第102話『頑張り屋さんへのご褒美タイム』

 明との話し合いから早数週間が流れた五月下旬。その日は学生共通の試練である一学期中間テストの結果が発表がされる日だった。


 昼休み、テストにおける総合点数の順位表が貼り出された中庭の掲示板前にはすでに生徒が集まっており、一様に連なる成績上位者たちの名前を眺めている。


 その中でも一際騒ぎが大きいのが、二年生の順位表の前。

 その喧噪を少し離れた後方から見ている優人は、圧倒されたようにやや渇いた笑みをこぼした。

 自分のことじゃないのに感慨深さを感じるのも、何だか不思議な気持ちだ。


 正直、半ば予想通りと言えば予想通りの結果でもある。

 だって、彼女はそれだけ頑張っていたのだから。


 頑張るあまり根を詰めすぎやしないかと少し心配でもあったが、彼女なりにメリハリはしっかりつけていたらしい。

 テスト初日の朝に一緒に登校した時は曇りもなければくまの一つもない自信に満ちた笑顔で、「コンディションは万全です」と可愛らしいガッツポーズを見せてくれた。


 だからまあ、その努力に見合った当然の結果を勝ち取っただけと言えば、そうなのかもしれないけど――


「すっげ……」


 改めて目の当たりにしたそれは、優人の口から嘘偽りのない本音を引き出すのに十分だった。



『一位 空森雛』



 一覧の最右端に記された、すっかり馴染みのある彼女の名前フルネーム。他の名前と比べて特別大きくスペースを取っているわけでもないのに、清々しいほどの存在感を放っているようにも思えた。

 そう感じているのは優人だけでもないだろう。掲示板の前では雛の名前を指差す生徒の姿もちらほらと見かける。


 本当にすごい。


 歴代の記録を塗り替えるぐらいのぶっちぎりの一位――それが雛の宣言した目標であり、名前の下に書いてある総合点数はそれに相応しい数字を叩き出している。

 あくまで総合だけなので教科毎の内訳までは分からないけれど、逆算しても一、二教科ぐらいは満点を獲得してるのではないかと推測できるほどの高得点だ。


 歴代を越えたかどうかまではともかく、少なくとも優人がこの高校に入ってから目撃した中では最高得点で間違いない。


(良かった)


 ひとしきり感動を終えると、次に訪れたのは安心感だ。

 たかがテストの点数と言えばそれまで。だが、雛を見守り支えたいと思う身としては彼女の完全復活を知らしめる結果が何よりも喜ばしい。


 そして見事それを成し遂げた当の本人はといえば、仲の良い友人たちに祝福されながら掲示板の前にいた。

 たとえ自信があったにしても、本人にしか知りえない気負いは確かにあったはず。それから解放された雛の笑顔はとても明るく、周囲の男子の目を余すことなく奪っていた。


 できれば真っ先に祝ってやりたかったかも、なんて小さな独占欲に肩を竦めていると、不意に雛の視線がこちらに向く。たまたま優人を見つけたであろう彼女の笑顔は一層ふわりと柔らかく綻び、その表情の移り変わりにまた男子の目が注がれていく。


 そんな風に雛の行動に注目が集まる中だというのに……いや、だからこそなのだろう。

 集まる視線を一身に受ける雛が優人に向けてみせたのは――ほんのりと照れの混じった、けれど明確なピースサイン。


 当然わざわざそんなものを向けられた以上、雛に集まっていた視線のいくつかは優人の方にも注がれる。

 けど、それがどうした。

 注目をものともせず、優人は雛の努力を称えるように渾身のサムズアップを送り返すのだった。








「んぅ、美味しい……」


 その日の夜、夕食後の雛の部屋。約束したわけではないが何も無いのは寂しいので、こっそり用意していた自家製プリンを食後のデザートとして雛に振る舞わせてもらった。

 せっかくだし趣向を変えてもっちりとした食感が特徴のイタリアンプリン(また安奈にレシピを送ってもらった)を作ってみたのだが、雛は大いに満足してくれているらしい。


 一口食べるたび嬉しそうに頬を緩ませ、全身でプリンの味に浸っているご様子だ。優人にしても我ながらよく出来たと思っている。

 ほどなくしてプリンも食べ終わって食休みがてら二人でまったりしている中、優人は頃合いを見計らって口を開く。


「改めて一位おめでとう。見事なまでの有言実行だったな」

「はい、ありがとうございます。これも優人さんのおかげです」

「おいおい、頑張ったのも結果も出したのも全部雛だろ?」

「そうですね。……でも、私がそんな風に頑張れたのは、間違いなく優人さんのおかげなんですよ?」


 優しい微笑みを浮かべた雛は、そっと自分の胸に手を当てて言葉を紡ぐ。


「もっと甘えてもいいって言ってくれました。そんな風に安心して落ち着ける場所を作ってくれるから、私は頑張れるんです。本当に感謝してます」

「……そう言われると、なんかくすぐったいな」

「ふふ、ひょっとして照れちゃいました?」

「ノーコメント」


 指摘されなくとも、背中に走るむず痒さと頬に感じる熱がそれを証明している。

 あんまりにも雛が微笑ましそうに笑うものだから、少しだけじとりと睨んでみても効果が無い。優人の目つきにもすっかり慣れてしまったらしい。


「優人さん」


 食事の時の位置のまま、ローテーブルを挟んで対面に座っていた雛が優人の隣へと近付く。

 ほんのりと香る甘い匂いに胸の奥が軽く弾む中、雛は名前を呼んだ以上には何も言わず、すっと頭を優人へ傾けた。

 綺麗な金糸雀色の瞳は何かを期待するように柔らかく細められる。


(そういう約束だったな)


 雛が何を求めているのかを正しく理解し、優人は雛の頭にゆっくりと手を置いた。


「んぅ……」


 ふんわり、ふんわりと、空気を含ませるように群青色の髪を撫でつけ、時折ぽんぽんと叩く。とにかく優しく、頑張った彼女を労るように。


 雛の髪は以前にも増して手触りが良くなったように感じ、つい夢中になって触りたくなってしまう。

 けどここは我慢だ。今は優人でなく、雛の願望を満たしてあげる時間なのだから。


 ともすれば幼い子供にするような手付きであったが、雛はどこまでも心地良さそうに、鮮やかな薔薇色で頬を彩りながら感触に身を委ねていた。

 可愛らしさに溢れ、そして自分の手をこうまで受け入れてくれることが嬉しい。


「頑張ったな」

「頑張りました」


 伝えた言葉は短いものだったけれど、雛は面映ゆそうに口角を持ち上げて目を閉じる。

 誰にも邪魔されることのない二人だけの穏やかな時間。これから先もずっとこんな時間を共有できればと思う。


「――ん、ありがとうございました」


 時間にすれば二、三分程度だったか。自分の中で区切りを付けたらしい雛はぱちりと目を開けると、優人へお礼の言葉を口にする。


「もういいのか?」

「はい。頑張った分のご褒美はしっかり頂きました。すごく気持ち良かったです」

「そりゃ良かった」


 蕩けたような笑顔で「気持ち良かった」と言われるのは別の欲望を刺激されて心臓に悪いが、雛が欲するものを与えられたのなら本望だ。


 そうして優人が緩く息を吐いていると――


「それでは、次は優人さんの番ですね」


 そんなことを雛が言い出した。

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