第78話『ホワイトデーに向けて』

 三月十三日、日曜日。休日である以上登校の必要もないその日の午前中、制服の上からエプロンを着用した優人は学校の家庭科室にいた。

 同好会の活動ということで部屋の使用許可を取り付け、こうして一人で黙々と活動に勤しんでいる。


 本日の目的はただ一つ――明日に控えたホワイトデーに向けての試作品作りだ。


『ああいうのってできますか? ふわふわしたパンケーキ』


 そんなリクエストを雛から頂戴したのが、今から約一ヶ月前のバレンタイン翌日。

 あれから色々あって結構前のことのように感じるが、リクエストそのものはしっかり覚えている。


 とても美味しかったチョコレートへのお返しなのはもちろんのこと、想いを寄せる相手へ送るものとなれば俄然やる気が湧いてくるというもの。なのでこうして自宅から持ち寄ったり、登校中に立ち寄ったスーパーで買い足した材料などを使って試作品作りに励んでいるわけだ。


 わざわざ学校の家庭科室を借りたのは、自宅の台所よりは圧倒的にスペースが広く取れることに加え、万が一にでも隣に住む雛に悟られたくないためである。

 まあ、リクエストを貰っている以上は半ば勘付かれているとは思うが、準備に関しては少しでも水面下で進めたい。見られるのは何となく恥ずかしいし。


 とにもかくにも試作品ver.3まで焼き上げたところで、一息ついた優人は家庭科室の丸椅子にどっかりと腰を下ろした。


「……なんかしっくりこねえ」


 テーブルに頬杖を突きながら合計三枚のパンケーキを見比べる。

 時間が経って生地がしぼんでしまった一枚目と二枚目はさておき、三枚目はなかなかのふっくら具合に仕上がっていた。試しにつまんでみても味は問題ないし、久しぶりに作った割には焼き加減の勘は錆び付いていないと思う。


 なのに、何か物足りなさを感じてしまうのは何故か。


 無論、当日に雛へ出す時はソースや果物でデコレーションするつもりなのでもう少し華やかにはなるけれど、そういった意味での物足りなさとは違う。

 違和感は一枚目から感じていたから、二枚目以降は焼き時間や火力を少し変えてみたりしたが、それでもやっぱり納得ができない。


 今の自分には何かが足りない――……というよりはこれは、雛へ贈ることを考えるあまり、完成度のハードルが自然と高くなってしまっているのだろう。

 そう冷静な自己分析を下すことができたところで、自分一人では改善の余地が浮かばないのが今の悩み所だ。


 しばらくうんうんと頭を振った後、制服のポケットからスマホを取り出した優人は電話帳を開き、目当ての相手の番号をタップする。外国に在住している相手との時差を考慮すれば、向こうは夕方と夜の境目ぐらいのはずだ。


 数秒のコール音が流れ、電話をかけた相手――優人の母親である天見安奈あんなが電話口に出た。


「もしもし?」

『もしもし優人? どうしたの、急に電話なんて』

「ちょっと訊きたいことがあるんだけど、今は大丈夫か?」

『ええ。今日はお休みでゆっくりしてるから大丈夫よ』


 柔らかくも一本の芯を感じさせる母の声。クリスマスに直接会ってからはメールでの簡単な近況連絡しかしていなかったが、元気そうで安心だ。


『それで聞きたいことって?』

「あー……テレビでパンケーキの特集やってるの見たから久々に作ってるんだけど、いまいち納得できなくてさ……コツとかあったら教えて欲しいんだけど」


 バカ正直に今の状況を説明するのは恥ずかしいので、適当に嘘を織り交ぜておく。

 そして微妙に変な沈黙が流れた後、安奈が口を開く気配を感じた。


『それはつまり、ホワイトデーに向けて悩んでるってことでいいのよね?』

「……何で分かるんだよ」

『母親舐めるんじゃないわよ。第一、前日にわざわざ電話までしてくる時点で自分から白状してるようなもんでしょうが』

「くそ……」


 母強し。

 薄っぺらい誤魔化しなんていとも容易く突き破ってくる鋭さに頭をかきつつ、バレてしまった以上は仕方ないと腹をくくり、安奈に事の顛末を打ち明ける。こうなったらもうヤケだ。


『――へえ、雛ちゃんから手作りをねえ。どう、美味しかった?』

「……まあ、美味かったよ」

『その感想はちゃんと雛ちゃんに伝えたんでしょうね?』

「伝えたよ。そこには抜かりない」

『よしよし、大事なことは忘れてないようで安心だわ。……でもお互いに手作りを贈り合うだなんて、順調に仲が進展してるみたいじゃない』


 分かる。直接顔を合わせなくても、安奈がさぞニヤケていることが手に取るように分かってしまう。

 雛が好きだということまではっきりと言葉にしなかったが、状況的にはそれもほぼ見抜かれているに違いない。今すぐこの電話を切りたくなるものの、本来の目的のために優人は恥を忍んで拳を握った。


『実際どこまでいってるの? クリスマス以降に二人でデートとかは――』

「もういいだろ! いいからコツとか教えてくれって!」

『はいはい分かったわよ、厳太郎げんたろうさんに似て照れ屋なんだから。と言っても優人なら、説明するよりは直接見せた方が早いかしら……』


 しばし悩む安奈。やがて方針を決めたのか、電話越しに聞こえる声に身体を起こすような力の入りが加わる。


『いいわ、私が今から実際に作るところを動画に撮って送るから、それを参考にしなさいな』

「そっちの方が確かにありがたいけど……いいのか? わざわざそんな手間かけてもらって」

『一人息子の恋路を応援するためですもの。まあ任せなさい』


 しばらく待ってなさい、安奈からのその言葉を最後に通話が切れる。

 恋路どうこうは余計なお世話の気もするが、協力してくれることには素直に感謝だ。安奈からの動画を待つついでに、小休止を挟むとしよう。


 自販機で飲み物を買ってきてゆっくりすることしばらく、優人のスマホがメールの到来を告げ、添付されている動画ファイルを早速再生してみた。


「……やっぱ上手いなあ」


 パンケーキを作る安奈の手元を俯瞰ふかんで映した内容なのだが、久しぶりに見た母の手際は見事の一言だった。

 材料や調理器具の扱い等々、丁寧なのに素早く、そして淀みがない。恐らく素人目でも鮮やかに映るだろうし、なまじ技術を持っている優人だからこそ余計にスキルの高さが分かる。


 ほどなくして動画内で出来上がったパンケーキは、画面越しでもふわふわ感が伝わってくる一品で、優人が理想としていたものにかなり近かった。

 そしてありがたいことに、動画ファイルとは別で材料の配分や生地を焼く際の火加減についての簡単な要点も送られてきたので、これならば満足のいくものが作れそうだ。


「あれ?」


 メールに書かれた要点を一通り読んでるところで、最後の方に不自然な空白スペースがあることに気付く。

 その下にまだ何か文章が続いているのだろうか、メール画面を下にスクロールさせていくと――


『一番大事な調味料は愛よ』


 そんな、実にとっても、おありがたいアドバイスが書き記されているのだった。


 ピクピクとひくついたこめかみの筋肉を指で揉み解し、優人は家庭科室の天井を仰ぐ。

 相談したことを若干後悔しかけているが、ともかく優先すべきは明日までに納得できるパンケーキを仕上げることだ。


 次に安奈と連絡を取った時に色々と訊かれそうなことに関しては、未来の自分に対処をぶん投げることにして、優人は今一度ガスコンロの前に立つ。


 一番大事なのは、愛? 言われなくても込めるさ。

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