第103話『逆ご褒美タイム、そして』

「それでは、次は優人さんの番ですね」


 何の前触れも脈略もなく、出し抜けに言われた言葉に「え」と首を捻る優人。

 わけが分からずそのままでいると、雛はこほんと咳払いをして居住まいを正した。


「とある筋からの情報ですと、優人さんは今回のテストで自己ベストを更新されたそうですね」

「まあ一応。というかとある筋って何だ」

「姫之川先輩です」


 印籠のように見せつけられるのは雛のスマホ。テストの成績については教室でそんな会話をした覚えはあるが、この前ばったり遭遇した時にエリスと連絡先を交換していたようだ。

 確かに雛が聞いた通り、優人は今回の中間テストで自己ベストを、まあ割と大きく上回ることができた。雛に触発されて勉強に取り組んだ結果の賜物たまものであり、自分でも誇らしい結果だ。


 しかし順位にすれば五十位よりも下であり、学年は違えど首位である雛には遠く及ばない。だから、殊更ことさらに報告するものでもないと思っていたのだが、雛はしっかり情報を掴んだらしい。


「優人さんも頑張ったんじゃないですか。私ばかりご褒美を貰っては不公平だと思います」

「って言っても雛と比べるとなあ」

「勝負したわけでもないんですから、比べるべきは過去の自分とですよ?」

「左様で」


 もっともな正論に肩を竦めて答える。

 どうやら雛の中では優人にご褒美が与えられるのは確定事項らしい。こういう時の彼女が譲らないのは分かっているので、優人は苦笑しつつ申し出を受け入れることにした。

 貰えるならもちろん嬉しいし、それが雛からともなれば喜びも倍増だ。


「というわけで優人さん、何か私にして欲しいことはありませんか?」

「うーん……」


 そもそものご褒美自体が降って湧いたような幸運なだけに、いきなり問われても答えに困る。

 雛にしてもらいたいことなんて――……いやまあ、考えれば結構出てくるけども、素直に口にするのは色々な観点からはばかられる。

 男としてこみ上げる欲はひっそりと心の底に押し戻し、優人は再び頭を悩ませる。


「もし優人さんがよければ耳掻きなんていかがですか?」

「耳掻き?」

「はい。男の人はしてもらえると喜ぶと聞きました」

「……それはどこの筋から?」

「双葉さんや麗奈さんですね」


 それぞれに恋人がいるらしい彼女たちからの助言――ということは正確に言うとそれは男が、ではなく彼氏・・が喜ぶ行動だ。

 雛はそのことを分かった上で言ってるのか、いないのか。

 ……確認はできない。できないが。


「どうですか?」

「……お願いします」


 魅力的な提案を断る道はもちろん無かった。

 立ち上がった雛は「優人さんも男の人ですねえ」と微笑みながらその場を離れると、すぐに耳掻きやらティッシュやらをテーブルに用意し、カーペットの上に綺麗な姿勢で正座した。


「はい、どうぞ」


 そう言ってぽんぽんと叩くのは、細くも女性らしい柔らかさを感じさせる両の太もも。

 ちょっと考えてみれば当然だが耳掻きと膝枕はセット扱いであり、雛からは何の危機感もなさそうな無垢な笑顔を向けられる。

 制服から部屋着に着替えた今でもストッキングはそのままの雛だが、季節の関係か布地は薄くなっているようで、ぴっちりと張り付いた黒色の下に透ける肌色は以前よりも鮮明に感じ取れた。


 ついでに言えば、膝枕をするのにスカートなのも大きな問題だ。

 しっかり揃えた太ももでスカートを挟んでいるからうっかりめくれ上がることこそなさそうだが、それでも危ういことに変わりはなく、防御力が高いんだか低いんだかよく分からないその一帯に頭を乗せるのは非常に理性への負担を強いられる。


 ――これ、ご褒美というか生殺しでは?


