第87話『即断即決』

 今日の目的である花見は無事に終えたが、時間はまだ十分にある。季節が春となった今ではまだ日も高いのでせっかくだからもうちょっとぶらつきませんか、というのが雛からの提案だった。二つ返事で頷くに決まってる。


 公園からまたバスを利用し、やって来たのは商業施設。レストランや各種ショップはもちろんのこと、上の階には映画館もあるかなり大型の建物だ。

 当てもなくぶらつくならこういった場所がうってつけだろうと思って来てみたわけだが、春休み中ということもあって公園同様に人の数は多い。そして雛に注がれる視線の数もまた、それとイコールだ。


 仕方ないとは思うが、公園の時のような横槍はこれ以上入れられたくない。階層表示の案内板を眺めている雛との距離を優人はそれとなく縮めておく。


「何か見たいものとかあるか?」

「フェアもやってるみたいなので、とりあえず服は見ておきたいですね。優人さんはどうですか?」

「俺は……」


 お洒落に目敏いところはさすが女の子だよなと思いつつ、優人も案内板にざっと目を走らせる。考えること数秒。


「……言っても笑わないか?」

「な、何ですか急に。笑うつもりなんてありませんけど」

「……地下食品街の、スイーツショップ巡り」

「はあ……?」


 いまいちピンと来てなさそうに首を傾げる雛。


「いや、買いたいわけじゃなくて単純に見て回るだけなんだけどさ……こう、店頭に並んでる商品を見るだけでも意外と楽しいというか、色使いとか砂糖菓子の細工とか、見てると色々参考になるというか――」

「ふっ、ふふっ」


 我ながら顔に似合わない提案をしたと思ってしどろもどろな言葉を紡げば、雛は口元を手で隠して顔を背けていた。


「……笑わないって言っただろ」

「だって、神妙な顔で何を言うかと思ったんですもん。なかなか可愛らしい提案ですね」

「うるさいな。親が親だから、自然とそういうところに目がいくようになってるんだよ」

「職業病と似たような感じですかねえ。いいですよ、つまるところウィンドウショッピングですし、美味しそうなものがあったら買っちゃいましょう」

「なら後回しにするか。大体は冷蔵品だろうし、途中で買うと荷物になる」

「そうですね。では、先に私の方に付き合ってもらっていいですか?」

「はいよ、仰せのままに」


 少し気取った仕草で答えれば、雛はくすりと軽やかな笑みをこぼすのだった。







 服と一口に言っても種類は色々とある中、雛が買いたいものはどうやら寝間着の類らしい。

 パステルカラーを中心に明るい色合いの商品が並ぶ一角に到着するや否や、雛は商品を手に取るよりも先に優人の方へ顔を向けた。


「優人さん的にはどういうのがいいと思いますか?」

「え、俺?」


 聞き返せば「はい」と首肯で返される。

 どっちがいいかぐらいは意見を求められるかもと思っていたが、まさかいきなり振られるとは思わなかった。そもそも実際に着るのは雛なのだから自分の好みを優先すればいいのでは、とやや腑に落ちないものを感じつつ、マネキンに着せてある物や棚に並べられたものを見比べていく。


「そうだな……これなんかいいんじゃないか?」


 手にしたのはこれからの季節でも快適に過ごせそうな淡いブルーのパジャマだ。薄手のシルク素材で肌触りがよく、近くの商品説明のポップによれば通気性も抜群とのこと。

 半袖のシャツとショートパンツの上下セットとなっており、デザインとしては割とシンプル寄りだ。例えばネグリジェのようなひらひらした寝間着であっても雛は似合いそうだが、ある程度の実用性も考慮すればこういったタイプの方が過ごしやすいと思う。あと値段的にも手頃だろう。


「なるほど、これですか」


 優人が差し出したパジャマを雛は受け取ると、さっそく近くに設置してある姿見の前でシャツを合わせる。それからくるりと背後を振り返ると、どこか楽しそうな微笑みと共に小首を傾げた。


「どうです、似合ってますか?」

「……ああ、似合ってる」


 最初からそういうつもりで選んだけれど、軽く身体にあてがってみるだけでも予想以上の似合いっぷりだった。

 雛の清楚な雰囲気と淡い色彩が見事にマッチし、光沢のあるシルク素材のおかけで上品な印象も感じられる。実際に雛が着れば着用イメージのモデルとして申し分ないだろう。


「分かりました。サイズも問題なさそうなので、これを買ってきます」

「他のは見なくていいのか? 俺のはあくまで一意見ってことでいいんだぞ?」

「いえいえ、優人さんのお墨付きが頂ければ十分ですよ」


 特別ファッションセンスに優れてるつもりはないのだが。

 しかしそれを口にするよりも早く雛はレジに向かってしまうので、優人は慌ててその後を追った。


(判断が早いという何というか)


 その思い切りの良さに呆れる一方、正直嬉しくもあった。

 好きな女の子が、自分が似合うと思った服を進んで着てくれる。男として舞い上がるものがあるに決まっている。

 寝間着ともなれば、基本的に着用するのは入浴を済ませた後になるだろう。


 ――風呂上がりの雛。赤みの混じった白い素肌と、その火照った肌に張り付く湿り気のある髪。きっとほんのりと甘い香りもして、女性らしいほどよい起伏に富んだ雛の身体を包むのが、優人の選んだパジャマ。


(……超見たい)


 なまじ自分が勧めたパジャマなだけに、そんな欲求が自然と沸き上がってくる。

 しかし私服ならいざ知らず、寝間着ともなれば拝める機会なんてそう易々と訪れないだろう。

 いっそ風呂上がりであろうタイミングを窺い、何か適当な理由をつけて雛の部屋を尋ねてみようか……。


(……いやそれはダメだろ)


 偶発的ならまだしも、狙ってそうしようだなんて。

 だいぶ変態寄りな考えに及んでいる自分に辟易とするものの、潔く諦めるにはなかなか難儀な欲求であった。

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