第93話『後輩たちとの賑やかな昼食』

 春休みを終えて始業式の日が到来し、高校最後の一年間が始まりを迎える。

 などと表現すれば大仰にも聞こえるが、優人の高校生活に何か大きな変化があるのかと言えばそれは否だった。


 はっきり言って交友関係の狭い優人はクラス分けに特別な思い入れもなく、強いて言えば、一騎やエリスと引き続き同じクラスだったことがありがたいと思ったぐらい。仮に雛と同じ学年ならば一緒のクラスにと願ったと思うが、最初から断たれている可能性には未練も感じない。


 在校生の始業式と新入生の入学式を兼ねた全校集会の後、各教室で行われたホームルームの内容もまあ当たり障りのないものだろう。

 とにもかくにも進級を祝う挨拶から始まり、最高学年である自覚を持つようにだの、卒業後の進路を見据えて日々の勉学に励むようにだの。


 最後については正直頭を悩ませるところなのだが、実際ある程度の方向性ぐらいはいい加減固めておかないとだろう。

 とりあえず進学に舵を切っておぼろげに考えていると、ホームルームの時間は過ぎていく。


 午前中で授業も終わり、部活もないのでそのまま帰宅だ。一騎とエリスは二人揃って早々に帰宅し、雛もクラスの子たちとの付き合いを優先するようなので、今日は昼食の相手がいない。

 それならそれで一人で済まそうと思って学食に顔を出してみたわけだが。


(混雑してるなあ)


 人の多い学食内を見回し、優人は内心で一人呟く。

 新入生である一年が物珍しさで来てるのもあるのだろう。普段以上の盛況ぶりを見せつける学食のテーブルはすでに大部分が埋まっており、窓際のカウンター席に至っては完全に空きがない。この混雑では一人でテーブル席を使うのも気が引ける。


 購買にするなりさっさと帰って外食するなりに切り替えることもできるが、割と空腹な上に、何だか無性に学食の唐揚げ丼が食べたい気分だったりする。

 早めに空きそうなカウンター席でもないかと壁際で目を走らせていれば、そんな優人の前によく見知った少女が現れた。


「こんにちは。優人さんも学食ですか?」


 親しみを込めた優しい微笑で整った顔を彩り、雛が優人にそう話しかける。

 耳に心地よい澄んだ声音に心を和ませつつ、優人は苦笑混じりに学食の混雑模様を顎でしゃくった。


「そのつもりだったんだけど、この有り様だからな」

「新入生の子たちが多いですもんね」


 優人の後を追いかけるように雛も苦笑を浮かべる。

 満面というわけでもないその笑みにすら近くにいた新入生の男子数人が目を奪われているのだから、雛の美貌は相変わらず異性を引きつける魅力があるらしい。


 そんな雛はといえば鞄を持たず携えているのは財布だけなので、すでに席を確保した後のようだ。


「もし良かったら私たちの方に来ますか? 四人掛けで席は埋まってますけど、予備の椅子さえ用意すればテーブルのスペースは作れますから」

「そりゃありがたいけど、一緒に食べる相手ってクラスの友達なんだろ? 俺が入ったら邪魔じゃないか?」

「ええ、だから確認してみてからになりますが……ちょっと待っててください」

「あ、おい、雛」


 優人の制止を待たず、雛は小走りで確保したであろう席の方へと駆けていく。

 いらぬ気を遣わせてしまっただろうか。雛の配慮に感謝と一抹の申し訳なさを覚えつつ、優人は壁に寄りかかって雛が戻るのを待つことにした。






 すぐに戻ってきた雛から、優人の飛び入り参加が快諾されたことを伝えられた。少し意外なものを感じると同時、半数以上が初対面の後輩たちの中に入り込むのはやや気後れするのだが、わざわざ許可を貰ってきた雛に「やっぱいい」と断ってしまうのも悪い。


