第47話『穏やかな冬の日』

 冬休みの終わりが着々と近付きあと数日もすれば三学期が始まる、そんな日の夕方のことだった。

 近所のスーパーで買い物を終えた優人がサッカー台に向かおうとすれば、少し離れたレジにちょうど同じタイミングで会計を終えたらしい彼女の後ろ姿を見つけた。

 カゴの半分程度の買い物だった優人と違って向こうは結構買い込んだらしい。

 遠目からでも山を形成しているのが分かるカゴを重そうに担ぎ、それをサッカー台に置いて一息ついている。

 優人はその背中に近付くと、お互いの袋詰めの邪魔にならない程度にスペースを空けて自分のカゴを置いた。


「よう空森。隣を使わせてもらうぞ」

「あ、先輩。こんばんは」


 優人に向けて軽く頭を下げる眼鏡姿の雛。

 丁寧な物腰に「こんばんは」と返し、優人はポケットから取り出したエコバッグを広げて購入品を詰め込んでいく。

 エコバッグに加え、有料のレジ袋も購入したらしい雛もテキパキと袋詰めを進めていくのだが、やはり量が量だ。優人が終わる頃になってもまだカゴの中身は残っており、それでいて彼女の傍らには丸々太ったエコバッグがすでに出来上がっていた。


「今日はずいぶんと買ったんだな」

「調味料類を色々と切らしてしまったんですよ。それと特売で安くなっているものもあったので、思わず」

「なるほど」


 野菜や肉といった食材の中、一際目に付くのが調味料の大容量ボトルだ。日々自炊に励む雛にとっては欠かせない品物だろう。

 しばらく雛の袋詰めを眺めていた優人は、それが終わると出来上がった袋の一つ――ぱっと見で一番重そうなものを手に取った。


 ぱちり、と金糸雀色の瞳が瞬く。


「先輩?」

「俺は身軽だし一個持つよ」


 優人はそう言って自分のエコバッグを見せつけるように揺らす。雛と比べたら圧倒的に痩せている上に一つ一つの商品も軽いものばかりなので、さらに一袋増えたところで問題はない。

 そもそもこれから同じ道のりを歩いて帰宅するというのに、重い荷物を抱えた女の子を見て見ぬ振りしては良心の呵責に苛まれるというものだ。


「そんな……悪いですよ。自分が必要だから買ったものなんですから、先輩の手を煩わせるわけにも」

「もうその手の言葉は聞き飽きた。ほら、行くぞ」

「あ、ちょっと」


 雛の返答は大体予想通りだったので、さらりと受け流してスーパーの出口へ向かう。

 慌てて買い物カゴを所定の位置に片付けた雛がその後を追い、スーパーを出てアパートへの帰路につく頃には二人の肩は並んでいた。


「……もう、やっぱり先輩は強情さんです」

「はいはい分かってますよ。けど、概ね良い人だとは思ってくれるんだろ?」

「まあ、そうなんですけどね。――ありがとうございます、先輩」


 横合いから穏やかな声音でお礼を告げられた。

「どういたしまして」と返して重いレジ袋を握り直した優人は、普段より幾分か緩めたペースで歩を進める。

 ちらりと横目で優人の足の動きを確認した雛がほんのりと頬を膨らませるが、すぐにその起伏は消えてなくなり、雛は口角を持ち上げた表情で前を向く。


 二度目の「ありがとうございます」は、舌の上で転がすように、そっと小さく紡がれた。









 スーパーに向かう時はまだ薄暗い程度で済んでいたのに、帰りはすっかり暗い夜道へと移り変わっている。

 現在進行形で優人の片手に持ち手を食い込ませる重い荷物はもちろん、防犯的な意味合いでも雛と一緒に帰ることは正解だったろう。

 無論なるべく大通りを歩いているし、設置された街灯がしっかり道を照らしてくれてはいるのだが、雛のような見目麗しい少女なら用心に越したことはない。


 荷物が減ったせいだろうか、どことなく足取りが軽く見える雛を視界に挟みつつ、不意に首筋を撫でた寒風に優人は首を竦めた。


「今日は一段と冷え込みますね」

「そうだな」


 横断歩道で赤信号が変わるのを待つ間、同じことを感じたらしい雛が夜空を見上げ、優人もつられて視線を持ち上げた。

 今日は一日天気に恵まれたので綺麗な夜空が広がっているが、澄んだ空気は肌を刺すような冷たさで外にいる人々を襲っている。


「こういう寒い夜はあったかいもんを食べるに限るよな。出来合いのもんだけど、一人鍋セット買っちまったわ」

「いいですねえ、お鍋。私は今日はクリームシチューを作ります」

「おー、それもいいな。空森が作るシチューなら美味そうだ」

「良かったら、後でお裾分けしましょうか? 例によって多めに作る予定でしたし」

「いいのか?」

「はい、荷物持ちのお礼です」

「やった。晩飯はもうあるから、明日の朝飯に食べさせてもらうかな。楽しみにしてる」

「ふふ、手が抜けなくなっちゃいましたね」


 そもそも普段から手なんて抜いてないだろうに。今まで見た雛の料理風景を思い返しながら、優人は心の中で静かに呟いた。

 ともかく優人の手には大事な大事なクリームシチューの食材も握られているようなので、最後まで安全第一で持って帰るとしよう。


 スーパーからアパートまで徒歩十五分ほどの行程は、二人で他愛のない会話を交わしていればすぐだった。

 ほどなくして二階のそれぞれの部屋の前まで辿り着き、そこで雛に荷物を返却する。


「ありがとうございました。シチューが出来上がったらお持ちしますね」

「待ってるよ。――ん?」


 玄関の鍵を開けようとしたところで、郵便受けから小さく飛び出た紙片に気付く。

 何だろうと思い引っ張り出して広げてみれば、それは近所のとある施設の宣伝チラシだった。


「……銭湯、ですか?」


 優人が持つものに興味を引かれたらしい。自分の部屋に入るのを中断した雛は優人の手元を覗き込み、興味深そうに施設の名前を口にした。


「ああ、実はこの近くに一軒あるんだよ。ちょうど空森が引っ越してくる直前に改装工事が入ってな、ようやくそれも終わったみたいだ」


 つまりこれは、リニューアルオープンを大々的に打ち出した宣伝チラシだ。郵便受けの中に完全に隠れてしまったみたいだが、恐らく雛の部屋にも同じ一枚が届いているだろう。


(銭湯か……久々に行ってみるか)


 改装工事の関係もあるが、確かここ半年ほどはお世話になることがなかった。

 寒い中また外出することになるのは少し億劫おっくうだが、銭湯自体はスーパーよりも近い場所にあるのですぐに行ける。何より広い風呂にのびのびと浸かれるというのは、多少の面倒を差し引いてもお釣りが来るほど魅力的だ。

 今日みたいな寒い日にはむしろうってつけの選択かもしれない。


 早くも銭湯に行く腹積もりになりつつある優人がそこまでの道順を思い出している中、雛はなおもチラシの紙面に目を走らせている。

 いつかのピザの時にも見た覚えのある、好奇心が見え隠れする幼い子供のような瞳。


「なあ、空森」


 自然と優人の頭に浮かんだ提案は、すぐに口を突いて出るのだった。

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