第77話『頑張り屋さんと屋上で』
購買で好きなパンを買った後、雛と一緒にやってきたのは校舎の屋上だった。
特別教室が集中している第二校舎と違って昼休みには開放されており、ここで昼食をとる生徒も少なくない。
もちろん冬の間は好き好んで寒空の下で食べる生徒もいないし、今日はここ最近の暖かな陽気と比べると少しばかり肌寒く感じるので、人影も割とまばらだ。
購買からこっち、雛の隣を歩く自分に向けられる視線が減ることも考えればむしろありがたい。
別に今さらじろじろ見られる程度で怯むつもりは欠片もないが、せっかく好きな相手と一緒にいられる時間なのだ。そういったわずらわしさを気にせず楽しめるのなら、それに越したことはない。
「ここにしましょうか」
設置されているそう数も多くないベンチは生憎とすでに埋まっていたので、屋上をぐるりと囲むフェンスの根本の、少し高くなっているその場所に横並びで腰を下ろす。ベンチに比べて座り心地が悪いのは言うまでもないが、そのぶん日当たりは良い。
何も気にせずそのまま座る優人と違い、わざわざハンカチを敷いてから座る雛の仕草が何とも女の子らしかった。
「いただきます」
購入したパンを膝の上に並べ、行儀良く両手を合わせる雛。ぴんと背筋を伸ばしながらの所作に惚れ惚れしつつ、優人も続いて「いただきます」と手を合わせた。
「――ん、確かに美味しいですね」
サンドイッチを一口食べた雛が呟く。彼女がかじり付いた跡からたっぷり挟まれたベーコンや野菜類が見えており、トーストされたパン生地もあって見た目からでも美味しさが伝わってくる。
雛が選んだのは今食べているBLTサンドに加え、菓子パンが二つ。購買で売っているパンは見た目以上にボリューミーで腹持ちもよく、だいたいの女子は二つで済ませることが多いと聞く。
そんな中でも三つ購入した辺り、やはり雛はよく食べる方だ。はむはむとパンを頬張る様にはハムスターのような愛らしさがある。
雛のそんな様子にほっこりしながら優人もカレーパンをかじっていると、ふと何か思い出したらしい雛が、待ち合わせの時から携えていた小さなステンレス製のマグボトルを手に取った。
「はい、優人さん」
中央で上下に分かれるちょっと珍しい形のマグボトル。分割して蓋を開けた下半分が優人へと差し出され、言われるがままに受け取ると、飲み口から漂う香ばしい匂いが優人の鼻をくすぐった。
「これは?」
「家に玉ねぎが余ってたので、簡単ですけどスープを作ったんです。良かったらどうぞ」
香る匂いはコンソメの類だろう。マグボトルの飲み口から覗く飴色のオニオンスープは未だ温かさを保っているのか、淡い湯気をゆらゆらと上らせている。
雛へ「ありがとな」と礼を言ってマグボトルを軽く揺らし、早速飲み口に口を付ける。
「美味い」
「どういたしまして」
賞賛を込めた感想を忘れずに伝えてから二口目。
簡単なスープと言えどさすが雛の手製だ。じっくり煮込まれたであろうスープは口当たりが良く、具材の玉ねぎが小さめに刻まれているおかげでスプーン無しでも飲みやすい。
少しばかり風が冷たい屋外で飲むからこそ抜群の品であり、身体の芯がゆっくりと温まってくるのが心地良かった。雛の手料理というだけでなおのこと満たされた気分になるのだから、優人はすっかり雛の手腕に
――本当に心地良い時間だ。
やや肌寒くはあるが晴天に恵まれた空の下、好きな人と二人でランチ。美味しい昼食片手に会話も弾み、学生憩いの休み時間を緩やかに満喫する。
これからもずっと、雛とこんな時間を過ごすことができたら。
叶えたいと思う幸福な未来予想図に思いを馳せていたせいで、今の自分が疎かになってしまったのだろうか。ふとしたタイミングで優人の横顔を見た雛がくすりと、口元に手を当てて微笑ましそうに笑うのが聞こえた。
「もう、優人さんったら」
「ん?」
「ちょっと動かないでくださいね?」
笑みは絶やさず、片手を突いてこちらの方へと身を乗り出した雛が、もう片方の手を優人の顔に近付ける。スッと伸びた細く
「ほっぺたに付いてましたよ?」
そう言ってくすくすと笑う雛の指先には、たった今拭ったらしいクリームが。
カレーパンに続いて食べていたクリームパンのものであり、気を抜いた優人の頬にくっついていたらしい。
まるで幼い子供みたいな、随分と恥ずかしい姿を晒してしまった。
羞恥を覚えつつ、ポケットティッシュでもなかったかと優人が懐を探っていると――あろうことか雛は、クリームの付いた人差し指の先を躊躇することなく咥えた。
ちゅっ、と本当に微かな水音を奏でる雛の唇。
血色の良い桜色のそれに優人が目を奪われる中、さらに舌で唇を小さく舐めた雛が瞳を輝かせる。
「このクリームも美味しいですね。そのクリームパン、私も今度買ってみます」
「……良かったら、もうちょいいるか?」
「いいんですか?」
返事の代わりに、口を付けた部分を避けて千切った一口大のクリームパンを雛に差し出す。クリームはたっぷりと詰まっているので端っこの方でも十分に味わえるだろう。
「ありがとうございます」と表情を崩して受け取った雛は早速パンを頬張り、優人も残った分を食べ進めていく。
しかし、雛に比べてその進みは遅い。
だってもう、今のやり取りで何か、すごいお腹いっぱいになったから。
こみ上げるむずがゆさを無理にでも食べることで抑えつける優人。
そして、その状況を作り出した当の本人もさすがにしでかした行動の大胆さに気付いたのか、徐々に白い頬を鮮やかな紅色で色付かせるのだった。
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