しはマシになるはずだ。
しかし、
(どうしたんだろう、雛ちゃん……)
クラスメイトである空森雛の様子が、なんか、朝からどうにもおかしい。
ぴんと伸びた背筋が今日に限っては丸まってるし、かと思えば「上から吊られてるの?」とツッコミたくなるぐらい硬直する瞬間もある。後ろ姿だから表情までは分からないものの、雛にしては珍しく授業に集中していないように思えた。
体調が悪い……ってわけじゃなさそうだけど。
何があったのか分からずふむうと声に出さず唸っていると、雛の机からぽろっと消しゴムがこぼれ落ちた。何かの拍子にうっかり落としてしまったであろう消しゴムは小唄の足下まで転がってきて、小唄はそれを拾い上げると、落ちたことにすら気付いてなさそうな雛の背中をちょんちょんと小さく叩く。
「雛ちゃーん、消しゴム落ちたよー」
授業中だから声は抑えめに。
そうすると雛はやけにぎくしゃくとした動きで振り返り、その
「アリガト、ゴザイ、マス」
片言だった。外人さんでももうちょっと流暢に話せるんじゃないかなってぐらいの片言だった。
ついでに言うと顔の方はにらめっこで必死に我慢してる時みたいな真顔だ。何これ、ちょっと怖い。
(――うん)
とりあえずよく分かんないけど、後で話を聞いてみよう。
それだけを心に決めて、小唄は黙って雛の手の平に消しゴムを置いた。
「先輩からデートに誘われた?」
「はい……」
そんなこんなで放課後、学生御用達である駅前のファミレスの一角に小唄たちはいた。ちなみに追加要員として双葉と麗奈にも声をかけたので二人も同席している。
直感だけど雛の悩みは優人絡みな気がしたので、彼氏持ちの二人に来てもらった方がいいと思ったからだ。予定が無かったとはいえほぼ二つ返事だった辺り、雛の人徳の深さが窺える。
各々飲み物と、それから大皿に盛られたフライドポテトを共同で一つ注文し、端の方のテーブル席を囲む。そうして雛が吐露した内容を小唄が繰り返すと、次に口を開いたのは雛の隣に座る双葉だ。
「何かあるの? 前にちょろっと聞いたけど、天見先輩とはもう二人で出かけたことあるんでしょ?」
ポテトをつまみながらの双葉の言葉に、再び雛は「はい」と背中を丸めながら呟いた。
「それはそうなんですけど、今回はその、はっきり『デートして欲しい』と言われて……」
(ほほう)
小唄の中の恋バナセンサーがキュピンと強い反応を示す。
あの奥手な目つき
沸き立つ色恋への興味をあからさまに出すのはさすがに自制しつつ、小唄は並んで座る麗奈へと肩を寄せて小声で話しかける。
「彼氏持ちの麗奈ちゃん的にはどう思います?」
「どうもこうも十中八九決めようとしてるんじゃないの? 私の時も似たような感じだったし」
「へー、麗奈ちゃんは告白された側なんだ。やっぱり嬉しいもの?」
「……まあね」
淡泊な返事の割に麗奈の頬はうっすらと赤く、その気恥ずかしさを隠すようにストレートの黒髪を指先で弄んでいる。さぞ思い出に残る告白をされたのだろう。それはそれで気になるけどひとまず置いといて、小唄は改めて雛へと顔を向ける。
「で、先輩から誘われて雛ちゃんはどう返事したの? 誘いは受けたわけ?」
「あ、はい、それはもちろん」
もちろんなんだ……。
雛を除いた三人の内心がたぶん一致した。
親しい彼女たちから見れば雛が優人に寄せる好意は分かりやすいのだが、恐らく意図してないとはいえそれを晒け出されるとちょっと反応に困る。
「日取りとかは決まってるの?」
「次の日曜日になりました。行く場所はまだですけど……基本的には優人さんがエスコートしてくれるらしくて」
「おおー、先輩もかなり力入れてる感じだね。特別なお出かけになりそう」
「……本当にそう期待してもいいんでしょうか?」
「え?」
ぽつりと雛がこぼした呟きに、小唄のみならず他の二人もぽかんとした。
