第67話『頑張り屋さんが語る過去①』

 夕暮れのオレンジに薄闇色が混ざる学校からの帰り道、優人は雛に手を引かれたままその道を歩いていた。

 生徒指導室前で手を繋いでから、もうずっとこのままだ。途中で誰とすれ違おうとも構うことなく、雛の手は優人を繋ぎ止めて離さない。


 距離を置いた方がいいのかもしれないと、そう不安に思ってしまった優人に、そんなことはないと強く訴えてくれるような、ともすれば少し痛いぐらいの力強さ。


「雛」


 アパートまでの帰り道の半分を過ぎた辺りで背中に声をかけると、ぴくんと微かに肩を震わせた雛がようやく手の力を緩めた。

 知らずに気を張っていたのかもしれない。緩んだ拍子に二人の手の間にできた隙間を、今度は優人が力を加えることで再びゼロにする。もちろん、柔らかく小さな手を痛くしないように注意は払って。


 雛の後ろから、その隣へ。歩幅を合わせて肩を並べると、金糸雀色の瞳がおずおずと優人を見上げた。


「……ごめんなさい。私のせいで、優人さんに迷惑をかけて」

「別に雛のせいじゃないだろ。というか、何であのタイミングで生徒指導室に来たんだ?」


 抱えていた疑問を投げかける。

 たまたま部屋の前を通りかかって会話を耳にしたから、なんて偶然はよもやないだろうし、盗み聞きするにしたって室内の様子に意識を向けなければならない。

 つまりあの時、どういう話が行われているのか、雛はある程度の確信を持った上で生徒指導室を訪れていたはずだ。そうでなければ偶然にも程がある。


 ほんのりと眉尻を吊り上げ、雛は口を開く。


「私の教室で、さっき優人さんが言われてたことと似たようなことを言われたんですよ。最初は仲の良い友達が心配して、声をかけてくれただけなんですけど、途中からそんな風に邪推する人も出てきて」


 眉尻に続き、前を向く雛の目が少し研ぎ澄まされる。思い返しているだけでこれなのだから、実際はさらに険しくなっていたことだろう。


「もちろんそれは関係ないと説明しました。そしたら、授業が終わってすぐに流れた校内放送のことを思い出して、ひょっとしたらって考えたんですよ。……さすがに杞憂に終わると思ったんですけどね」


 優人さんが呼び出されるようなことすると思えませんし、と付け足されてまた一段と心が軽くなる。

 考えるだけで留まらず、雛はこうして優人の所まで足を運んでくれた。真っ向から反論してくれた。

 そのおかげで自分に向けられた疑惑が、そこらに落ちている石ころのようにどうでもよくなる。


「安心してください。私は優人さんに感謝こそすれ、迷惑に感じたことなんてありませんから」

「ああ、分かった」


 行動と言葉で、しかと伝えてもらった。

 雛を信じる気持ちには一点の曇りもありはしない。


 ――でも、だから、だったら。


「何があったんだよ?」


 優人のせいではないと、そう理解したからこそ再浮上する疑問。雛が大幅に成績を落とした原因が結局未だ分からないままだ。


「……何と言われても。たまたま調子が出なかっただけですよ」

「それで受け流せるほど楽観的にはなれねえよ。……何かあるなら、聞かせて欲しい」


 繋いだ手に、今度はわざと力を込める。引き下がらないという意思表示。

 力になれるかどうかなんて分からないけど、一つでもできることがあるなら雛に助けになりたいと思うから。


 ――お節介。


 そう言って唇を柔く尖らせた雛は、優人の手をそっと引っ張った。








 雛に連れてこられたのはこじんまりとした小さな公園だった。

 大通りから外れた場所にぽつんとあるような、木製のベンチとブランコがあるだけの寂しい雰囲気の場所だ。


「はい、優人さん。他のが売り切れで、温かいのだとこれしかなかったんですけど……」

「ん、ありがとう」


 ブランコの一つに座る優人へ、近くの自販機で購入したブラックの缶コーヒーを雛が手渡す。自分の分ぐらい自分で買うし、何なら奢ろうかとも思ったのだが、「話を聞いてもらうのは私ですから」と雛に押し切られてしまった。


 プルタブを開けて中身を口に含む。甘くないブラックを進んで飲むことのない優人だけれど、まだ肌寒い二月の夕方にはありがたい温かさだった。

 雛もまたコーヒーに口を付け、優人の隣のブランコに制服のスカートの裾を揃えて座る。

 ぎし、とブランコが少し錆び付いた音を上げた。


 しばらく何も言わず缶コーヒーを傾けるだけでいると、不意に雛がくすりと小さな笑い声をこぼす。


「どうした?」

「いえ、学校帰りにこういう寄り道って、もしかしたら初めてかなって思ったので」

「そうなのか?」

「ええ。もちろんお夕飯の買い物に寄るぐらいはありますけど……こんな風に、ただ立ち寄るだけっていうのは。一人暮らしを始める前もあまり帰りが遅くなると、家の人がいい顔をしませんでしたから」

「…………」


 黙って雛の言葉に耳を傾け、優人は静かに彼女を見つめる。

 またしばらく無言の時間が流れた後に優人を見返した雛は、少し困ったように目尻を下げた。


「ごめんなさい。話そうとは思ってるんですけど、何から話せばいいのかと……」

「ゆっくりでいいよ、時間がかかっても最後まで聞くから。ただ――」

「ただ?」

「その代わり、俺に遠慮とかはしないでくれ」


 これから雛が話すのは、彼女の過去や内面に深く関わることのはずだ。どうしたって触れられたくないこともあるだろうから、何から何までというのは難しいかもしれない。

 けど吐露したいのなら、優人は全部聞きたいから包み隠さず話して欲しいと思う。


 その意思は正しく雛に届いたらしい。

 申し訳なさそうに歪な笑みを口元に浮かべた雛は、自分の手元に視線を落として、ゆっくりと語り始める。


「優人さん」


 きっとこれまで、自ら打ち明けることのなかったであろう、彼女の過去を。


「実は私――捨て子なんです」

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