 そう頭の片隅では考えても優人の身体は結局魅惑の誘いに陥落し、雛の膝枕にゆっくりと仰向けで頭を乗せた。


「寝苦しくありませんか?」

「……全然」


 わずかに体勢を微調整した雛から降ってきた問いに息を吐いて答える。

 主に後頭部から伝わってくる感触は、どう控えめに言っても最高だ。

 柔らかくもしなやかさを兼ね備えた太ももは優人の頭を優しく受け止め、穏やかに伝わる温もりがその魅力を助長させる。


 しかも、雛がそばにいるとただでさえほんのりと甘く良い匂いがするのに、場所が限定的とはいえ密着状態だと余計にその匂いは濃い。

 むせ返るようなものではなく、鼻腔からするりと入り込んで身体の芯に届くような安心感は一種のアロマのようだ。


 そしていざ膝枕を体験して初めて実感することになったが感触や匂いと同様、もしくはそれ以上に、仰向けの視界に広がる光景には男としてクるものがあった。


 至近距離かつ下からのアングルだけに顕著な二つの盛り上がり、その先からは想い人の微笑みがこちらを見下ろしている。

 何というか、雛の大きさはちょうどいいのだ。

 母性すらも醸し出す豊かさの一方で、彼女の愛らしい顔はしっかりと拝めるほど良い主張具合。黄金比のようなバランスが優人を狂わせ、目の前の景色が目が離せなくなる。


「……自分から提案しておいてですけど、そんなに見上げられると何だか照れちゃいますね」

「わ、悪い」


 淡く頬を染めながらのはにかみに本来の目的を思い出し、優人は慌てて身体を横にする。

 雛のお腹とは反対の方を向いて耳を差し出すと、「始めますね」といった呼びかけの後、優人の側頭部に雛の手が添えられた。

 小さな手は耳に少しかかっていた優人の髪を除け、そのままそっと頭を押さえる。

念のため動かないようにというソフトな力加減ではあるのだが、太ももと頭の密度が増した気がして心臓がざわつく。


「もし痛かったりしたら、すぐに言ってくださいね?」


 変わらず柔らかな声音と共に、優人の耳の穴に固いものがゆっくりと差し込まれる。

 雛のことだからと最初から身構えてすらいなかったのだが、やはり彼女の手付きは痛みを伴わない優しいものだった。


 人体の中では比較的弱点に近いであろう耳を好きにさせているのに、気分は不思議と落ち着く。もちろん雛と密着していることでの胸の高鳴りは依然として継続中だが、このまま眠ってしまっても構わないぐらいの心地良さがあった。


「~~♪」


 小さく聞こえてくるのは雛の鼻歌だろうか。

 歌詞ではなくリズムを口ずさんでいるだけのささやかなもので、しっとりとした曲調には子守歌のような響きがある。


「楽しいか?」

「ええ、やってみると意外と。ああ、調子に乗ってやりすぎたりはしませんから安心してください」

「分かってるよ」


 そういった点においては優人は雛に全幅の信頼を置いている。普段の料理然り、丁寧を地で行く彼女が道を踏み外すこともないだろう。

 しばらくすると耳掻きが引き抜かれ、耳たぶをやんわりと引っ張られる。


「こちら側はこんなものですかね。優人さん、次反対」

「はいはい」


 雛からの指示に従い、身体を反対側へ。

 そうなると視界にどんな光景が広がるかはとっくに予想がついていたので、前もって目を閉じて後半戦に突入する。

 しかし視覚を閉ざせば、その分のリソースを回されてしまうのは触覚や嗅覚だ。

 優人の意思とは裏腹に鋭敏になった感覚器官が太ももの弾力や甘い匂いを拾い上げるし、かといってこれで目を開ければ眼前に待ち構えているのは雛のお腹。いつか見た可愛らしいおへそを思い出しそうでこれまた危うい。


 何かを切り捨てたところで、結局は別の何かを際立たせるだけ。

 大手を振って堪能できる立場にはまだ・・ない優人はじっと、雛にされるがまま幸せで辛い時間を堪え忍んだ。


「うん、これで終わりです」


 その一言を最後に耳掻きが引き抜かれる。


「結構溜まってたか?」

「それほどでも。清潔なのはいいことですけど、少しやりがいに欠けましたね」

「無茶言わんでくれ」


 声音からしてただの冗談なのは分かっているので、優人も軽く笑って言葉を返した。

 何はともあれ、目的は果たせたのでご褒美タイムは時間切れ。残念ではあるけど引き際も肝心だ。

 一息ついてから、優人は身体を起こそうとする。


「――ふぅぅぅううう」

「!?」


 耳に何か、熱っぽいものを吹きかけられた。

 それが雛の吐息だと理解するのに時間は要さず、弾かれるように耳を手で塞いで上を向く。

 してやったりな笑顔が、そこにはあった。


「おま、雛、何を……!」

「最後の仕上げと、ちょっとした悪戯いたずらです」


 可愛い小悪魔が一段と笑みを深める。調子に乗らないなんて言ったのはどこの誰だ。

 やられっぱなしで終わるのはどうにも納得がいかず、膝枕はされたまま、少し前のめりで優人を覗き込む雛の頬に手を伸ばす。

 張りのあるほっぺたを人差し指と親指で摘むと、雛の笑顔がくすぐったそうにふやけた。


「何をするんですか優人さん」

「悪戯するような奴は仕返しされて当然だ」

「仕返しというには力が弱くありませんか?」

「……痛くするわけにはいかないだろ」

「ふふ、優しいんですから」


 そう言って微笑んだ雛は、優人の手から離れようとしない。むしろどこか甘えるように頬を擦り寄せ、気付けば手の平で雛の柔らかな肌を味わうことになっていた。


 幸せだ。幸せすぎて怖いぐらいに、幸せだ。

 だからこそ今は、その先へ進みたいという想いが強くなる。


「雛」

「はい?」


 呼びかけると、透き通るとうな金糸雀色の瞳が真っ直ぐに優人を見つめる。


「ご褒美ついでにさ、もう一ついいか?」

「はい、何でしょう」


 内容を聞く前から承諾してくれそうな彼女の態度に苦笑を一つこぼし、優人は、告げる。


「次の休み、俺とデート・・・して欲しい」

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