第31話『褒め合い照れ合い』
「おっす優人」
「おはよう。……なあ一騎、ちょっと訊きたいことがあるんだが」
「ん、何だ?」
「お前、クリスマスってやっぱエリスとデートするんだよな?」
「そりゃな。カップルにとっちゃ外せないイベントだろ。今年はイブに、電車で行ける距離の人気イルミネーションを見てくるつもりだ」
「服とかどうするか考えてるのか?」
「まあ、それ用に気合いは入れるつもりだな」
「具体的には?」
「……その前に、どうしてお前がそこまで詳しく訊きたいのかを先に教えてもらおうか?」
「――これは友達の話なんだが」
「いやお前にその手は使えねえから」
朝練を終えてすぐに教室に来たのか、制服を軽く着崩した精悍な顔付きの友人はわざとらしいまでの半笑いを見せつけた。
実に失礼な出鼻のくじき方に優人は眉を
優人だって自分にその手の相談を持ちかける奴がいたら正気を疑う。
代わりにこちらも憤慨だと言わんばかりのジェスチャーを形だけ見せ、すぐ近くの窓枠に寄りかかった一騎が会話の態勢を整えるのを待った。
「そんで、一体全体どういう風の吹き回し――って答えは分かったようなもんか。おめでとう優人、お前にもとうとう春が来たわけだ」
「そういうわけじゃない」
椅子に座る優人を生温かいにやけ面で見下ろす一騎に訂正を入れる。
あくまで雛との約束は友人という間柄で交わされたものであり、そこに恋愛的な意味での浮いた話はない。
だがその勘違いを訂正しても、一騎はなおも軽薄な笑みを貼り付けたままだ。
「そう謙遜すんな。この際相手に関しては不問にしてやるから正直に答えろって。デートなんだろ?」
「だから違う。あくまで友人として出かけるだけだ。たまたまそういう流れになったんだよ」
「強情だねえ」
からからと笑った後、一騎は呆れたように肩を竦めた。
「ま、これ以上追求してへそ曲げられてもなんだしな。訊きたいことってのはどんな服を着てけばいいかって話か?」
「……ああ。少なくともみすぼらしい外見は、相手に対しても失礼だから避けた方がいいと思って」
「良い心がけだ。よし優人、ちょっと立て」
人差し指と中指をくいくいと上に向けた一騎に従い、優人は椅子から立ち上がる。
姿勢を伸ばした優人の頭から足までざっと眺めると、一騎は腕を組んで低く唸った。
「つっても、改めて見ると結構身長もあるからなあ。無難にシンプルな服装でまとめるのがいいだろ」
「シンプルがいいならそれに越したことはないけど……そんなんでいいのか?」
「過ぎたるは及ばざるが如しってヤツだ。第一、
「……はいはいそーですね」
痛いところ突かれてしまった。
してやったりといった風に笑う一騎に優人は唇を尖らせるが、教えを講う立場なのでそれまでに留める。
「髪はどうするつもりなんだ?」
「軽くワックスで整えるぐらいはしようと思ってる」
「ん、よしよし。長さ的には問題ないだろうから、あとは上手くボリュームを持たせる感じだな」
髪に関して、優人は日頃から清潔感を感じさせる程度には切り揃えるようにしている。
以前は目つきの悪さを誤魔化すため、目を隠すように前髪を伸ばしていた時期もあったのだが、それを見たエリスから「ふとした瞬間に髪の隙間から目が見えて逆に怖いかも」という大変ありがたい指摘を頂戴したので切ることにした。
どっちにしろ怖がられるなら、最初から晒け出してしていた方がまだマシだという判断である。
その後、髪のセットに関するコツや、上下真っ黒のコーデはやめろよといった忠告などを
「おっと優人、一番大事なこと言い忘れてた」
自分の席に戻る間際、振り向き様に優人の胸目がけて一騎が人差し指を突きつける。
「相手のことを褒めるのは忘れんなよ? 片手間じゃなく、面と向かってしっかりとな」
「それが一番ハードル高そうなんだけど……」
「なんたって一番大事だからな。ハードルは高いぐらいがちょうど良いんだよ」
「はいはい、了解」
結局時間ギリギリまで付き合わせてしまった。後でジュースの一本でも奢るかと密かに決め、席に向かう一騎の背中にひらりと手を振った。
数日が過ぎたクリスマスイブ当日。
二学期の終業式も滞りなく終わり、自然と足早に帰宅した優人は自宅で今夜の外出に備えていた。
「こんなもんか」
洗面所の鏡に映った自分の姿をひとしきり吟味してから、そんな一言で本日のコーディネートを締めくくる。
数日前の一騎の助言通り、服装は至ってシンプルなものを選んだ。
黒のスキニーパンツに明るい色のシャツ、そしてボタンの付いたVネックのカーディガン。あとは上に防寒用のコートを羽織れば完成だ。
