第59話『少しでも近付きたくて』

「優人さん、何書いてるんですか?」


 時計の短針が一番下に近付いてきた頃、投げかけられた質問にシャーペンを休ませて顔を上げると、こちらの手元を覗き込む雛の姿があった。

 制服のワイシャツの上からエプロンを着けたちょっとレアな格好に胸をくすぐられつつ、ちょうど書き終わった一枚のレポート用紙を雛が見えやすい位置に滑らせる。


「今日作ったものとか調理手順をまとめた、まあ活動報告書みたいなもんだ。月に一回、提出することになってるんだよ」


 簡単な図などを交えて書いたそれは、言うなれば『ちゃんとそれらしい活動してますよ』という証明だ。これを顧問の先生(ほぼ名ばかりではあるが)に提出することが、この同好会が家庭科室を自由に使わせてもらうことの条件だったりする。


 あとはスマホで撮った完成品の写真を、学校のプリンターで印刷して付け足せば完成。今月のノルマは達成だ。


「小唄は?」


 だからこそ優人のことを名前呼びしたのだろうけど、室内を見回してもあのやかましい姿が見当たらない。荷物は残っているから帰ったわけではないと思うが。


「出来上がったものをお裾分けしてくるって、さっき出かけていきました。仲の良い子は委員会とかでまだ残ってるだろうからって」

「そっか」


 人に渡せるということは、試作品作りとやらは無事一定の成果を出せたらしい。

 小唄が戻ってきたら今日の部活はお開きだなと考えていると、雛がおずおずと口を開く気配があった。


「あの、優人さん、私も作り終わったのですが」

「ああ、外から見てる分には問題なさそうだったけど、上手く出来たか?」

「……その確認のために、味見をしてもらえませんか?」


 そう言って、優人の前にすっと静かに差し出される一枚の平皿。載せられているのは約五cmほどの小さなタルト生地にチョコレートを流し込んだチョコタルトで、トッピングもないシンプルな作りであっても、どこかこじんまりとした可愛らしい印象があった。


「味見って……これ全部か?」


 優人に差し出されたチョコタルトは合計四つ。一つ一つは小さいので腹の空き具合的には問題もないが、味見というなら一つで事足りるはずだ。


「材料の配分などでチョコの甘さを変えてあるんですよ。もし良ければ、どの程度がちょうどいいのかを判断してもらえればなと」

「そういうことか。了解」


 雛の意図を理解し、さっそく一つ目を口の中に放り込む。

 サクサクとしたタルト生地と甘いチョコの滑らかな舌触り。雛にとっては初めてのお菓子作りと言えど、やはり料理の基本をマスターしているだけあって出来映えも安定している。


 活動報告書を書く傍らに用意していたお茶で口内をリセットしつつ、残りもしっかり味わって食べ尽くした。


「……ど、どうでしょうか?」

「美味い、初めてとは思えないぐらいによく出来てる。甘さに関してだけど……三個目のやつが俺は好きかな」

「三個目ですね。……なるほど、やはりビターよりは甘めの方が……」

「って言ってもあくまで俺の好みだからな? どれもよく出来てるから、雛が自分で決めていいと思うぞ」


 ぶつぶつと口の中で転がすように呟いていたので後半こそよく聞き取れなかったが、何やら色々と悩んでいることには察しがついた。

 出来栄えに問題がない以上、あとはそれぞれの好み次第。作り手は雛なのだから、彼女が納得のいくものを作るのがベストな選択だ。


 優人の言葉に俯かせていた顔をはっと上げた雛は、すぐにいつもの落ち着いた表情を浮かべる。


「そうですね。そうしようと思います」

「ん。それじゃごちそうさま。俺はこいつを出してくる」


 記入を終えた活動報告書をひらひらと見せつけ、優人は家庭科室から廊下へ。「いってらしゃい」という雛の言葉を背に受けて、まずは写真を印刷すべくプリンターのある図書室へと向かった。








 自分以外、誰もいなくなった家庭科室。一人残された雛は、ほうと少し熱い吐息をこぼした。


 ――いつもと同じように振る舞えただろうか。

 ぐにぐにと自分の頬を揉んでみる。優人の反応を見るに不審がられてはいないと思うけど、どうにも気が気でならない。

 心なしか強ばっているように感じる表情筋を揉みほぐし、雛は試作品の一つを手に取った。


 優人が好みだと言った、それと同じ甘さのチョコタルト。

 口の中に収め、ゆっくりと時間をかけて咀嚼し、自分の舌を通して記憶に強く留める。


(これが、優人さんの好み……)


 よし、覚えた。

 絶対に忘れないようにと深く頷き、近くにあった椅子に腰を下ろした。


(ごめんなさい、優人さん)


 実は一つ、嘘をついた。

 今日の試作品作り、小唄に誘われたのかという優人の問いに、そんな感じだと自分は答えたけれど、実はその逆。

 本当は、雛が発端の話だった。


 きたるバレンタインデー、雛は優人にチョコレートを渡そうと考えていた。告白とかそういうのではなく、あくまで日頃の感謝を込めてだ。

 けどどうせ送るなら、少しでも美味しいと思ってもらえるような一品を作りたい。それに当たって優人の好みを知りたいと思った結果、雛が白羽の矢を立てたのが小唄だったというわけだ。


 初詣の時に連絡先を交換していたからちょうど良かった。思い立った翌日にはアプリでメッセージを送り、それから電話でもお話して、最終的に小唄から部活の時間にお邪魔してはどうかと提案された。


 名目はあくまで一緒に試作品作り。そしてそれにかこつけて優人に味見をしてもらい、好みを探ってみたらいいんじゃないと。

 なるほど確かに、ストレートに訊くよりはそれとなく探れると思った。

 結果的に見事知ることができ、作るもののベースはほぼ決まった。あとはトッピングなども加えてより質を向上させていくつもりだ。


 どんなものを加えようか。早くも色々と案を考え始める中、ふと雛は我に返る。

 日頃の感謝を込めて……というつもりなのだが、果たして自分が送ろうとしているものは『何チョコ』に分類されるのだろうか。


 友チョコは少し違う気がするし、義理チョコだと片付けてしまうのも何だか寂しさを感じる。とすれば残されるのは、友でも義理でもない――ひらがなだと四文字、漢字だと二文字の修飾語。


(……どうなんだろう)


 自分でもまだ、この感情がよく分からない。

 優人のことはもちろん良い人だと自信を持てるけれど、だからと言ってイコールでそういう感情に結び付くものでもないはずだ。

 いや、結び付かないと断じる気もないのだけれど。


「うーん……」


 ひとしきり唸ってみても、やっぱり答えは出そうにない。そうだと言い切るには不確かで、でも勘違いだと切って捨てるには小さくない、この気持ち。

 とにもかくにも今は後回しにしよう。まずは目先のチョコレート作りに集中だ。


 本番もまた、より一層――美味しいって言ってもらえるように。

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