第30話『クリスマスのご予定は?』

 どうにかこうにか雛を宥めた後、優人は彼女が煎れてくれた温かい緑茶でまったりとした食休みの時間を過ごしていた。

 キッチンでは雛が食器洗いに勤しんでおり、カチャカチャと食器同士が擦れる音や水音が聞こえてくる。


 夕食は振る舞ってもらえたのだし後片付けぐらいは優人がやろうと申し出たのだが、お客様だからという理由で断られてしまった。さっきまでの膨れっ面がまだ若干尾を引いていたのですごすごと引き下がるしかなかったとも言える。


 そうしてインスタントの粉末緑茶を味わいながら適当にスマホをいじっていると、急にその画面が切り替わった。

 表示されたのは着信を示すマークで、発信者は『天見安奈あんな』。優人の母親だ。


 雛に電話が来たことを軽く伝えて一旦玄関から外へ出る。

 別にそのままで室内で電話しても雛はうるさく言わないとは思うが、何となく母親との会話を聞かれるのは恥ずかしいものがあった。あと万が一、何かの拍子に雛の声が向こうに届いたら面倒になりそうだというのも理由の一つだったりする。

 アパートの外廊下の柵に預け、優人は通話ボタンをタップした。


「もしもし?」

『もしもしー? 優人、今大丈夫?』


 柔らかくも芯の通った母の声が聞こえる中、優人はちらとスマホの時刻表示を見る。


「俺はいいけど、逆にそっちは大丈夫なのかよ。今そっちは明け方ぐらいだろ?」


 両親がいる外国と日本の時差を考えれば、おおよそそれぐらいの時間のはずだ。

 ずいぶん早起きだなと訝しんでいれば、電話の向こう側から欠伸混じりの笑い声が届いた。


『こっちは徹夜だったのよ。クリスマスが近付いてきたから忙しくてね、これから家に帰るところ』

「え、大丈夫かよ」

『だいじょぶだいじょぶ。ようやく仕事は一段落付いたし、今日と明日はゆっくり休めることになってるから。その辺りはちゃんと厳太郎げんたろうさんがスケジュール組んでくれてるわ』

「ならいいけど」


 優人の頭に浮かぶのは、自分以上に目つきの鋭い男がスケジュール帳片手に机に向かう姿。

 あの厳格でありつつもパートナーへの気遣いを人一倍絶やさない父親がそばにいる限り、安奈に過剰な負担を強いることはまずありえないだろう。


「それで、わざわざ電話してきたのは何でだ?」


 いつも通りの両親の様子にひっそりと安堵しつつ尋ねる。

 わざわざ徹夜明けにメールでなく電話してきたということは、何かしら至急な用事でもあるのだろうか。


『ちょっと確認をね。アレを送らせるように手配したんだけど、郵便で届いてない?』

「アレ?」


 安奈の言葉に首を傾げながら自宅の鍵を開けて玄関内側の郵便受けを確認してみると、昨日はなかった一枚の白い封筒が入っていた。

 手に取ったそれはぱっと見でもどこか高級感があり、金色の筆記体で文字がつづられている。どこかの店名か何かだろうか。


「何これ?」

『ふふん、何を隠そうそれは、私が監修したちょっとお高いデザートビュッフェ店の招待券よ。クリスマスイブ特別コースの、それもペア券。去年はオープンしたばっかりでバタバタしてたから無理だったけど、今年はこうして送らせてもらったわけ』

「……何でそんなものを?」

『お店の出来映えを息子に自慢したいのが半分。もう半分は――』


 遠い外国の地で母がにやけ面を浮かべたのが、嫌でも分かった。


『せっかくのクリスマス、気になる子でも誘ってみたらどうっていう息子へのささやかな提案よ』

「ささやかねえ……」


 封筒を開け、中に入っていた二枚の券をしげしげと眺めながら優人はため息をつく。

 心遣いはまあありがたいと思うのだが、正直に言えば大きなお世話感が強い。

 クリスマスイブに男女二人でちょっとお高いお店で食事なんて、どう見てもカップル同士の行いだ。


『高校生活だってもう折り返しを過ぎたわけだし、そろそろ気になる女の子ぐらいできる頃でしょ? 勇気出して誘ってみなさいよ』

「……別にいないっての」


 思わず雛の顔が浮かんで返事に詰まってしまい、慌てて頭を振ってその考えを消し去る。

 優人と雛の関係はそれなりに親しいものになったとは思うが、あくまで先輩後輩、隣人だ。その距離感を計り違えてはいけないし、日頃から異性からの好意に晒されている雛はそういった不用意な距離の詰め方には余計に辟易としているはずだろう。


『焦って作るものじゃないってことは分かってるわよ? でも年頃の息子を持つ親としてはね、そろそろ恋人の一人や二人できないものかって思っちゃうのよ』

「いや二人もできちゃダメだろ」

『言葉の綾よ、いちいち揚げ足取らないの』


 笑ってたしなめるような安奈の声音。

 結局優人の人間関係を心配しての行動だというのが察せられるから、こちらも頭ごなしに断ることができない。


「……まあ、とりあえずありがとう」

『ええ、どういたしまして。使い道に困って金券ショップに売ったりするのはナシよ?』

「そこまで罰当たりな真似はせんわ」

『あら失礼。じゃあね優人、おやすみなさい』

「ん、そっちもおやすみ」


 海を渡ってお互いを繋いだ電波の線がプツリと切れる。

 再び外廊下の柵に背中を預けて緩く息を吐くと、たゆたう真っ白な吐息はすぐに消えた。


「どうしたもんかねえ……」


 ひとまず受け取るだけ受け取ったが、やはり使い道に困ってしまう。

 基本的に優人の交友関係は狭いし、それが女子ともなれば余計に狭まる。

 エリスは一騎というパートナーがいるわけだし、小唄もこういったイベントは家族と過ごすと決めているらしい。そうなるとあと候補になりそうなのはたった一人で……。


(だからダメだっつの)


