第33話『無意識かそうでないか』
食べ始めてからそれなりの時間が過ぎても、雛の勢いは衰えを見せることがなかった。
むしろ尻上がりに調子を上げるかのようにスイーツを取ってきては味わい、テーブルの端に使用済みの食器を次々と積み上げていく。
時折食器を回収していく店員が驚きつつも微笑ましそうにしているあたり、雛の食べっぷりは端から見ても気持ちのいいものらしい。
実際、対面から見ている優人がそれを一番強く実感していた。
純粋な笑顔で食べる雛は見ていてほっこりしてくるというか、思わず手が伸びて頭を撫でたくような可愛らしさに溢れている。童心に帰ったというのはまさにこういう状態を言うのだろう。
アップルパイの時はここまでにならなかったよなあ、と微妙に引っかかりを覚えながら優人もケーキに口を付けると、悔しいがやはりプロの手際は素晴らしいと思い知らされる。
しっとりとした生地の食感も生クリームの優しい甘さも、これぞお手本な出来映えだった。
優人もいつしか些細な嫉妬の念など忘れて舌鼓を打ち、喜びを露わにする雛につられるように食事を続けた。
そうして、結構お腹も膨れ始めた頃だった。
「先輩、それ何ですか?」
取ってきた分を食べ尽くした優人が新たなスイーツを仕入れて席に戻るや否や、その皿の中身を見た雛が整った眉を上げた。
「フレンチトースト。タイムセールコーナー? みたいなとこに新しく出てたぞ」
日替わりならぬ時間替わりとでも言えばいいのか、ビュッフェには時間帯によって並ぶ商品の変わる一角があり、そこに新しく追加されていたのがこのフレンチトーストだ。
焼き立てのパン生地から香ばしく甘い匂いが漂う一品で、食指が動いたので三枚ほど取ってきた。
「それも美味しそう……。あとで私も取ってきますっ」
「何だったら取ってくるか? 俺が見た時点でもう半分以下になってたし」
「いえ、自分の分は自分で。もう少しで今あるのも食べ終わるので、そしたら行ってきます」
「ん、了解」
雛の皿には大した量も残ってないのですぐに席を立つことになるだろう。
それぐらいならフレンチトーストが無くなることもないな、と判断した優人は座席に着き、まずは口の中のリセットを兼ねてついでに淹れてきた紅茶に口を付けた。
「……どうした?」
宣言通りそう時間も経たないうちに席を立った雛を見送り、食事を再開した優人が確保したフレンチトーストの最後の一枚にフォークを突き刺した時だった。
さっきまでの幸福感カンスト状態が幻だったかのように、肩を落とした雛がひどくどんよりとした状態で戻ってくるではないか。
「目の前で……最後の一枚が……」
「あー……」
途切れ途切れの言葉でも事情は飲み込めた。
しおしおと座る雛は結局別のスイーツを取ってきたみたいだが、大本命を取り損ねたという事実はかなりショックが深いらしい。
「そんなすぐに無くなるとはな……」
「いえ……本当のことを言えば一枚だけ残ってたんですよね……。ただ私が取ろうとした時、ちょうど小さい女の子も取ろうとして……」
「その子に譲ったと」
「はい……あんな物欲しそうな顔をされたら、そうする他ありませんよ……」
そういう言う雛も大概な表情だと思うが。
とはいえそんなことを口走ったら意気消沈している彼女の傷口に塩を塗り込むことになるので、優人は黙って自分の手元に視線を落とす。
幸い、口を付けてないフレンチトーストがまだ一枚残っていた。
雛の持ち前の優しさが仇になって終わりというのも悲しいし、この一枚は彼女に進呈しよう。
「俺の取ってきたのやるから元気出せって。まだ口付けてないヤツだし」
「え、本当ですかっ!?」
「ああ。ほら」
優人が提案した途端、目を輝かせた雛の口元にフォークに突き刺したままだったフレンチトーストを差し出す。フレンチトーストさんもこんなに喜んでくれる美少女に食べてもらった方が本望だろう。
「ありがとうございます!」と口にしてから少し身を乗り出した雛が大きく口を開く。血色の良い薄ピンクの舌が覗く口内へとゆっくりフォークを近付けると、餌を与えられた小鳥にも似た可愛らしさで雛がぱくりとくわえた。
――たぶん、この時はお互いあまり意識をしていなかった。
優人は優しい行いをした後輩へのささやかなご褒美のつもりだったし、雛はまさしく一筋の光明に飛び付いたといった感じのはず。
だからお互い行動の意味を深く考えてなくて、今の自分たちが周囲からどういう目で見られるのかも、頭からすっかり抜け落ちていた。
フレンチトーストが完全に雛の口内に収まった、まさにその時だった。
「見て見てあそこの二人。彼女さんあーんしてもらってすっごい笑顔」
「ああいう幸せそうなの見ると、彼氏欲しいなーって思うよねえ」
店内の雰囲気を損なわない程度には各所で会話が弾んで騒がしい店内で、その間隙をすり抜けるように聞こえた女性二人組の声。
それは優人と、そしてきっと雛にも届いていて、二人の動きが示し合わせたようにビタリと固まる。
フォークをくわえたままぱちくりと大きく目を見開く雛。
薄い黄色を帯びた金糸雀色の瞳は照明を浴び、まるで宝石のように綺麗な輝きを優人へと見せつける。
だがその美しさに見入る暇もなく雛の首元からじわじわと朱色が広がり、やがて端正な顔を全面的に彩っていく。
そんな鮮やかな色の変化を見届けてから、我に返った優人は遅蒔きながら雛の唇からフォークを抜き取った。彼女の唇とフォークの先端をほんの微かに繋いだ銀色の糸が、やけに鮮明に目に映ったような気がした。
「う、美味いか?」
即座に顔を伏せてしまった雛に向け、優人は絞り出すように問いを投げる。真っ赤に染まった彼女の耳を視界に入れないように気を付けながら。
「美味しいと……思います」
「……思いますとは?」
「ごめんなさい、今ちょっと、味がよく分からなくて……っ」
「そっか……何か、すまん」
「いえ、こちらこそ……」
誰かどうにかしてくれこのむず痒い空気。あの女性二人組の発言さえなければこんなことにならなかったというのに。
しかしそれを掘り返しても状況は変わらないだろうから、結局優人は「ちょっとトイレ行ってくる」と戦略的撤退を選択するしかなかった。
冷水を顔に浴びせてどうにかこうにかクールダウンには成功した後、席に戻ると一人の女性が雛と会話していた。
真っ白なコックシャツにスラックス、腰に巻かれたエプロン。長い髪をバレッタでまとめたその後ろ姿にはどこか見覚えがあって、優人の背中に嫌な汗がじわりと滲む。
「あ、先輩。お店の人が挨拶に来たらしくて……」
優人に気付いた雛が分かりやすく状況を説明してくれた。
ただどう考えても
「やっほー、メリークリスマス優人」
「何でここにいるんだよ母さん……!?」
実の息子の悲痛めいた叫びを聞いても女性――天見安奈は愉快そうな笑顔を浮かべ続けるのだった。
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