第79話『贈り物の行方』
「ごちそうさま」
「はい、お粗末様でした」
テーブルの向こう側で同じように手を合わせた雛は穏やかに表情を崩し、空の食器を重ね始めた。
「悪いな、今日もご馳走になって」
「気にしないでください。一人分も二人分も大して変わりませんし、食材を使い切れる分、私としてもやりやすいので」
緩めた表情はそのまま、どこか歌うような弾んだ口調で雛は手を進める。作ってもらった上に片付けまで任せるのは忍びなく、食器をまとめて台所の流しまで運ぶのを手伝えば、雛は「ありがとうございます」と柔らかな笑顔で優人を見上げた。
ここ最近、こうして雛に夕食を振る舞ってもらうことが、本当に多くなった。
雛から夕食の席に誘われるとつい甘えてしまうし、さすがに甘えすぎかと思って断ると、本人は気付いてないかもしれないが目に見えてしょんぼりとするので、余計に断りづらい。
もはや日常と言っても差し支えないだろう。どう計算しても金銭面では雛が割を食っているはずなので、手間賃込みで色を付けた食費を渡してしまえば、いっそ食費は折半にしてこれからは毎日食べませんかと提案される始末。
今夜に至ってはとうとうリクエストまで求められてしまい、ふと思い浮かんだ鶏のから揚げを所望してしまった。揚げ物なんて諸々の準備や後片付けが大変だろうに、それをおくびにも出さずに雛は快く引き受け、外はカリッと中はジューシーな最高の一品が食卓に出されたのであった。
すっかり雛の味にハマってしまったと思う。
もちろん好きな相手の手料理を食べられるなんて幸せだし、そういった感情を抜きにしても抜群に美味しいのだから、食費を払うだけで恩恵に預かれるのなら願ったり叶ったりなのだが。
胃袋掴まれてるよなあと思いつつ、残ったおかずを慣れた手付きで保存容器に移す雛の背中を眺める。後頭部でまとめられた群青色の尻尾が揺れる様を微笑ましく感じると同時に、もし雛が奥さんになったらこんな感じかと想像してしまう。
(――何考えてんだか)
恋人すらも飛び越した未来に頭を振る。最近は色々と浮ついた考えをすることが多いから、いい加減自制しておかないとだ。
食後は雛が煎れてくれたお茶でまったりしながら食休み。お腹の具合も落ち着いたところでどちらかが食器洗いを済ませ、そうして優人が帰るというのが普段の流れだ。
けど、今夜は少し違う。
そろそろ頃合いかなと思って視線を送ると、読書中だった雛はそれに気付いて顔を上げ、期待に満ちた目で優人を見返した。
「あー……そろそろ作ろうか?」
「はい、お願いします」
ホワイトデーのお返しは食後のデザートとして振る舞うから、というのは雛の部屋を訪れた時から予告していたのだが、そんな風に目に見えて期待を寄せられると緊張する。
かといって今さら尻込みするわけにもいかないので、事前に持ってきた荷物から計量済みの材料やエプロンを取り出し、優人は気を引き締めて台所に立った。
「あ」
背中で小さな声が上がった。
ほんのりと喜びを孕んだ音色に振り返ると、いつの間にか近寄っていた雛が面映ゆそうに口元を緩めている。
「どうした?」
「いえ、そのエプロン、ちゃんと使ってくれてるんだなって思って」
「ああ、なるほど」
納得して頷く。
クリスマスプレゼントとして雛から貰った濃紺色のエプロン。クリスマス前まで使っていた古いエプロンを完全に部活用として学校に置き、こっちの方は自宅専用として使い分けていた。そういえば着ている姿を雛に見せるのは初めてだろうか。
「悪いな、なるべく汚さないようには気を付けてるんだけど」
腰回りの布地をつまんで広げると、少なからず汚れやシミの跡が見受けられる。
洗濯を始めとする手入れは怠っていないつもりだが、どうしたってまっさらに綺麗な状態とまでは維持できない。
そんな優人の謝罪にふわりと笑った雛は、首を横に振って受け止める。
「いいんですよ、汚れから守るのが本来の役目なんですから。むしろ使ってくれてることが実感できて嬉しいぐらいです。――似合ってますよ、優人さん」
淑やかな微笑みで称賛され、背筋をぞわぞわとしたむず痒さが駆け上がる。熱を持ち始めた顔を、手元に向けることで雛の視界から隠した優人は、ややぶっきらぼうな調子で口を開いた。
「ほら、すぐに作るから大人しく座って待ってろ」
「はーい」
くすりと軽やかな笑みをこぼし、雛は言いつけ通りに読書に戻った。
台詞だけなら親子の会話のようだけれど、精神的優位においてはほぼ真逆になっていることだろう。
逸る心臓を鎮め、優人はエプロンの腰紐を締め直す。期待されている以上、優人のプライドにかけて見合うだけの一品を作りたい。
余談だが、優人がクリスマスプレゼントであげた犬のぬいぐるみ――確か『ゆーすけ』と名付けられたのだったか――は、雛のベッドの枕元に置かれている。どうやらそれが彼の定位置のようで、雛の部屋を訪れる時は大体そこでふんぞり返っている印象だ。
自分でプレゼントしておいて、毎晩雛の寝顔を眺めることのできる彼の立場を恨めしく思うのは、果たして身勝手なのだろうか。
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