 食べるだけ食べて早めに退散すればいいかと考えつつ、目当ての唐揚げ丼を購入してから雛の案内の下でテーブルに辿り着く。

 そこで待っていたのは三人の少女だった。


「やっほー先輩、椅子持ってきたんでそれ使ってください」


 一人は部活の後輩である小唄。チャームポイントのシュシュでまとめたサイドテールの髪を揺らし、いわゆるお誕生日席の位置に用意された椅子を指している。


 そして、小唄の対面で横並びに座っているあとの二人は初対面だ。雛と一緒にいるところを何度か目にしたので顔と雰囲気には何となく覚えがあるが、こうして面と向かってになると完全に初だと思う。


「えっと……三年の天見優人だ。悪い、ちょっと邪魔させてもらうな?」


 ある程度は雛から伝えられてると思うが、自己紹介の一つもせずに座席に着くのは礼儀知らずだろう。

 我ながら人付き合いに長けているわけでないと自覚しているけれど、年下の方から歩み寄ってもらうのを待つのも情けないので、なるべく目つきを柔らかくして彼女らに声をかける。


「初めましてー、ひなりんのクラスメイトの西村にしむら双葉ふたばです」

「どうも、一ノ瀬いちのせ麗奈れいなです」


 ぱっと見の印象で、人懐っこそうな可愛い系の方が双葉、黒髪ロングのクールな雰囲気の方が麗奈とのことだ。

 とりあえずあからさまに邪険にされることも怖がられることもなさそうな態度にひっそりと胸を撫で下ろしつつ、優人は唐揚げ丼を載せたトレーをテーブルに置いて、用意してもらった席に着く。


 雛も優人のすぐ斜め左の席に腰を下ろした。


「先輩ハーレムっすね。今のお気持ちを率直にどうぞ」

「今ので余計に肩身が狭くなったわやかましい」


 小唄からのからかいを一蹴する。

 優人を受け入れてくれた彼女らの前で言葉にするのも忍びないが、さっきから周囲の視線をひしひしと感じるのが現状だ。


 何せわざわざ付け足した感バリバリのお誕生日席というポジションに加え、小唄の言う通り男女比一対四のハーレム状態。嫌でも唯一の男である優人の存在は目立つ。


 しかもこのテーブル、総じて女性陣の顔面偏差値が高い。

 優人にとって誰よりも魅力的な雛は言わずもがな、小唄もそうだし、双葉や麗奈も系統は違えど顔立ちは間違いなく整っている。


 それに引かれた男子たちの視線が、そのまま優人にも嫉妬という形で注がれるのは致し方ない流れだろう。


「言っておきますけど、双葉さんも麗奈さんも学外に彼氏さんがいますからね?」

「……何でそれを今付け足した?」

「……な、なんとなくです」


 何故だがちょっとむくれ気味の雛から脈略のない補足を頂戴した。ふっくらと頬を膨らませた可愛らしい様子に首をを捻る優人だが、理由を追求するよりも早く雛には目を逸らされてしまう。

 少なくとも今は雛以外眼中にないんだけど、といった文句はもちろん胸の内に押し込め、優人は箸を手に取った。


 周囲からのそこはかとない圧はさておき、別に後ろ指を指されるような行いをしているわけではないのだ。せっかくスペースまで捻出してもらったわけだし、堂々とありがたく利用させてもらおう。


