第40話『仁義なき我慢比べ』
デデーン!
『
テレビから流れる効果音とナレーション。
そのすぐ後にどこからともなく軍服+目出し帽という出で立ちの男たちが現れ、アウト判定をされた出演者たちに罰ゲームを与えると、またどこかへと去っていく。
そんな一連の流れが定番となっているのは、年末に毎年恒例で放送されているお笑い番組である。
『絶対に笑っちゃあかん』というシリーズ物として毎年お題を変えており、今年は『絶対に笑っちゃあかん特撮ヒーロー24時』と銘打たれて絶賛放送中だ。
休む間もなく繰り広げられる笑いのネタがメインの出演者たちに襲いかかり、耐えきれずに笑ってしまったら罰ゲームを執行。
お茶の間の人たちはその様子などを見て笑い楽しむといった趣旨の番組だ。
毎年放送するだけあって人気シリーズであり、若者にとって旬の芸能人やネタを挟むこともあって優人の周囲でも総じてその評価は高い。
では、そんな番組を見ている優人と雛が今どんな状態かというと。
「……っ、いい加減諦めたらどうだ、空森? こういうのは声に出して笑うのが、っ、気持ちいいもんだぞ……っ」
「な、なら先輩こそ、そうしたらどうですか? 我慢は、ふふっ、我慢は身体に毒ですよ……っ」
隣り合った二人は互いにヒクヒクと口の端を引きつらせながら、必死の形相でテレビを見ていた。
――そんな状況になった理由は約一時間前、番組が始まってしばらくしてからに遡る。
今まで周囲から話こそ聞いていたものの、実際には見たことがないという雛のためにこうしてチャンネルを合わせてみたが、思いの外彼女の食い付きがいい。
優人にしても別チャンネルの歌番組よりはこちらの方が好みなので、時折声を出して笑いながら番組を楽しんでいた。
そして、そんな途中のこと。
「そうだ空森、今夜の寝床についてだけど」
「はい」
「お前がベッドを使ってくれ」
「はい、分かりま――え?」
優人がテレビ画面から目を離さずさも当然のように告げると、床に置いたクッションの上に腰を下ろした雛はぽかんと首を傾げた。
「私がベッドなんですか?」
「ああ。もちろんシーツとかカバーは洗濯済みの綺麗なもんに変えるから、そこら辺は心配しないでくれ」
「いえ、そういうわけではなく……。でしたら、先輩はどこで寝るつもりなんですか?」
「これ」
自分が座っている二人掛けソファの座面をぼふぼふと叩いてみせる。
優人の身長を考えると幅が少々物足りなくはあるが、一晩程度なら十分ベッド代わりになるだろう。とはいえベッドに比べれば間違いなく寝苦しいはずのものに女の子を寝かせるのも忍びないので、こうして優人が自分から提案した次第だ。
しかし優人の気遣いとは裏腹に、雛はむっと頬を膨らませる。
「私がソファで寝ますよ。最初からそのつもりでしたし、家主である先輩を差し置いてベッドなんて申し訳ないです」
「いいって、気にするなよ」
「気にします。先輩いつもそうやって私を優先するじゃないですか。少しは自分を大事にしてください」
「別に自分を蔑ろにしてるわけじゃねえよ。お前、こういう時は本当に強情だよなあ……」
「知りません。とにかく先輩がベッドを使ってください」
「断る。空森が使え」
「嫌です。先輩が――」
夕食後にしたばかりの意地の張り合いが再び始まってしまい、当然お互いに一歩も譲ろうとしない。
さすがに一緒にベッドを使うわけにもいかないので、今回に限ってはどちらかが折れることでしか決着もついてくれない。
結局その決着のつけ方を求めた結果が、今のこの状況というわけだ。
ルールは単純で『先にこらえ切れずに声を出してしまった方の負け』。
会話、並びにほくそ笑むまでなら可といった多少の緩和事項こそあれど、基本的にはそういう取り決めで勝負を行っている。
わざわざ雛もソファに座り、居住まいを正した上で火蓋を切った我慢比べなわけだが、開始から一時間ほど過ぎた今でも未だ終わりが見えない。
『サバじゃねえ!』
「ふぐっ、っぐ……!」
小道具を使ったシュールな笑いを弱点とする優人。
『もう負ける気しかしねえぜぇぇえええ! イエェェェェイッ!!』
「くふっ、ふ、ふふふ……っ!」
意外にも一発ギャグや勢い任せのごり押しがツボらしい雛。
どちらかに偏るわけでもない番組のネタ構成もあり、現状は一進一退の膠着状態が続いていた。
いい加減諦めてくれないか――そんな意図を込めた優人と雛の視線が交わり、その二つはすぐにテレビ画面に舞い戻る。
先に折れる気がないのはどちらも明白。負けられない戦いが、そこにあった。
状況が動いたのは、そこからさらに一時間ほど過ぎた頃だった。
