第57話『頑張り屋さんとのランチタイム』
「どうぞ心置きなくくつろいでくれ」
手を広げて雛を迎え入れたのは、優人にとっては馴染みの場所である特別教室――家庭科室である。
職員室で鍵を借りるために少し時間を消費したが、昼休みはまだまだ十分に残っている。誰も訪れないであろうこの場所は、雛の求めた落ち着ける場所としてうってつけだろう。
先に室内に足を踏み入れた雛は二、三歩進んだところで立ち止まると、怪訝そうな表情で優人を振り返った。
「優人さんが料理同好会なのは知ってますけど……部活の時間でもないのに、よく鍵を借りれましたね」
「部活関連でちょっとやりたいことがあるって言ったらな」
「へえ、結構あっさりと借りれるものなんですか」
「そこら辺は積み重ねた信用の結果だな。活動自体は割と真面目にやってるんだよ、ウチは」
逆に、だからこそ部活でもない同好会レベルで家庭科室を自由に使わせてもらってると言っていい。
納得したように頷いた雛は手近なテーブルに腰を落ち着け、優人もまたその対面に座る。
調理台を兼任しているスペースは広々としており、たった二人だから尚更伸び伸びと使えるというものだ。
雛から渡された巾着袋をテーブルの上に置き、ゆっくりとその包みを解く。どことなくこちらを窺う雛の視線を感じながら、優人は袋の中身を順番に自分の手元に並べていった。
「おお、おにぎりか」
ラップで巻かれた綺麗な三角形のおにぎりが二つに、それと一段の弁当箱。透明な弁当箱の蓋からはスペースを余さず詰め込まれたおかずが透けて見え、ラインナップはアスパラガスのベーコン巻きや卵焼き、カットされた温野菜など、一口で食べられそうなものを中心にまとめられている。
「優人さんの手を考えて食べやすいもので揃えてみたんですけど、大丈夫そうでしょうか?」
「完璧。これなら問題なしだ」
用意されているのが箸ではなく、プラスチックの爪楊枝というのも雛の心遣いだろう。
食べやすさを考慮してくれたのはもちろんのこと、これぞお弁当といった中身が優人の食欲を急激に煽っていく。ついさっきまでは食べたいものが特にない宙ぶらりんな状態だったが、今はもうこれしかないと思えるぐらいだ。
「そうだ、お茶ぐらいなら出せるけど雛はいるか?」
「何故そういうのがすんなりと出てくるんですか……」
「部活でたまに飲むんだよ」
少し呆れた眼差しであってもお茶は欲しいらしい。「ではお願いします」と答えた雛に頷き、「かしこまりました」とウェイターのような仕草を気取ってみせた。
まあ、そこまで大したものは振る舞えないのだが。
棚の奥にある同好会の備品をまとめたカゴから粉末緑茶のパックを取り出し、電気ケトルでお湯を沸かすと、適当に見繕った湯呑みに二杯分を用意する。
出来上がったものを雛と自分の前に置けば、これで準備完了だ。
『いただきます』
落ち着いた静けさが広がる室内で、二人の声と手を合わせる音が重なった。
優人がまず手に取ったのは卵焼き。焼き色にムラのない見るからに美味しそうな一品を爪楊枝で突き刺し、一息に口の中へと収める。
雛への感謝を思いながらもぐもぐと咀嚼すれば、優人好みの甘めの味が舌の上に広がった。
「卵焼き美味い。味付けが俺好みだ」
「良かったです。優人さんは
「まさか俺の好みに合わせてくれたのか?」
「まあ、私も砂糖派でしたから。結構好み似てますよねえ、私たち」
しみじみと呟いた雛が口にするのはおにぎりだ。両手で持ってはむはむと食べる姿は小動物のようで愛らしい。
一つ目の卵焼きをしかと味わって胃袋に送った後、今度は雛に釣られておにぎりに口を付ける。
甘さの次はちょうどいい塩気と酸味。かぶりついたおにぎりに視線を落とせば、白米の中から梅干しが姿を現していた。
口を動かしながらじっと見つめる優人に、雛が不安そうに瞳を揺らす。
「もしかしてて……梅干しは苦手でしたか?」
「いや、そういんじゃなくて、久々に梅干し食べたなって思ってさ。一人暮らし始めてからは買った覚えもないな」
「そうなんですか。梅干しは結構便利ですよ? 保存も効くし、何か物足りない時には簡単に足せますからね」
「今度買ってみるか。もう一個は何入れたんだ?」
会話の合間に二口目、三口目と食べ進めながら、まだ手を付けてない二つ目のおにぎりを顎でしゃくる。見た目からはさっぱり分からないが、こちらにも何かしらの具は入っているのだろう。
特に何の気もなしに尋ねると、対する雛は目を細め、楽しそうな笑みを微かに浮かべた。
「逆に何だと思います? 当ててみてくださいよ」
「え? んー……それ、当たったら何かあんの?」
「え、あー、えっと……ベ、ベーコン巻き一個入りますか?」
「それはいいや。雛の食べる分が減ると、午後の授業中に腹が鳴るかもだしな」
「む……優人さんの中の私はそんなに腹ぺこキャラなんですか」
「心当たりがないとでも?」
「……むう」
思い当たる節はきちんと覚えているらしく、物を詰めてないのに頬を膨らませた雛は一旦おにぎりを置くと、ゆらゆらと湯気が上る湯呑みで口元を隠す。
湯気越しの肌はうっすらと赤い。
雛にとっては忘れてほしい思い出だと分かっているが、恥ずかしさで顔を真っ赤にした雛はとても可愛らしかったので、それは無理な相談だ。
(――あ)
何の景品もないクイズとはいえ、会話のついでに乗ってみるのも悪くない。
ついでに
「ずばり、昆布だな」
「え、すごい……! 何で分かったんですか?」
「ま、俺にかかればこんなもんだな」
「何ですかそのキャラ。えー、でも本当にどうして……見た目からじゃ分からないはず――」
と、ぶつぶつ呟きながら食べかけだった自分のおにぎりに手を伸ばした雛が、ぴたりとその動きを止めた。
彼女が食べた跡から覗くのは、黒く艶めいた昆布の佃煮。
ばっと顔を上げた雛からの無言の追求に、優人は素知らぬ顔で目を逸らした。
「優人さんカンニングしましたねっ!? それズルですよズル!」
「冷静に周囲の状況を利用したと言ってくれ。当てたからって何もないんだし、これぐらいいだろ?」
「――へえ、そうですか。正々堂々と当ててくれたなら今夜の親子丼、優人さんの分はお肉大盛りにしてあげようかなと思ったのに」
「何だその後出し!? そっちの方がよっぽどズルいだろ!」
「知りません。ぷいっ」
わざわざ擬音を口にして、雛はそっぽを向く。
時折騒がしくも楽しさに溢れたランチタイムは、五限目の予鈴が鳴るギリギリまで続いた。
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