第32話『頑張り屋さんは意外にも』

 電車と徒歩でおよそ一時間、辿り着いた優人の母・安奈監修のデザートビュッフェ店は二人の冷えた身体をほどよい暖気で出迎えてくれた。

 うやうやしく頭を下げる女性店員に招待状を渡し、それから手荷物類は預かってくれるということなので優人はコートを、雛はそれに加えてハンドバッグと紙袋をそれぞれ預けた。


 未だにドレスコードの是非を危ぶんでいた雛がおっかなびっくりコートを脱ぐのが可笑しくて、優人はバレないように声を抑えて笑う。

 同性の女性店員ですら、コートを脱いで現れた雛の出で立ちにほぅと吐息を漏らすぐらいなのだから、いい加減胸を張ってもいいと思うのに。


 手荷物と交換に番号の書かれたプレートを受け取り、店員に案内され、優人を最後尾にいよいよ店の奥へと足を踏み入れる。


「わあ……!」


 普段よりも幼さを含んだ歓喜の声が優人の前で上がった。

 興奮に目を輝かせる雛、そして同等とまではいかなくとも目を見開く優人。そんな二人の前に広がるのは、聖夜にうってつけの煌びやかな世界だった。


 大きなシャンデリアを中心に暖色の照明で照らされた店内。

 随所にはおそらくクリスマス特別仕様の装飾が追加されており、豪華でありつつも目に優しい明るさを保っていた。

 シャンデリアの真下、店内中央にはビュッフェ用のスペースが設置され、遠目からでも数々のスイーツが用意されているのが分かる。

 一際目を引くブラウンのタワーはチョコレートフォンデュの類だろう。


 忙しなく店内を見回す雛に気を配ってくれたのか、幾分か歩調を緩めた店員に先導され座席に到着した。

 位置としては店内の角、店を支える大理石の円柱の一本にほど近い二人掛けの席だ。

 ビュッフェに向かう際には比較的不便な席かもしれないが、円柱のおかげで周囲の視線をある程度遮れる形になっているので、来店客の平均年齢層から下に飛び出しているやや場違いな優人たちにとっては正直ありがたい。


 その証拠に、最後にビュッフェの内容を丁寧に説明して去る店員を見送った後、雛は一人用のふかふかなソファの上で大きく息を吐き出した。


「大人の世界って感じですねえ……」

「だな」


 放心したような雛の呟きに首肯しゅこうを返す。

 席に着くまでの間に軽く客層を確認してみたが、当然優人たちと同年代の客など一人もおらず、一回りは年上であろう人たちが大半だ。

 そしてクリスマスイブという日を考慮すればこれも当然だが、客層は男女のペア――つまりカップルが七、八割方を占めている。


 周囲からはギリギリ大学生と認識されなくもない優人と雛もまた、その大勢の中の一組にカウントされているのだろうか。

 そんな考えが優人の心臓をざわつかせるが、見知らぬ人間の視線や詮索など気にしても意味なんてない。

 そう内心で切り捨てていると、テーブルの向こう側からじっと優人を窺う雛の視線に気付いた。


「どうした?」

「いえ、先輩はなんだか場慣れ感があるなと」

「あー……まあこんな感じの店は、小さい頃に何度か来たことがあるし」

「そうなんですか?」

「親に連れられてな」


 流行調査、敵情視察、単純に趣味、理由は色々だったけれど、両親と一緒に足を運んだ経験はそれなりにある。

 周囲の迷惑にならない範囲内に抑えられてはいたものの、当時は今の雛以上に騒いでいた気がする。


「……先輩って結構ブルジョワ?」

「そういうわけじゃないと思うが」


 一般家庭より来店頻度が高かったのは認めるが、何も事あるごとに訪れていたわけではない。

 住んでいたのは普通の一軒家だったし(ゆくゆくは両親は日本に戻るので現在は管理業者に任せてある)、日々の食卓に高級食材が並ぶような豪勢な生活をしていた覚えもない。


「そういう空森だって育ちが良さそうに見えるけど」

「……そうですね。そうだとは思います」


 ――失言だった。

 雛にとって実家関連の話はタブーだったろうに、話題に上がった勢いでつい話を振ってしまった。

 自分の迂闊さを恥じた優人はテーブルの下で自分の膝を手荒く叩き、気を取り直して立ち上がる。


 せっかくの機会、楽しまないと損だ。


「ほら、時間だって無制限じゃないんだからそろそろ取りに行こうぜ」

「――はい!」


 顔に差した暗い色が鳴りを潜め、雛の瞳に再び興奮と期待が灯る。

 嫌なことを思い出させてしまった分、勝手を知ってる自分が雛に楽しんでもらうようフォローしよう。

 そんな柄でもないことをひっそりと胸に秘め、優人は雛と並んでビュッフェコーナーへと足を運んだ。









(……うーむ)


 ビュッフェ開始から約二十分。目の前のテーブル上に広がる光景に優人は心の中で唸りを上げた。


 名称こそデザートビュッフェといえどスイーツしかないというわけではなく、パスタやサンドイッチ、サラダなど簡単な軽食類もある程度は用意されている。

 この店には夕食も兼ねて訪れたということもあり、優人はまずそれらを少しつまんでからスイーツ類に手を出すことにした。


 片や雛は一皿目からスイーツを選択。

 栄養バランス的には褒められた食事内容とは言えないが、普段からその辺りは考えて自炊に励んでいるみたいだし、たまにはこういったちょっと悪い贅沢をしても構わないだろう。


 そう思ったので、特に何を言うわけでもなく食事を楽しんでいるのだが。


「――! ――! ――!」

「……美味いか?」

「はいっ、どれもこれも本当に美味しくて……っ! はぁぁああ……幸せってこういうことを言うんですねえ……!」

「そうだなー」


 若干遠い目をして受け答えながら、優人は改めてテーブルの上に目を走らせる。


 雛の前に並べられたスイーツの、まあ何と数の多いことか。

 ケーキ、プリン、ゼリー、アイスetc.エトセトラetc.エトセトラ。一つ一つの大きさ自体はビュッフェ形式ということもあって小さめなものの、興味が引かれたものを手当たり次第持ってきたような種類の多さだ。


 そしてそのどれもこれもを、雛は喜びを全面に押し出したような笑顔でぱくぱくと小さな口の中に収めていく。

 プロの手による渾身の作品たちが彼女を狂わせるのか、そのペースはかなり早い。

 男としては甘党の部類に入る優人ですら、たぶん同じペースで食べたらちょっと胸焼けを起こしそうなほどのハイペースだ。


 もし雛に犬の尻尾でも生えていようものなら、きっとスカートが捲れ上がるほどの勢いでぶんぶんと斜め上へ振られていることだろう。


 すっかり心の底から楽しんでくれているようなので何よりである。

 しかし、これだけの量をあの細い身体に詰め込んでいけるのかが割と本気で心配になったりもする。

 ……まあ同年代に比べて立派な発育をしているし、何より学年主席に輝き続けた彼女の頭脳はそれだけの糖分エネルギーを日々必要としているのだと思うが。


 華奢な見た目に反して、意外と食いしん坊。

 空森雛という少女に対する優人の評価に、新たにその特記事項が追加されることになるのだった。

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