第28話『頑張り屋さんへのご褒美』
キリの良いところまで終わって早めに部活を切り上げたその日の夜、優人は雛の部屋の玄関前に佇んでいた。
十二月の凍てつくような夜の寒気が身体にまとわりつく中、ほんの少し手を伸ばせば届く距離のドアチャイムを押し込む踏ん切りがなかなかつかない。
帰宅してからさっそく作ったとある品はすでに優人の手の上にでんと鎮座しており、ほのかな温かみと確かな重さを伝えてくる。
我ながら良い出来映えだし、味にも自信はある。だが優人の胸中には不安の影が差しており、それがどうにも次の行動に移るのを阻害してくるのが現状だ。
……今さらな話だとは思うが、正直勢い任せで作ってしまった感がある。
品物の完成度自体はさておき、いきなりこんなもの作って持ち込もうとするのはいかがなものか。雛にとっては突然のことで逆に迷惑だったりしないだろうか。
そんな煮え切らない考えが頭の中に浮かんでは消えを繰り返し、でももう作ってしまったし、いつまでもここでうだうだしていたら不審者として通報されかねないので、優人は意を決してドアチャイムを押し込んだ。
すぐに「はーい」と返事があり、それから少し間を置いて開かれる玄関の扉。その向こう側から顔を見せた眼鏡姿の後輩は、来訪者が優人と分かるなり軽く頭を下げた。
「こんばんは、先輩。お待たせしてすいません」
「おう。もしかして取り込み中だったか?」
「お気になさらず。いつも通り勉強してただけですから」
突然の訪問に気を悪くした様子もなく、むしろ待たせたことを悪びれるように雛が目尻を下げる。
相変わらずの態度に優人が苦笑を浮かべると、彼女は不思議そうな眼差しで優人を見上げた。
「何かご用ですか?」
「大した用ってわけじゃないんだが……」
「?」
無垢とすら言える金糸雀色の瞳に先を促され、優人は今まで玄関の陰に隠していた品物を差し出した。
「……これを作ってきたんだ」
平皿に盛って上からラップをかけたその一品は、綺麗な円形のアップルパイ。サイズこそそこまで大きくはないが、網目状の生地はこんがりと美味しそうなきつね色に焼き上がり、その下にはしっかり煮詰めたりんごがぎっしりと詰まっている。
「えっと……どうしてまた?」
「あー……急に創作意欲が湧いてきたというか……芽依さんから貰ったりんごが余ってたから有効活用したというか……」
「先輩?」
この期に及んでしどろろもどろな優人に、雛が怪訝そうに首を傾げた。
いい加減男らしく腹をくくろう。一度深呼吸を挟んで気持ちを整え、優人は宙ぶらりんだった視線を雛に向けた。
「その、なんだ……テストを頑張ったことへのご褒美、みたいなもんだ」
「……私にですか?」
「他に誰がいるんだよ」
目を
すると雛は現実味がないような表情でアップルパイを見下ろし、それから小さく整った唇を自嘲気味に歪めた。
「私、今回は成績落としましたけどね。先生からも次は頑張れ、期待してるなんて言われちゃいましたし」
なんてことはないように言葉を続ける雛。
小唄から職員室で聞いた内容は本人も直接言われていたようだ。まるで雛の努力を軽んじた無神経な発言に苛立ちが募るが、それを抑えて優人は緩やかな口調で言葉を重ねる。
「別に残念賞ってわけじゃないぞ。今回の結果だって素直にすごいし、いつも頑張ってると思うから……まあ、そこら辺の色々を引っくるめてのご褒美だ。空森ならたまにこういうの貰ってもバチ当たらんだろ」
「……ありがとうございます」
それなりに雛への励ましにはなったらしい。へにゃりと眉尻を緩ませた雛に向けてアップパイを近付け、おずおずと差し出された両手にゆっくりと器を乗せてやる。
「ふふ、美味しそうですね」
「一応自分でもうまく出来たとは思う。まあ、もし口に合わなかったら突っ返してくれて構わないから」
「そんなことないですよ。この前のプリンも美味しかったですし、今回も楽しみにさせてもらいますね?」
そう言った雛の緩んだ表情は、とても可愛らしかった。
普段よりもあどけなさを多分に含ませた笑顔が自然と優人に向けられ、直視に耐えかねた優人はふらふらと視線をさまよわせる。
最後の照れ隠しの発言もあっさりと雛に跳ね返されてしまったせいか、心臓をさわさわと天使の羽でくすぐられているようで非常に落ち着かない。
「じゃあ俺はこれで」
「あ、先輩」
くすぐったさからの戦略的撤退を図った優人が部屋に戻ろうとすると、それよりも早く雛が動いた。
細い指が優人の上着の袖をちょこんと掴み、幼子が何かをせがむようなその仕草に、またしても優人の心臓はざわつく。
「あの……お夕飯ってもう用意しちゃいましたか?」
「まだ、だけど」
若干言葉を詰まらせながら答える。
今日は帰宅してからすぐアップルパイ作りに注力していたので何も用意がない。今から準備するのも面倒なので、買い置きのカップ麺で適当に済ませるつもりだ。
そんな優人の返事に何を思ったのか、わずかに口角を持ち上げたように優人の目に映った雛は、頬を淡く色づかせて次の言葉を紡ぐ。
「良かったら、今夜はうちで食べませんか?」
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