第99話『とある人物からの申し出』

 大きなハプニングが起きることもなく過ぎる日々は、四月を終えて五月へ。つまり現在はゴールデンウィークの真っただ中にあり、今日の優人は一人、自宅でゆったりと静かな時間を満喫していた。


 午前中のまだそう気温も高くない時間帯、室内にはテレビから流れるバラエティ番組の音声が流れているけれど、適当に点けただけに話の大半は優人に届いていない。

 夜更かししたわけでも睡眠時間が足りなかったわけでないのに、ソファに座った優人の身体は船を漕ぎ出す始末。とうとう誘惑に抗えずソファに寝っ転がると、隣の部屋との境になっている壁の方へ首だけを向けた。


 隣人である雛は、今日は一日小唄たちと遊んでくるとのことだ。正確には午前中は試験に向けての勉強会であり、実際に遊びに繰り出すのは午後かららしいので今頃は図書館で机に向き合っているのだろう。


 休日でも行動にメリハリをつけているのが雛らしい、と軽く笑いながら身体の力を抜き、優人は本格的に睡魔に身を委ねようとする。

 今はだらける分、午後は雛を見習ってしゃっきりしなきゃなと思いつつ目を閉じた、その矢先のことだ。


 テーブルに置いたスマホのウ゛ーというバイブレーションが、すんでのところで優人の意識を引っ張り上げる。

 数秒待っても鳴り止まないことから察するに電話。母親である安奈辺りかと見当を付けて腕だけ伸ばしてスマホを手にすると、画面には予想と違い『木山芽依』の文字が表示されている。


 はて、何かあっただろうか。

 特に思い当たる節がなく、疑問に思いながら緑の通話ボタンへと親指をスライドさせた。


「――もしもし?」

『もしもし優人くん? あれ、もしかして何か取り込み中?』 


 直前にこぼれそうな欠伸を噛み殺したせいで返事に間が空いてしまった。

 半覚醒な頭を左右に振って叩き起こし、再度スマホを耳に当てて「大丈夫です」と答える。


「何かありましたか?」

『うん、ちょっと相談みたいなのがあって。……ちなみに今、近くに雛ちゃんっている? いたらちょっと離れてほしいんだけど』

「いえ、俺一人です。雛は友達と出かけてますし」


 含みを持たせた芽依の物言いに内心で首を捻った。つまるところ雛には聞かせたくない話ということだろうけど、余計にわけが分からなくなる。


『なら良かった。えっと、それで相談の内容なんだけど……その……』

「? 芽依さんにしては珍しく歯切れが悪いですね」

『私にしてはってなんだい私にしてはって。……まあいいや。実はね、優人くんに会いたいって人がいるの』

「はあ……どこのどなたで?」

『……雛ちゃんのご両親』

「え――」


 電話越しで告げられた言葉に息を呑む。眠気の残滓ざんしは完全に吹っ飛び、身体を起こしてソファに座り直しながらテレビも消す。


 雛の、両親。それは……まず、どっち・・・だ?


 現在の戸籍上において雛の親族に当たる義理の、つまり空森の家の人間か。

 ――それとも未だ名字すら知らない、雛を捨てた本当の両親か。


 芽依が雛の事情をどこまで把握しているか分からない以上、迂闊に確認するわけにもいかない。

 内容が内容だけに目覚めたばかりでもすぐに回り始めた頭で考えること数秒、優人はおもむろに口を開く。


「雛の両親って……空森さんご夫婦ってことですよね?」

『え? ああうん、そうだよ。その人たちから電話で、優人くんに会わせてくれないかって頼まれたの。あ、ちなみに雛ちゃんには内緒でね』


 微妙なニュアンスを織り交ぜた質問が芽依に気取られることはなかったらしい。半ば予想通りの結果を聞き出し、優人はひっそりと肩の力を抜いた。


 芽依から話を振られた直後は動揺したが、少し落ち着いてみれば可能性なんてそれしか考えられない。

 雛の本当の両親は雛もその行方を知らず、もっと極端に言えば生死すらも不明なのが現状。こちらがそうである以上、相手だってこちらのことをそう把握しているとは思えないし、芽依の連絡先だって知らないはずだ。


