第34話『親心』
優人が重いため息ばかりで二の句を継げない中、代わりに声を上げたのは雛だった。
「……母さん? え、ということは……先輩のお母様?」
「ええ、申し遅れたわね。この子の母親の天見
「あ、はい、よ、よろしくお願いしますっ!」
雛が泡を食った様子でソファから立ち上がり、ぴしっと背筋を正す。安奈が笑みを深めて差し出した手をおずおずと握り返し、未だダメージの残る優人を他所に二人は握手を交わした。
「ど、どうも初めまして、息子さんの後輩の空森雛と申します。今夜はこうしてご相伴に預からせて頂いて、本当にありがとうございますっ」
「あら、これはご丁寧にどうも。楽しんでもえらえてる?」
「はいっ。どれもこれも本当に美味しくて、とても有意義な時間を過ごさせて頂いてます」
「それは良かった。といっても、私はあくまでレシピの考案とか監修までで、実際に作ってるのはこのお店で働いてる人なのよね。今夜だってたまにサポートに回ってるだけだし、その辺りの感想は帰りがけにでもスタッフに伝えてもらえると嬉しいわ」
「はい、必ずっ」
「ふふ、ありがとう。美味しいって言ってもらえるのが何よりの報酬だわ」
そう言って安奈が柔らかく微笑む。
年の功が成せる技とでも言えばいいのか、微妙にカチコチしていた雛もその笑みで肩の力が抜けたように見えた。
まあそれはいいのだが、このまま何の追求もせず話が進んでしまうのにはちょっとストップをかけさせてもらいたい。
「……悪い空森、ちょっとだけ席を外してもらっていいか? ああいや、俺と母さんがどこかに行くでもいいか」
「あ、でしたら私も少しお手洗いに行きたいので」
「助かる」
「あら残念、もう少しお話したかったのに。あ、そうそう、今急いでフレンチトーストの追加分を作ってもらってるから、たぶん戻ってくる時には焼き立てが並んでるはずよ」
「本当ですか!? 是非寄らせてもらいますっ」
「おい待ていつから見てたんだよ!?」
わざわざフレンチトーストを話題に上げるということは、少なくともさっきの雛とのやり取りは見られていたはずだ。
急激に羞恥がこみ上げて声を荒げるも、安奈には「まあまあ」と笑って流されるばかり。お手洗いに向かった雛に手を振り終えた安奈が向き直る頃には、優人はどっと疲れた様子でソファに座り込んだ。
「どうしたの。慣れないあーんに精神でもすり減らした?」
「うるさい……。で、何で
「あはは、あなたのことはもちろん大事だけど、さすがにそこまで子煩悩にはなれるほど暇じゃないわねえ」
生まれつきの目つきの悪さで睨みを利かせても安奈はまったく動じない。そもそもが父親譲りのものである以上、安奈にとっては慣れ親しんだ視線なのだろう。
「仕事よ仕事。元々今年のクリスマスはこっちに顔を出す予定だったの」
「そうかよ。……まさか父さんも?」
「そうしたかったのは山々だけどねえ、厳太郎さんは
ということは、これ以上知ってる人間に見られて羞恥の傷が深くなることはないらしい。
その事実にひとまず胸を撫で下ろしていれば、安奈はにんまりとした生温かい視線を優人に送っていた。
「それにしてもびっくりねえ、まさかあんな綺麗で礼儀正しい
「言っとくけど彼女とかじゃないからな? 学校の先輩と後輩、お互い友人として来てるだけだ」
「ムキになって否定しなくてもいいじゃない。あなたたち二人の関係を深めるきっかけになればと思って招待状を送ったけど、まさかここまで期待通りにいくとは思わなかったわ」
「だから違――……ちょっと待て?」
今の言葉は、どこかおかしくないだろうか?