「――っ」
隣り合った雛の肩がビクンと震える。今までとは明らかに毛色の違う反応の答えはテレビ画面の中にあった。
『絶対に笑っちゃあかん』シリーズは基本的にお笑い要素をベースに進んでいく番組なのだが、しばらくすると『絶対に驚いちゃあかん(怖がっちゃあかん)』という特別ルールに変更される時間帯がある。
名称からも容易に想像できるように、今までのお笑い要素の部分がホラーへと移り変わり、今度はホラー映画ばりの恐怖ネタが出演者に襲いかかるというわけだ。
そういえばホラー物は苦手なんだっけ、といつか優人が見ていたホラーゲームのプレイ動画に対する雛の反応を思い出していると、唇を真一文字に引き結んだ雛が縋るような眼差しを優人に向けてきた。
「せ、先輩……確かルールは先に笑った方が負け、でしたよね? つまり一旦停戦中と扱いで」
「先にこらえ切れずに声を出した方が負けな。別に笑いに限定してないぞ」
よもや学年ナンバーワン学力の実績もある雛が間違って覚えているわけもない。
優人がしれっと言い返すと、雛は絶望的な表情を浮かべた。
優人が圧倒的に有利となったこの状況だが、何もこれを見越してそういうルール設定にしたわけでもない。完全にただの偶然の産物なのだが、運も実力の内というやつだ。
「どうする? 降参するんならチャンネル変えてやるぞ」
「……見ます。ここまで来て負けられませんっ」
「はいはい」
本人がそう言うのなら仕方ない。
もしもの時はすぐにチャンネルを変えられるようにテレビのリモコンを手元に引き寄せ、優人は雛に続いて画面に視線を戻した。
番組内では敵に捕らわれた仲間を救い出すというシチュエーションの下、ヒーローに扮した出演者が病院のような廃墟に踏み込んだところ。
例年にも増してクオリティが高いらしく、所詮は画面の向こうの出来事だと理解しているのに、出演者の感じる恐怖がこちらにも伝わってくるようだ。
そして優人でこれなら、雛はもちろんそれ以上の恐怖を味わっているのだろう。
現にそれとなく確認してみれば、すでにちょっと涙目な雛の横顔が優人の目に映る。
ここまで分かりやすい反応をされると可哀想になってくるが、雛と同様、優人にも意地があるのでこのままである。
どうせもう時間の問題だ――そう自らの勝利を確信して高を括る優人。
けれど番組内の恐怖ネタが本格化してくる内に、予想外の方向からの攻撃を喰らうことになった。
「――ひぅ」
唇の隙間から漏れたような小さな悲鳴の後、微かに引っ張られる感覚を左腕に覚えた。
拳二つ分ほどはあったはずの雛との距離がいつ間にか縮まっており、小さな右手は優人の服をきゅっと掴んでいる。
「……空森?」
「い、今は話しかけないでくれますかっ」
「……すまん」
指摘の言葉は黙って呑み込む。さすがに離してくれというのは酷だろうか。
優人としても別に嫌というわけではないから、構わないと言えば構わないのだが……服越しでも感じる温もりに少し落ち着かない。
優人がそわそわしている間にも番組は進み、それに比例して雛からの接触も徐々に密度を増していく。
腕が触れ、肩が寄り添って、膝がくっついて、そして。
(……これ、当たってるんだよな?)
肘の辺りに感じるのは、男である優人が到底持ち得ることのない柔らかさ。服と、それから下に着けているものもあって少し固さは残るものの、内側に秘められた弾力が伝わってしまう程度には押し当てられている。
本当にそうなのかを確かめようとつい視線を寄せそうになったが、目視したらしたで色々と危うい気がするので視線はテレビに固定。
しかし、そうなるとかえって肌感覚に意識が集中してしまい、ふくよかな感触が優人の思考を揺さぶっていく。
これは、マズい。
男としての本能やら罪悪感やらで頭の中がごちゃ混ぜで、そのくせ触覚だけは鋭敏に研ぎ澄まされる。
「うっ、っ、ひうぅ……」
何よりマズいのが雛自身は無自覚だという点だ。
恐怖に気圧されて無意識に拠り所を求めているのだろう。雛の精神状態が精神状態なだけに無下に振り払うわけにもいかず、なのに本人には自覚が無いからふにふにと絶え間なく押し付けられる。
もし肘を曲げようものならその拍子に
雛がギブアップを宣言したのは、それから五分ほど後のこと。
優人にとっては倍以上の時間に感じてしまい、その間に経験したことは胸の内に深くしまっておこうと心に決めた。
名残惜しさなんて、感じてない。
ないったらない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます