第43話『すっかり気に入って頂けたようで』
元旦の朝、閉じた視界を刺激する日の光に優人は薄く目を開いた。
カーテンのほんのわずかな隙間から差し込む朝日は謀ったかのように優人の目に当たり、寝起きの不透明な意識を瞬く間にかき消していく。
とはいえ、慣れない寝床のせいで身体はまだ睡眠欲に傾いてるらしい。微妙に気怠く、かつ固くなった身体を凝り解しながら起き上がり、首の運動も兼ねて視線を巡らせる。
壁掛け時計が指し示す時刻は午前八時前。学校がある日ならともかく、冬休み中の今はのんびりと構えていられるのだから何と素晴らしいことか。
改めて長期休みのありがたみを実感しつつ、欠伸を噛み殺しながらベランダの窓へと向かう。
「うわ、白っ」
カーテンを開けた先に広がっている景色はとにかくその一言に尽きた。
降り止んでこそいるものの、夜中の間に降り積もった雪の量は計り知れない。見渡せる範囲の家屋の屋根はすっかり白一色に覆われており、快晴の空から降り注ぐ朝日が反射して、なおさらその白さを強調していた。
眩しさに目を
惰眠を貪ろうと思えばまだいくらでも貪れるというのに、景色の眩しさのおかげですっかり目が覚めてしまった。
手持ち無沙汰な思考が向かう先は未だ横向きで就寝中の少女であり、本人が無防備なのもあってついその様子を眺めてしまう。
「……可愛い」
自然とそう言葉を漏らしてしまうぐらい、寝ている雛はやはりとても可愛らしいものだった。
すやすやという擬音が似合いそうなほど穏やかで、あどけなさをたっぷりと含んだ無垢な寝顔。以前のように怖い夢にうなされてもいないらしく、一貫して規則正しい寝息が薄桜色の唇からこぼれている。
ベッドの前に胡座をかいてつい本格的な観察に入ってしまう優人だが、つぶさに見れば見るほど雛の顔立ちは整っていた。
健康的な白い肌、閉じられた瞼を縁取る長い睫毛、小振りで血色の良い唇などなど。一つ一つをとっても最高峰のパーツであり、それらが全て組み合わさった結果がこの誰もが振り返るような造形美だ。
無論、持って生まれたものでこそあれど、それを維持しているのは雛の不断の努力によるものだろう。
その分かりやすい例である群青色の髪の一房をそっと手に取ると、驚くほど指通りのいい感触が指先から伝わってくる。
もう一回、あと一回と続けざまに指を走らせ、その流れのまま柔らそうなほっぺたに手が伸びて、指先が触れた。
もちもち、それともふにふに?
そんなどっちでもいいことを真剣に考え出してしまうほど、雛の頬の魅力に惹き込まれてしまう。
力を加えれば指を押し返す柔らかさもさることながら、きめ細かい肌のなんと滑らかなことか。
頬でこれなら、一番潤いを含んでそうな唇はどれほどなのだろう。
これ以上はいけないと頭では理解しているはずなのに、少しずつ優人の指は雛の唇へと近付いていく。
しかし到達する直前、とうとう雛が明確な反応を示した。
「んぅ……」
掠れ気味の甘い声。
咄嗟に優人が手を引っ込めると、雛の片手がわずかに持ち上がり、顔の少し前をぽふんと叩く。そしてその手は再び持ち上がると、二度三度同じ動きを繰り返した。
叩く位置が少しずつ変わっているところを見ると、まるで何かを探しているような動きだ。
眼鏡だったらベッドのサイドテーブルに置いてあるが……どうにもそれではないように思える。
「んー……ゆーしゅけ、どこ……?」
「はい?」
雛の口から漏れた言葉に優人は首を傾げた。
ゆーしゅけ――……ゆーすけ? 察するに名前だろうか。
優人と二文字までは共通しているが、まさか自分のことではないはずだ。
となると、昔飼っていたペットとか?
『ゆーすけ』とやらの正体が掴めずに頭を捻っていれば、ようやく雛の瞼はゆっくりと薄く開かれ、とろんと蕩けた金糸雀色の瞳が姿を現す。
「ゆーすけ……?」
舌足らずな状態から少し理性を取り戻した言葉が呟かれ、焦点の定まらない瞳が優人の方へと向けられる。
相変わらず『ゆーすけ』が何を指すかは分からないが、これ以上寝顔をじろじろ見ていると、完全に目覚めた雛に怒られそうだ。
ここら辺が潮時だと判断して優人が一旦距離を取ろうとした、その矢先。
「ゆーすけー」
ふにゃりと嬉しそうに綻んだ笑みを浮かべた雛が、優人の頭にぼふんと手を置いた。続けざまにわっしゃわっしゃと髪を撫で回し、あまつさえそのまま優人を自分の方へ引き寄せようとする。
(待て待て待てなに寝惚けてんだ空森!?)
「ゆーすけー、ここにいたー」
突然の出来事に焦りつつも抵抗する優人。
それとは対照的にへにゃへにゃと笑ったままの雛は、もはや胸元へ抱き寄せんばかりにぐいぐい引っ張ってくる。
寝起きが悪いなんて自己申告をいつか聞いたような覚えがあるけれど、これは悪いとかそういうレベルで片付けていい話じゃない。
もしこの状態で優人が力を抜いてしまったら、到達点は当然雛の胸元だ。
華奢な見た目に反して意外と豊かなそこに迎え入れられたら、思春期の男子なら誰もが一度は夢見たような感触を味わえるだろう。
だが、そこで素直に欲望に流されることのできない優人は理性という鎖で必死に自身の手綱を握り、雛の引き寄せとは逆の力で抗い続ける。
「んー……ゆーすけ、今日はどうし――……」
この攻防戦は、さすがに雛の意識を浮上させることになったらしい。
形の良い眉を顰めた雛は完全に瞼を持ち上げ、理性の光が灯り始めた瞳で優人を見た。
「……え」
冷や汗を垂らす優人の顔をしばし見つめ続けた雛は口を半開きにし、優人の頭を掴んでいた手をすーっと遠ざけると、掛け布団を掴んでこれまたすーっと頭の
しばしの静寂の後、厚い布の向こうからくぐもった声が聞こえる。
「……おはようございます」
「……おはよう」
「……あの、私、何を」
「何のことかは分からんが、ゆーすけとか言って俺の頭を掴んできた」
「~~~~っ!」
こんもりと膨れた掛け布団がどったんばったん大騒ぎ。主に暴れているのは上側で、雛が頭を振り回しているのが容易に想像できた。
「……ゆーすけってのは何だ?」
朝っぱらから心臓と理性の耐久度を試されたのだ。
せめてそれぐらいは明らかにしてもらっても構わないだろうと思って尋ねてみると、雛は掛け布団の中からそろそろと目元までを露出させた。
たぶん、今までで一番顔が赤いと思う。
「……あの子です」
「どの子?」
「だからあの子です。クリスマスに先輩から頂いた、あの子のことです……」
「ああ、あいつか……」
ふてぶしい目つきの悪さをした灰色の一匹。どうやら『ゆーすけ』とはあの犬のぬいぐるみのことだったらしい。
……つまり、プレゼントしてから一週間足らずの間に。
「名前なんて付けたんだな……」
というかそもそも起きてすぐに探すということは普段から抱いて寝ている可能性もあ「わざわざ口にしないでくれますかっ!?」
顔面に枕をぶん投げられた。
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