 ……そもそも連絡があったところで、もうずっと前に我が子を捨てた薄情者が今さら何の用だという話だが。

 渋面を浮かべそうになった優人は額に手をやって息を吐き、次なる疑問を芽依に尋ねる。


「どうして俺に会いたいんですか? 理由が分かりませんし、そもそも俺のことなんて知らないでしょ」

『あー、それなんだけど……』


 電話越しだというのに、芽依が目を泳がせているのが何となく分かった。


『ごめんっ、私のせいなんだ!』

「……どういうことです?」


 いきなり謝られてしまったわけだが、依然としてさっぱり状況が分からない。謝罪するということは何かしら芽依がやらかしたのだろうけど、それがどうなって優人にまで飛び火するのか。


『この前契約更新した時の話って覚えてる? 雛ちゃんがカッコよかったーってヤツ』

「ああ、一人暮らしの費用は必ず返すからここに住まわせてくださいって両親に頼み込んだ……とかでしたっけ?」

『それそれ。しばらくして向こうから連絡があってね、雛ちゃんがそういうことを言い出した理由に何か心当たりありませんかって訊かれたの』

「雛の心境の変化が気になったってことですか」

『たぶんそういうことだと思う。それで、結構真剣に訊いてくるもんだから、ついうっかり……隣に住んでる男の子の影響かもしれませんねーって、口を滑らせちゃって……』

「……なるほど」

『本当にごめん……。全面的に私が悪かった』


 芽依が真剣に謝っていることは珍しく沈んだ声音から読み取れる。

 住人の情報を迂闊に漏らすなど大家として褒められた行為ではないと思うが、ひとまずそれは脇に置いてもいい。とりあえず最低限の話の流れは理解できた。


「つまり、娘に寄り付く悪い虫への牽制ってことなんですかね?」

『んー……あくまで私の印象になるけど、そういうマイナスな話って感じではないと思うんだよねえ。本当に、ただ単純に会って話してみたいだけ……みたいな?』


 人を見る目という点において、芽依の洞察力は信頼できるものだと優人は思っている。その彼女が言うのだから、少なくとも出会い頭から悪感情を向けられることはないと思いたい。


『どうする? もちろん向こうには本人の返答次第って言ってあるし、優人くんに会う気がないならその時は私が全力で断るから』

「…………」


 思考を巡らせる。

 雛の家庭事情は紛れもなくデリケートな問題だ。優人が下手に入り込んで余計に問題がこじれたら目も当てられない。だから、申し出を断ってスルーする方が安全策ではあるだろう。


 ――けど、もし何か、問題を改善できるきっかけが少しでも得られるならば。

 

「……会うって方向で伝えてもらえますか? 何なら俺の連絡先を教えてもらってもいいので」

『いいの? 突然だし、少し時間を置いてからの返事でも大丈夫だよ?』

「今ならゴールデンウィーク中で時間も取れますから。俺としても気になるんで、もやもやするぐらいなら早く済ませたいです」

『……分かった。でも優人くんの連絡先についてはまだ控えとくね。今の私が言えた話じゃないけど、個人情報は無闇に伝えるものじゃないから』

「はい。なら仲介役はお任せします」

『任された。とりあえずゴールデンウィーク中のどこかで会えないかってことでいいかな?』

「それでお願いします。今のところ俺はいつでも大丈夫なんで」

『了解、返事があったらすぐに知らせるよ。それじゃあね』


 芽依との通話が切れる。

 なまじ人と話したために通話前よりも一段と静謐せいひつさを感じる室内で、優人はソファの背もたれに身体を沈めた。


 果たして、鬼が出るか蛇が出るか。

 そこまで重く捉える話でもないと思うが、それぐらいの心構えをしておくに越したことはない。

 相手がどういう意図で優人と会おうとしているかは不明だ。何故雛ではなく優人なのかという疑問もある。

 けれど、それもこれも当日になれば分かるだろう。


 現段階でいくら考えても答えの出ない問題には早々に見切りをつけ、優人は両手で頬を叩いて気合いを入れた。


 雛には悟られないように。優人が念頭に置くのはひとまずそれだ。

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