第81話『たまに不安になる』

 高校二年生の学生生活を終えるまで、あと一日というところまで来た。

 すでに卒業式は過ぎて三年生は校内から姿を消し、優人たち在校生も明日の終業式を終えれば春休みだ。

 と言っても特に感慨深いものがあるわけでもなく、むしろ短い方とはいえ長期休みに入れる解放感の方が大きい。春休み中に雛との花見を予定している身としては、何よりそれが待ち遠しいところである。


 今日の放課後は料理同好会としての活動を行い、その内容は一年間お世話になった家庭科室の掃除だ。

 優人がシンクを磨く傍ら、もう一人の部員である一つ年下の後輩――鹿島かしま小唄こうたは棚の奥にある同好会の備品の整理を進めていた。


「先輩、最近空森ちゃんとはどうなんすか?」

「どうって何が?」


 前にもこれと似たような状況があったか、なんて頭の片隅で思い返しつつ、シンクに残った水垢をスポンジでこすりながら小唄の問いに応じる。


「またまたとぼけちゃってー。お昼ご飯とか登下校とか、最近は一緒の機会がずいぶんと多いみたいじゃないっすか」

「まあな」


 それ自体は真実なので素直に肯定する。

 お互いの友達付き合いまでないがしろにするつもりはないので毎日というわけではないが、以前に比べ学校で雛と一緒にいる時間は格段に増えただろう。

 そのことについて、雛の成績低下の原因が優人にあるのではないかという疑いは未だ晴らせてないから懐疑的な視線もあるが、小唄の声音にはそういった考えは見受けられない。


 実は少し前の部活でどう思っているかそれとなく訊いてみたら、「仮にそうだったら先輩はとっくに自分の方から離れてるでしょ?」という返答を頂いている。ちょっと目頭が熱くなったのは内緒だ。


「……ぶっちゃけ先輩って、空森ちゃんのこと好きですよね? ライクじゃなくてラブ的な意味で」

「――っ」


 ストレートな指摘に優人は口をつぐんだ。

 色々と噂されている自覚はあるが、こうして真っ正面から問われると対応に困る。


 微かに視線を上げた先にいる小唄は棚の方に目を向けこちらには背中を見せているので、どういう表情で訊いてきたのかは分からない。

 からかうつもりでほくそ笑んでいるのか、それとも真剣な面持ちなのか。


「それ、は……」

「そう隠さなくてもいいじゃないっすか。これぞ美少女っていうあの顔に、出るところは出て引っ込むところは引っ込んだあのスタイル! あんな女の子だったら、男は誰でも好きになるに決まってますもん」

「…………」

「別に見た目だけで好きになったわけじゃねーんだけど、って言いたげな顔っすね?」

「っ!?」


 弾かれたように顔を上げると、いつの間にか振り返っていた小唄が口元に手を当てて優人を見ている。たとえ手で隠されていようとも彼女の口角が持ち上がっているのは嫌でも分かった。


 タイミングの悪いことに備品の整理は終わったらしい。調理台に近付いた小唄は丸椅子の一つに腰を下ろして頬杖をつき、図星を突かれて唇を噛む優人の表情を愉快そうに見上げた。


「本当の意味で好きなんすねえ、空森ちゃんのこと」

「うるせえ悪いかよ」


 さすがにここまで分かりやすい反応を晒した後に誤魔化しても後の祭りだ。

 代わりにシンクの水垢に八つ当たりして力任せにスポンジを擦りつつ言葉を吐き捨てれば、小唄はけらけらと弧を描いた口から白い歯を覗かせた。


「別に悪いなんて言ってないっすよ。いいじゃないんすか、あたしとしてはお似合いだと思いますし」

「……この際訊くけど、本当にそう思うか?」

「んえ?」


 優人がぽつりと呟いた言葉に小唄が首を傾げた。


「どういう意味っすか?」

「俺みたいに目つきの悪い奴が、雛の相手に相応しいのかって話」


 シンクの磨きを一通り終え、その縁に両手を突く。鏡面仕上げというほど磨き上げられてはいないが、光沢を取り戻したシンクの底には優人の胸から上の輪郭がぼうっと浮かび上がっているように見えた。

 もっと鮮明ならば、そこに映し出されるのは毎朝鏡で顔を突き合わせている目つきの悪い男の顔だ。


 自分のことをあまり卑下するものではないと思うし、顔の造りに関しては今さらどうこう言ったところで意味のないことだと理解はしている。

 けれど、やっぱり時々不安になる。小唄が言ったようにこれぞ美少女である雛と優人は釣り合いが取れているのか、と。


 無論、釣り合い云々は外見に限った話ではない。

 好きになって、一緒にいる時間を増やして、前よりもずっと雛のことを目で追うようになって、より一層雛が異性として――いや、人として魅力的な存在であるかを思い知らされる。

 結果、雛を想う自分の気持ちは実は不相応でないのかと、そういう後ろ向きな不安が時折鎌首をもたげるようになった。


 我ながら情けない話だとも思うから小唄には呆れられてしまうかと身構えていると、しばし間を置いた彼女は少し真面目な顔付きで口を開く。


「質問に質問を返すようで悪いんですけど、仮に私が『お似合いじゃない』って言ったら先輩はそれで諦めるんすか?」

「……それはないけど」

「だったら先輩のその質問はナンセンスってもんすね。ナルシストはもちろんお呼びじゃないっすけど、自信が無いのも考えもんだと思いますよ?」

「耳が痛いなあ……」


 紛うことなきド正論だ。


「まあ、気になる気持ちも分かりますけど。でもお世辞とかご機嫌取りで言ってるわけじゃないんで、そこら辺は安心してくれていいっすよ? それこそ見た目だけの話じゃなくて、二人の雰囲気とかそういうの引っくるめての感想ですから」

「そう言ってもらえると助かる」


 結果的に後輩に励まされる形になって自分の情けなさが余計に際立って感じるが、おかげで気が軽くもなった。

 雛の隣に立とうと思うなら、こういった意識の改革も進めていかないといけないだろう。


 深呼吸して気持ちを切り替えると、真面目な表情を崩した小唄がニヤリと口の端を歪める。


「にしても、そんなことを考えて不安になるなんて先輩も結構可愛いところあるんすねえ」

「……うるさい、人を好きになりゃ誰でもこうなるわ。だいたいそういうお前はどうなんだよ?」

「あたしは特には。そもそも今は弟妹ていまいたちの面倒を見るのもあるんで、恋愛は大学に入ってからぐらいでいいかなって思ってますし」

「そうなのか。なんか大変そうだな」

「でも恋バナは大好きなんで、これからも続報期待してるっす!」

「良い笑顔で親指を立てるな」


 力強いサムズアップを見せつけた小唄に、優人は苦笑混じりのため息をこぼした。

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