第63話『美点の一つ』
「今日はその、悪かった」
夕食時の雛の部屋。台所から着々と美味しそうな匂い漂い始める中、テーブルの前で胡座をかく優人はぽつりと謝罪を口にした。
家に帰ってからしばらくすると、雛から『今日の夜はうちで食べませんか?』というメッセージが飛んで来て、それはきっと図書室の一件に関して聞きたいことがあるからだというのも察せられた。
だからこうして雛の部屋にお邪魔させてもらったわけだが、呼び出した当の本人の雛は何か問い質してくるわけでもなく、軽快かつ慣れた手付きで夕食の仕上げを進めていくだけ。
夕食をご馳走になるという名目で呼ばれたのは分かっているが、どうにも気が気でならず、つい先回りするように優人は頭を下げた。
「それは何に対しての謝罪ですか?」
視線はガスコンロに向けたまま、ただ単純にその意味を問うような雛の返し。
「図書室でのこと。俺のせいで騒ぎになったし」
騒ぎというほど大げさではないかもしれないが、微妙な空気になったのは紛れもなく優人の言動がきっかけだ。
それこそ雛を庇うためだったとはいえ、男子の邪な視線に気付いてなかった彼女からしてみれば、優人が急に不機嫌になったように思えただろう。
『雛に質問しすぎだ』ということ自体も優人の勝手な横槍なわけだし、入れるだけ入れて最後は雛を置いてけぼりにして帰ったのだから、一体全体なんなんだと言いたくなるに決まっている。
「優人さんは、本当に真面目ですよね」
「え?」
やんわりと呆れたような呟きと共に、見事な色合いの魚の煮付けが優人の目の前に現れる。
器を掴む手を辿った先には優人を見下ろす雛の姿があって、その瞳はそっと慈しむかのように注がれていた。
その眼差しに毒気を抜かれた優人がぽかんと口を半開きにすると、雛はテーブルと台所を往復して彩りのある食卓を整えていく。慌てて運ぶぐらいは手伝おうとしても、「座っててください」と手で制された。
「別に謝ってもらうことなんてありませんよ。優人さんが怒った理由も後で分かりましたから」
「どういうことだ?」
「あの後、近くにいた顔見知りの女の子からこっそり言われて分かったんです。どうやらあの男の人、私のことを変な目で見ていたらしいって」
どうやら優人以外にも気付いた人がいたようだ。自分一人だけが捻くれたように捉えていたわけではないという事実にひっそりと安堵しつつ、続く雛の言葉に耳を傾ける。
「相手が男の人だったので、その子も言い出すことができなかったみたいで。だから優人さんが注意してくれて、むしろすっきりしたなんて言ってましたよ」
「そうか。そういう風に思ってもらえたならよかったよ」
「ありがとうございます、私のために怒ってくれて。お礼代わりと言ってはなんですけど、どうぞ召し上がってください」
「ん、いただきます」
魚の煮付けに加えてご飯や味噌汁、お浸しなど、純和風でまとめられた食卓を前に手を合わせる。
雛のために――面と向かってそう言われると気恥ずかしさを覚えたものの、優人の行動は真実その通りだったので、少し熱くなった顔を隠すように味噌汁のお椀に口を寄せた。
今日も美味しい。出汁の風味を感じる良い味わいだ。
「それにしても、優人さんも優人さんですよ」
「え?」
しっかりと煮汁の染み込んだ魚の身をほぐしていると、静かに細めた目を向けてくる雛。
「そういう理由があったんならそう言えばいいですのに。言い訳の一つもせずに謝るんですから」
「だってなあ……変な目で見られてたなんて伝えたら、雛が傷付くかもって思ったんだよ」
雛ほど見た目に優れた少女なら、異性の目を集めることにはある程度慣れてるかもしれない。だが、それに性的な意味合いが含まれるとなるとはまた別問題だろうし、そこで自分を正すのが男としての理性的な行動だと優人は思っている。
……まあ、じゃあお前はそういう目で見たことがないのかと問われたら、優人だって黙るしかないのだけれど。
「…………」
「何だ?」
「いえ、そういった気遣いを自然とできるのも、優人さんの美点の一つだなあと」
「んだそりゃ」
しみじみと頷くように言われて逆に羞恥が募り、喉にこみ上げるむず痒さを白米と一緒にかき込む。
「ところで、人に色々と教えてあげるのは立派だと思うけど、雛自身の勉強はちゃんと進んでるのか?」
「その辺りは、まあ弁えてますよ。テスト勉強はとどのつまり復習で、新しく何かを覚えるわけではありませんし、人に教えるのも知識の再確認になるので結構いいんですよ?」
「そういうもんか」
生憎と教える側に立ったことのない優人には分からない感覚だ。
少し心配ではあったが、優人よりもずっと勉強に長けた雛が大丈夫だと言うのなら問題ないだろう。
「来週の頭にはもうテスト開始か。うかうかしてるとあっという間だよな」
「ですね。優人さんこそテスト勉強は大丈夫なんですか?」
「胸を張って大丈夫だとは言えないな。土日にしっかり詰め込もうとは思うけど、一人だと気が抜けそうだ」
一人で淡々と続けるには集中力には限度がある。そこで適度な休憩を挟んで維持するのが理想的ではあるが、その休憩から再び勉強に戻るタイミングでだらだらしそうなのが不安だ。
予想される自らの不甲斐なさにやれやれと首を振ると、それを眺めていた雛が何食わぬ顔で口を開く。
「それなら、次の休みは一緒に勉強しませんか?」
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