第45話『頑張り屋さんと甘酒』
「お待たせ。熱いから気を付けろよ」
「はい、ありがとうございます」
参拝を無事に終えた後、屋台で二杯の甘酒を購入した優人は近くのベンチで待つ雛の下に戻った。
紙コップに注がれたとろみのある白い液体からはほわほわと湯気が立ち上り、優人から両手で受け取った雛は興味深そうに中身を眺めている。ついでにふーふーと冷ましながら匂いを嗅いでいたりもするので、初めてミルクを与えられた臆病な子猫みたいで愛らしい。
「そんな身構えなくても大丈夫だっての。ほら」
優人が指で示した先では小学生くらいの男の子が家族と一緒に甘酒を飲んで、
さらに雛の背中を押すように優人は自分の分の甘酒に口をつけると、冬の寒さを打ち消す熱さと濃厚な甘さが口の中に広がっていく。
人によってはくどいと感じるほどかもしれないが、どちらかと言えば甘党側の優人にはちょうどいい。味覚が似ている雛もきっと気に入ってくれるだろう。
「……いただきます」
優人の言葉と行動で踏ん切りがついたのか、雛は意を決した様子で紙コップの端に唇を添え、ゆっくりとその中身を傾けていく。
紙コップから立ち上る湯気が雛の顔を撫でる中、こくりと微かに脈打つ白い喉。
やがて記念すべき一口目を終えて紙コップを下ろした雛は、ほうと熱っぽい吐息を漏らした。
その一連の動きが、妙に艶めかしく見えた。
一口目を噛み締めた雛はすぐに二口目に取りかかり、その様子を黙って見守りながら優人も自分の紙コップを傾ける。
そしてそれは雛も同意見らしく、すっかり背中を丸めて甘酒の温かさに浸っているご様子だ。
基本的に姿勢の良い雛には珍しく気の抜けたような体勢で、眺めていると心が和んでくるというものだ。
「感想は?」
中身が三分の二程度になった辺りで頃合いかと思って雛に尋ねる。
するとやや不可解な空白の時間を挟んだ雛はゆっくりと顔を上げ、へにゃりと細めた目で優人をじーっと見つめた。
「……先輩って、双子だったんですか?」
「は?」
「だって、二人いるじゃないですかー……」
微妙に間延びした覚束ない口調と共に、優人に向けられる細い人差し指。
だがそれもぴんと伸びているわけではなく、どこを指しているのか判別できないようにふらふらとしている。
これは、まさか。
(酔っ払った!? 甘酒で!?)
考えうる可能性に優人は愕然と目を見開いた。
こんなことが実際にあるとは。
その手の話を聞いたこともあるにはあるけれど、まさかここまで顕著に、しかも即効性のある症状なんて初耳だ。
そもそも二人が飲んでいるのは米麹ベースの甘酒なのだからノンアルコール。それで酔うということは一種のブラシーポ効果、つまり気分に酔っているということなのだろうか。
「お、おい、大丈夫か空森?」
「えー、大丈夫ですよー。むしろふわふわして、何だかいい気分です……」
「完全に酔っ払いの発言じゃねえか……」
「酔ってないですってー」
重ね重ね酔っ払いの発言だった。
ほろ酔い気分といった感じの雛はまた甘酒に口をつけ、幸せそうに口元を緩めている。そんな風に美味しそうに飲まれると、強引に紙コップを奪うわけにもいかなくなるから対応に困った。
「ええと、どうすりゃいいんだこういう場合は……」
水でも買ってきて飲ませるか、それとも軽く頬でも叩いて物理的な刺激を与えてやるか。
甘酒を勧めた立場である以上このまま雛を放っておくという選択を取れるわけもなく、優人は急いで考えを巡らせる。
ここはネットに転がっている豆知識にでも頼るか、そう思ってスマホを取り出したところで――くすくすと可笑しそうな、確かな感情を乗せた笑い声が優人の耳をくすぐった。
振り向いた先には、紙コップで口元を隠してほくそ笑む少女の顔。
「冗談ですよ。本当に酔ってなんていませんから、安心してください」
打って変わって明瞭な口調を紡ぐ雛は、とうとう隠すこともなく弧を描いた口元を優人の目に晒した。
「やりやがったな空森」
「何だか先輩からずっと微笑ましい目で見られてましたからね。少し仕返ししたくなったので、一芝居打たせてもらいました」
「名演技でしたことで……。本当に焦ったから勘弁してくれ」
「ふふ、ごめんなさい。冗談が過ぎましたね」
軽やかな笑みを浮かべた雛は素直に謝罪の言葉を口にした。
ちゃんと分かってくれたのかは疑わしいが、こうも屈託なく笑われると何も言えなくなってしまうのが悔しいところだ。
結局甘酒の味の是非は訊けずじまいだが……この分ならまあ、訊くまでもないだろう。
引き続き紙コップを口に運ぶ雛の笑顔を眺めながら、優人はそっと小さな笑みを浮かべた。
小休止の後はお守りの購入やおみくじといった初詣恒例の行事をつつがなくこなし、気付いた頃には時刻は正午を回っていた。
お腹は空いたし、立ち並ぶ屋台の前を通れば香ばしいソースの匂いやらがやたらと空腹を刺激してくるので、昼食はここで済ませようということに。
お互いに食べたいものを買ってから合流する流れになり、目当ての物を買い終えた優人が待ち合わせ場所に戻ってくると、先に待っていた雛はしゃがみ込んで小さな女の子の相手をしていた。
「どうしたんだその子?」
「あ、先輩。それが、迷子みたいなんですけど……」
「ちがうよ。はぐれたお姉ちゃんたちをわたしがさがしてるの!」
「たくましい子だな……」
大体の状況は察した。
女の子には悪いが完全に迷子であり、大方射的の屋台やそういった遊び場に目移りしている内に自分から離れてしまったのだろう。
お昼時なせいで屋台周辺には大勢の人がいるのだから、背の低い子供では簡単に姿が埋もれて見失ってしまうのは想像に難くない。
「一人だったのが気になって声をかけてみたんですけど……どうしましょうか?」
「迷子センターみたいなのがあるわけじゃないからな」
本人がけろりとしている分にはまだ対処も楽だが、ここには遊園地やデパートにあるような迷子センターなんてものは設営されていない。
となると自力で探すしかないのだが、捜索範囲はそこまで広大ではないし、お姉ちゃん
「とりあえず人が集まりそうな入口にでも行ってみるか。たぶん向こうも探してるだろうから、行きながらそれっぽい人を見つける感じで」
「そうですね。それじゃあ一緒にお姉ちゃんたち探してあげるから、私たちに付いてきてね?」
「うん、わかったー!」
元気よく返事をした女の子を連れ、神社の入口の方へと進む。
「ねえねえ、二人ってひょっとしてこいびと? デートしてるの?」
「あはは……違うよ。学校が同じで、あとは家がお隣さんなだけだよ」
はぐらないようにと手を繋いでいるので、自然と女の子の会話の相手になっている雛。
手を焼いてそうな彼女の分まで優人が周囲の人々に目をこらしているのだが、会話の内容が内容なだけに少し気を引かれてしまう。
女の子は雛という相手が見つかってはしゃいでおり、身振り手振りで雛に話を振っている。
その様子は良く言えば活発、悪く言えばやかましいといった感じで――。
「……ん?」
急に違和感を覚えた優人は、その場に立ち止まって女の子の顔をまじまじと見た。
「どうしたんですか、先輩?」
「いや……この子、なんか見覚えがあるような……」
初対面なのは間違いないはず。だが、そう片付けるには微妙に既視感がある。
雰囲気はもちろん、顔の作りも誰かと似ているような……。
「――あ、お姉ちゃんいた! お姉ちゃーん!」
優人が首を捻っていると、いち早く相手を見つけたらしい女の子が駆け出した。
向かう方向が正解だったらしい。想定よりも早く見つかったことに安堵の息を吐いた優人だったが……女の子が駆け寄った相手を見た瞬間、ビキリとその動きが固まる。
「こら美春、心配したんだからっ! あんた今までどこに――……って、あれ? 先輩と、空森ちゃん?」
こちらを見てきょとんと目を丸くした鹿島小唄の姿を前に、優人は頬をひきつらせるのだった。
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