シルエットを重視したコンセプトであり、ワックスでボリュームを持たせた髪型も含めて及第点と言えるレベルには仕上がったと思う。
それから忘れ物がないかの確認をしていれば約束の時間になり、ハンガーにかけていたコートを羽織った優人は外に出た。
これまた一騎から授けられた『相手の家が近いなら迎えに行ってやれ』というアドバイスに
果たして徒歩一、二秒の距離にその意義があるのかどうかはさておき、助言自体はもっともだと思った優人は雛の部屋の前に立ち、一度深呼吸をしてからドアチャイムを指で押した。
いつものピンポン、そしてすぐ向こう側で待っていたのではないかと思いたくなるほど早く開かれる玄関。
そこから姿を現したのは――息を呑むほどの美しさを持った可憐な少女だった。
「……こんばんは」
化粧の一環かそれとも乾燥対策か、リップを塗られて艶めいた唇が夜の挨拶を紡ぐ。
ほんのりと熱を帯びたその声色がまた可愛らしく、優人は生返事すらもほどほどに、外に出て静かに玄関の鍵をかける雛の姿をまじまじと見つめてしまう。
いや、真実目を奪われてしまったと言っても差し支えがなかった。
施錠を終え振り返った雛が優人の様子に気付き、小首を傾げる。さらりと流れた横髪から、夜の冷たい空気をすり抜けて甘い香りが届いた気がした。
「どうかしましたか?」
「いや、何か気合い入ってるなと思って」
「だ、だってせっかくのお洒落なお店ですし、ドレスコードとかあるかもしれないじゃないですか……」
「そこまで格式高くないっての」
畏まる雛の様子に苦笑がこぼれた。
仮にドレスコードがあったとしても彼女がNGを喰らうことはありえない。そう確信できるぐらいに、目の前の少女は一つの完成形ともいえる美を誇っていた。
黒い
ベルトの付いたハイウエストのスカートは腰の細さと高さ、そしてその上に位置する女性らしい起伏を品よく際立てている。
雛もまた防寒のために上からコートを着ているが、多少シルエットを隠したところで彼女のスタイルの良さまでは隠せなかった。
配色は優人と上下逆といった形に近く、薄化粧の施された白磁のような頬、両足を包む黒のストッキングも合わされば、白と黒のコントラストはとても素晴らしい。
「……どこか、変でしょうか?」
「いやそんなことは――」
優人の視線に何を感じたのか、やや伸びた横髪をくるくると落ち着かなそうに指先で
刹那、脳裏をよぎったのは友人から一番大事だと言われた助言。
「――綺麗だよ。よく似合ってると思う」
素直な気持ちだからこそ飾り気のない言葉を、宵闇の中で輝く金糸雀色に届ける。
ぱちくりと見開かれた彼女の瞳はしばらくそのまま静止し、やがて白黒のコントラストに新たに濃い薔薇色が追加された。
「あ、ありがと……ございます」
囁くようなお礼をしっかりと耳が拾い上げた結果、今度は優人の顔に熱が集まってくる番だ。
けれど後悔はない。恥ずかしさで頬を染めた雛の表情には、一時の羞恥心を我慢するだけの価値が十二分にあった。
「そろそろ行くか」
「……はい」
とはいえ、いつまでも眺めているわけにはいかない。区切りをつけて雛を促し、落ち着くまで不自然でない程度に距離を取ろうと、優人は雛の少し先を歩こうと足を踏み出そうとする。
けれどその一歩は、コートの袖をつまむ白く細い指によって止められた。
振り返った先で、ほんのりと湿り気を帯びた瞳が優人を見上げる。
「先輩も、その……凛々しいと思いますよ?」
「……目つきが悪いってのにも言い様はあるもんだな」
「素直に褒め言葉として受け取ってくださいよ、もう……」
無茶言わないでくれ。
そんな心臓が打ち震えるような言葉なんて、素直に受け取るにはあまりにも純粋すぎるのだから。
もちろん優人のそんな胸中など露知らず、なおも両頬に小さなお餅を作った雛は手荷物のハンドバッグを優人の背中にぽふんと叩きつけた。
「荷物、どっちか持つか?」
見れば雛の手荷物はハンドバッグと、それから無地の手提げの紙袋が一つ。対して優人の持ち物はポケットに収まる量なので、両手ともフリーな状態だ。
よもや雛と手を繋ぐわけもないのでどちらか片方ぐらい持とうかと手を差し出すと、雛はやんわりと首を振る。
「い、いえ、これは大丈夫です。特に重くもないので」
ささっと背中側に隠した紙袋は大事なものなのか。
今夜の外出にわざわざ持ち出したことを不思議に思うが、追求するものでもないだろうと割り切って優人は前を向く。
目的地に向け、一組の男女はゆっくりと歩き出した。
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