そもそも今回の招待状は「もし気になる相手がいたら」という、あくまで架空の相手を想定して郵送されたものだったはずだ。
なのに今の安奈は、あたかも最初から雛のことを知っていたような口振りをしていた。
「……空森のこと、知ってたのか?」
そうとしか考えられない。
そして優人の問いかけに、安奈は思いっ切り口の端を吊り上げてみせた。
「もっちろーん」
「何で、どうして……!?」
「何でも何も……ねえ優人、そもそもあなた誰の
「……ああそうかよ芽依さんかよ」
またもや痛くなってきた頭を抑えながら、優人はソファに背中を預けて天を仰ぐ。
情報源は現住所である『コーポとまりぎ』の大家――木山芽依ということらしい。
元々安奈が芽依と知り合いということで紹介してもらった物件だ。つまるところ雛が優人の隣に越してきたことすらも、とっくに安奈の知るところとなっていたわけか。
「芽依さんから何を聞かされたんだよ」
「そう警戒しなくても、変なことは聞いてないわよ? 風邪を引いた雛ちゃんが頼って家に上げる程度には親しいってことぐらい」
「ああもうあの人は……!」
よりにもよって一番知られたら面倒そうなところだった。
「実際に見るまでは半信半疑だったけど、結構仲が良さそうじゃない。あなたたち二人、あーんまでしちゃって良い雰囲気だったわよ」
「本当にどっから見てたんだ……。空森だって単にテンションが上がってただけだろ。こういう店には憧れてたって言ってたし」
頬杖を突いた優人がそう言うと、安奈はこれ見よがしに大きなため息をついた。若干可哀想なものを見る目をされているのが癪に障る。
「あのね優人、少なくとも女の子は、何とも思ってない相手と、クリスマスイブに、二人で、お出かけなんてしないから」
一言一言を句切り、なおかつ人差し指から順繰りに指を立て、優人に言い聞かせるように強調してくる安奈。
ずいずいと突き付けられる指の圧にたじろぎつつも、優人は仏頂面を崩さず言い返す。
「だからって別に」
「それとも何、私より女心が分かるとでも?」
「…………」
そう言われてしまうとお手上げだった。
彼女いない歴=年齢の優人が女心の機微を説くなど、とてもじゃないができやしない。
「まったく。色々とお年頃なのは分かるけど、そう否定されてばかりじゃ厳太郎さんが可哀想よ。今回の招待状だってあの人が用意してくれたんだから」
「父さんが?」
「ええ。言い出しっぺはむしろ厳太郎さんなのよ」
意外だった。
優人にとっての父の印象は、簡潔に言えば厳格で実直。もちろん冷たいというわけではなく、しっかり息子である自分への愛情は感じていたが、こういったお節介を焼くようなタイプに思えなかった。
内心で困惑する優人に、微かに目を伏せた安奈はそっと口を開く。
「……ここだけの話ね、厳太郎さん、あなたの人間関係に関しては私以上に気を揉んでるのよ? 自分の目つきの悪さが遺伝したせいで、昔から優人には迷惑をかけてるって」
「別に父さんのせいじゃないだろ。遺伝なんて個人でどうこうできるもんじゃないんだし」
「そう言われてはいそうですかって納得できないのが親ってもんなの」
とん、と安奈から人差し指で額を小突かれる。
確かに父親譲りの目つきの悪さは要因の一つだとは思うが、優人の交友関係の狭さはあまり広げようとしない自分自身の意識の問題でもある。
だから気に病むこともないと思うのだが……それでも、色々と気を遣ってくれるらしい。
ふっと緩やかに息を吐き、優人はソファに身体を沈めた。
「……父さんには、今度お礼言っとくよ。心配してくれてありがとうって」
「ええ、そうしてあげなさい。きっと喜ぶわ」
「母さんもな。ただ空森とのことはこれ以上引っかき回さないでくれ」
「それは俺たちには俺たちのペースがあるからってこと?」
「だーかーらー……」
「はいはい。そろそろ雛ちゃんも戻ってくるだろうし、お邪魔虫は退散するわねー」
そう言って優人の肩をぽんぽんと叩き、安奈はスタッフルームへと繋がるドアの方へ。
結局肝心なところは邪推されたままで終わってしまったが、さすがに追いかける気にもなれないので、優人は今一度大きなため息をついて溜飲を下げた。
フレンチトーストを手に入れた満面の笑顔の雛が戻ってくるのには、そう時間もかからなかった。
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