一番早く復帰した麗奈が口を開く。
「本当も何も、その感じでただのお出かけってことはないでしょ」
「私もそうは思いたいんですけど、その割には誘ってからの優人さんは普段通りな感じなんですよ。お夕飯の時だって優人さんはいつもと同じなのに、私だけ緊張してるみたいで……逆に私、変な早とちりをしてるんじゃないのかと不安に……」
『……ん?』
ここで双葉と麗奈が首を傾げた。
顔を俯かせてぶつぶつ呟き始めてしまった雛をよそに三人で顔を見合わせる。
「待って、お夕飯の時ってどういうこと? お昼は分かるけど、ひなりんと天見先輩って夜も一緒に食べてる感じなの?」
「あー……ここだけの話なんだけど、雛ちゃんたちって同じアパートのお隣さんらしいんだよねえ」
「え、いつから!? というかうたちゃんは知ってたの?」
「たまたまねー。去年の秋ぐらいからって言ってたから、もう半年以上は経ってるのかな。バレると色々大変そうだから今まで黙ってたんだけど」
「……でしょうね。ただでさえ雛のことを狙ってる男からは目の敵にされてるところもあるのに、隣に住んでるなんて知れたら余計にやっかみが増えそう」
そんな光景がありありと想像できてしまい、三人同時にため息をついた。
今の二人を見てると入り込む余地なんてないでしょと言いたくなるけど、未だ明確に恋人関係でない以上は仕方ない面もあるのだろう。
雛、そして何より優人の良い人柄を知る小唄としてはこのまま成就して欲しいと思うし、雛を狙う男たちに引導を渡す意味でも、この辺りできっちり決めて欲しいところ。
少なくとも優人は間違いなくその気だろう。
雛の口にした『その割にはいつも通り』というのは、たぶん覚悟を決めているかどうかの差だ。
自分たちにできることがあるとすれば、雛が万全の状態でデートに臨めるようにしてあげることぐらいだ。
「ひなりんひなりん」
隣の双葉に肩を叩かれ、雛が顔を上げる。
「色々考えちゃうこともあると思うけどさ、天見先輩から誘ってもらえたんだし、まずは楽しむことを第一に考えればいいんじゃない?」
「楽しむ、ですか?」
「そうそう。折角のデートなんだよ? 楽しまなきゃ損じゃん!」
ぐっと突き出される双葉の握り拳。
しばし目を瞬かせる雛だったが、やがて落ち着いたような笑みをその口元に浮かべる。
「そうですね……折角の、デート、ですもんね」
デートというたったの三文字をそれでも愛おしそうに呟き、雛は自分の胸元に手を置いた。
「ありがとうございます。めいっぱい楽しんでこようと思います」
「さっすがひなりん、そうこなくっちゃ! あとはデートに向けての準備だね」
「デートが次の日曜でしょ? なら土曜の放課後にでも買い物行きましょうよ。私も夏物見たいと思ってたしちょうどいいわ」
「あ、ならあたし最近できたここ行ってみたい。品揃え豊富だし、値段も結構お手頃らしいよ?」
小唄がテーブルに置いたスマホを全員で覗き込む。
「へえ、確かに良さそうね。どう雛?」
「いいと思いますよ。私も気になります」
「それじゃここ決定ね。あとは……やっぱりランジェリーショップも行くべき?」
「……どうして私を見ながら言うんですか小唄さん」
「それはだって、念には念を入れた方がよくない?」
「ば、ばかなこと言わないでください。さすがにそこまでは……!」
「いや、行ったほうがいいよひなりん」
「私もそう思う」
「双葉さんたちまで!?」
「ほらー、彼氏持ちさんたちが言うんだから間違いないって。ついでにあたし、雛ちゃんがどれほどのものか知りたいと思ってたし」
「え、えええ……」
どうやら土曜の買い物は、色々と大変なことになりそうだった。
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