 同じ思考を繰り返す前に見切りをつけ、招待券はポケットに突っ込む。

 最悪一騎たちにプレゼントするのも一つの手だなと考えつつ、雛が待つ室内へと舞い戻った。


「電話終わったんですか?」

「ああ、母親からだった」

「……そうですか。先輩のお茶、新しく煎れ直しておきましたよ」

「ん、ありがとう」


 母親という単語を聞いた瞬間の雛の表情がわずかに曇ったように見えたが、すぐにその色は鳴りを潜めた。

 優人も深く追求するべきではないと気付かない素振りで緑茶を啜ると、緑茶の渋みと温かさが冷えた身体に沁み込んだ。


「……何ですか、それ?」


 ポケットから中途半端に飛び出た封筒を目敏めざとく見つけたらしい。

 こういう観察力の高さが勉強にも一役買ってるんだろうなと一人納得しつつ、疑問符を浮かべる雛が見えるように取り出した封筒をテーブルに置いた。


「招待券の類ですか?」

「ああ。母さんがパティシエだってのは前に話したよな? その母さんが監修した店からのクリスマスイブの招待券。おまけにペア券だとさ」

「ペア券」


 込められた意図を正しく察したのか、雛の頬がほんのりとりんごの色に染まる。

 それを隠すようにそさくさと自分のスマホを手にした雛は、封筒とスマホを交互に見ながら指を走らせた。


「え、すごいお洒落なところじゃないですか」


 どうやら店名からホームページでも検索したらしい。興奮した様子で優人の方へと向けられたスマホにはシックで品の良さそうな店内と、綺麗に盛り付けられた数々のスイーツの宣材写真が表示されていた。


「値段も結構お高めですね……」

「まあ高校生にとってはな」


 さすがに五桁とまではいかないが、高校生が行くには二の足を踏む金額であり、親の伝手つてとはいえ気後れしてしまうぐらいだ。


「それで、先輩はどうするんですか?」

「どううするって言われても……誘う相手もいないしなあ」

「あの人は? 同じ部活の、鹿島さんでしたっけ?」

「この手のイベントは家族で過ごすんだと」

「そうなんですか……」


 ぽつりと相槌を打った雛の視線は未だスマホに注がれたまま、細い指が画面を行ったり来たりスライドしている。

 どことなく物欲しそうな色が見え隠れしている、その瞳。


「そういう空森は誘われたりしてないのか? 友達とパーティーとか同級生の男からとか」

「仲の良い子は大体彼氏持ちなんですよね。男の子からは……何人か誘われたりしましたけど、お断りさせてもらいました。ほとんど交友のない人ばかりでしたし」

「まあ、そんなもんか」


 クリスマスイブの時点で誘う側はそういった願望を持っているだろうし、誘われる側だってある程度脈ありでないと承諾することもないだろう。

 勇気を出した後輩男子諸君に軽い同情の念を送り、優人は何となく招待券を手に取った。


 ――手元には一組分のペア券。そして今この場に、共にクリスマスイブの予定がない男女が一人ずつ。

 そうなってくるとやはり、選択肢としてあがるのは自然な流れなわけで。


「その」「あの」


 互いの声が正面衝突した。


「悪い。空森からでいいぞ」

「いえ、先輩からどうぞ」

「……あー、その、何だ……一応聞いてみようと思うんだが」

「は、はい」

「もし興味があるんなら……行ってみるか?」

「……私と先輩でってことですよね?」

「そりゃあまあ」


 むしろそれ以外に誰がいるというのか。

 店のホームページを眺める雛の瞳の奥がキラキラしている気がしたから提案してみたわけだが、改めて確認されると頬に熱が集まってくる。

 苦し紛れに緑茶から立ち上る湯気で顔色を隠すと、肩を縮こまらせた雛が優人を見た。


「確認しておきたいんですけど……ペア券ということは、先輩のお母さんはそういう相手を誘ったらということで送ったきたんですよね?」

「そんな感じのことは言われたな。心配しなくても、この誘いに乗ったからって『あ、俺に気があるんだな』とか自惚れたりしないから安心しろ。あくまで友人として、空森が行きたそうにしてたから誘っただけだ」

「……それはそれで複雑な気も」

「ん? すまん、よく聞こえなかった」

「いえ何も」


 こほんと咳払いをする雛。


「では……ご一緒させてもらってもいいですか?」

「ああ、こちらこそよろしく」


 あらかじめお互い友人としてだと割り切れてさえいれば、案外気も楽だ。

 それに冷静に考えてみれば、どうせ両親は海の向こう側。雛と一緒に店に訪れたとしても直接見られることもない。


「こういうお洒落なお店って、実はちょっと憧れだったんですよ」

「そっか。ならちょうどいい機会だな」

「はい、誘ってくれてありがとうございます。……楽しみにしてますね」


 ふわりと雰囲気を柔らかくした雛が、可愛らしい微笑みを見せる。白魚のような肌には淡い薔薇色が差していた。

 そんな風に笑ってもらえるなら誘った甲斐があったなと、早くなった心臓の鼓動を落ち着かせるように優人は息をついた。

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