「全員クラスメイトなんだって? ってことは雛と小唄、今年は同じクラスになったんだな」


 各々おのおの購入したものを食べ始める中、確か去年は別のクラスだったことを思い出して優人が口に出すと、小唄は上機嫌な笑みを浮かべて隣の雛に肩を寄せる。


「そっすよー。雛ちゃんとは同じクラスになれたらいいなーと思ってたんで、今年はのっけから幸先いいっす」

「ふふ、私もですよ。一年間よろしくお願いしますね、小唄さん」


 お互いを名前で呼ぶようになっている辺り、一段と仲が深まったのだろう。

 仲睦まじい姿を視界の端に捉えつつ口元を緩めていると、今度は逆サイドから「あの」と静かな声がかかる。


「どうした?」


 声の主は麗奈だ。


「ちょっと訊きたいんですけど、実際のところ天見先輩って雛とはいつから知り合いなんですか? 正直マラソン大会がきっかけって感じには思えないんですけど」

「あー、それは……」


 視線で雛に問うと、こくりと頷かれる。全てとまではいかないが、この二人には正直に話してもいいらしい。


「実を言うと、去年の秋ぐらいからでな。知り合ったのはただの偶然だけど」

「私が文化祭の備品を片付けてた時、優人さんが手伝ってくれたんですよ」

「へえ……人柄については雛からある程度聞いてましたけど、お優しいんですね」


 サンドイッチを食べながらの麗奈の言葉に、小唄が「でしょ?」と相槌を打つ。


「目つきはアレだけど、いざ話してみると意外と付き合いやすい人だよ」

「目つきはって……え、そういうこと言っていいわけ……?」

「別にいいぞ。それに関しちゃ自覚あるし」


 あえて大げさに肩を竦めてみせると麗奈は「はあ……」と曖昧に苦笑し、隣の双葉も呆れたように渇いた笑みを浮かべた。


「ホント人の噂って当てになんないよねえ」

「噂?」

「その、一時期なんですけど、私たちの学年の間で天見先輩が話題になったことがあって……」

「ああ、学年末テストの直後のヤツか」

「あー……やっぱりご存知なんですね」

「噂の内容もおおよそな」


 優人は軽く鼻を鳴らして答える。

 雛が大幅に成績を落とすというちょっとした事件があった学年末テストの後、その原因が優人にあるのではないかという憶測が広まったことは記憶に新しい。

 あからさまな疑いの視線こそもうほぼ感じないが、水面下ではまだ続いているところもあるだろう。


 気にしたって仕方ない。優人がそう斜に構える一方で、雛はむんっと引き締めた表情を見せる。


「安心してください優人さん。五月の中間テストで一位に返り咲いて、その噂をきっぱり否定してやりますから」

「わお、ひなりんやる気満々だ」

「こうなった雛はほんと頑固よね。まあ、あれだけブチ切れるぐらいだったわけだし当然と言えば当然だけど」

「テストの順位発表された日の放課後だったよねー。あの時のひなりんは怖かったなあ……」

「ぶ、ブチ切れたって、私はそんな……」


「そういや俺、それについては詳しく知らないな」

「あたしも知らない。雛ちゃんどんな感じだったの?」

「えーっと……あれ、ひなりんどんなこと言ってたんだっけ?」

「さ、さあ? 私もよく覚えてませんし……」


「『私を心配してくれるのはいいですけど、これ以上見当はずれの馬鹿げた憶測であの人のことを悪く言うのはやめてもらえますか? そもそもそんな現場を見たことがあるんですか? あの人が私の邪魔をして、足を引っ張ってる光景を一度でも目にしたことがあるんですか? ――無いですよね? 無いのにどうしてそんなことが言えるんですか? ちょっと、訊いてるんですからはぐらかさないで答えてくださいよ』」


「ちょ、な、何でそんな鮮明に覚えてるんですか麗奈さんっ!?」

「そう言うってことはひなりんも覚えてるんじゃーん。れーちゃん、続き続き」


「『あなたたちが優人さんを好きになるならないは勝手ですけど、私の前で二度と根拠のない侮辱をしないでください。あの人は、決してそんなことを言われるような人じゃ――』」

「ストップ! 麗奈さん本当にストップ!」


「まあまあ雛ちゃん、もうちょっと、もうちょっとだけねー」

「小唄さんまで!? ああもう助けてください優人さん……!」

「今回はパス」

「優人さん!?」


 とても賑やかな昼食の時間は、まだ始まったばかりだ。

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