第27話『抱いてしまった感情』
「おおー、前回よりもさらにランクアップとは。頑張ったなエリス」
「今回は調子が良かったから、これぐらいは当然」
中庭に掲示された二学期期末テストにおける成績優秀者一覧の貼り紙を前にし、エリスが慎ましい胸を張る。
言葉の割には満更でもなさそうな面持ちのエリスと、それを自分のことのように喜びながら彼女の頭を撫でる一騎。
それなりの数の生徒が掲示板前に集まる中、人目をはばからず恋人らしい触れ合いを始める二人に若干呆れつつ、優人もまた心の中で「おめでとさん」とエリスに賞賛の念を送る。
昼休みの余った時間を利用して貼り紙を見に行くという二人に、暇だった優人はなんとなく付いていった形だが、改まって周囲を見回してみると集まった生徒は学年問わず浮き足立っているように思えた。
なにせこうして期末テストも終わりを迎えたのだ。学生憩いの長い休みがすぐそこまで迫っており、冬休みといえばクリスマスや年越しなどイベントは盛り沢山。
早くも遊びの予定のすり合わせを始めている人たちの姿もある。
これといった予定のない優人はまったりと過ごすつもりだが、一時的とはいえ勉学から解放されるというのはやはり気が楽だ。
――ところで、今この場でちょっとした波乱が起きていた。
主に騒いでいる一年生たちのおかげで何が起きたかはおおよそ把握しているが、彼らの会話に耳を傾ければより鮮明に内容が聞こえてくる。
「一位が空森さんじゃないってマジ?」
「マジマジ。ほらあれ、三位だってよ」
「うわホントだ」
誰かが指さした方に、優人の視線も釣られるように動く。
入学からこれまで一番右端を独占していた『空森雛』の三文字が、今回は二つほど左にズレた位置に記載されていた。前回の点数はうろ覚えなので断言できないが、下位の者が上がったというよりは雛が落ちたといった方が正しいだろう。
(まあ、色々と大変だったろうしなあ……)
突発的な引っ越しに慣れない一人暮らし、テスト期間直前には風邪にも見舞われていたのだ。急激な生活の変化を考慮すれば、むしろこの程度のランクダウンで済んでるだけで十分と言っていいだろう。
「とうとう空森さんの牙城が崩れたかあ」
「今回も穫ればキリ良く五連続だったんだけどな。なんかちょっと残念って感じ?」
「まあ誰にでも調子が悪かったり、気が抜けちまう時ぐらいあんだろ」
残念。調子が悪かった。気が抜けた。
今までの雛の成績と比較すれば、確かにそう言いたくなると思うけど。
「……どうかしたか優人?」
「え?」
ひとしきり喜びを分かち合ったのか、いつの間にか一騎たちが訝しむように優人を見ていた。
「どうかしたかって?」
「お前、なんか機嫌が悪そうな顔してるぞ」
「別にそんなこと……」
「してるって。なあエリス?」
「うん。はい鏡」
ブレザーの内ポケットからコンパクトな折り畳み式の手鏡を取り出したエリスが、開いたそれを優人へ差し向ける。
促されるがままに覗き込んでみれば、確かに鏡の中の世界の優人はいつも以上の仏頂面を浮かべていた。
(なんでこんな顔してんだ、俺……?)
いくら首を捻っても、答えは出てくれそうになかった。
「先輩がいつも言ってますけど、あたしらって部じゃなくてあくまで同好会なわけじゃないっすか。その割にテスト期間中は他の部と同じ扱いで活動停止って……なんか納得いかなくありません?」
「言いたいことは分からなくもないがな。むしろ同好会レベルなのに、放課後は自由に家庭科室を使えるだけ優遇されてると思うぞ?」
「それを持ち出されるとそうなんすけどねえ」
放課後の家庭科室。本日の料理同好会の活動は普段と趣が異なり、教室内の掃除をメインに行っている。
冬休みが入るとしばらくこの根城にも来なくなるので、その前のちょっと早めの大掃除といった感じだ。
優人は棚の上といった高い位置、小唄は調理台やシンク回りをメインにと、適当に雑談しながら役割分担してテキパキと掃除を進めていく。
「先輩はテストどうでした? 学年順位とか」
「107位。前よりちょっと上がった」
「あ、ギリ勝った。あたしちょうど100位っす」
「お前意外と成績良いよな」
「ふふーん、能ある鷹は何とやらってヤツっすね!」
ドヤ顔しているのが声音だけで分かった。
一学年の人数は学年によって違いがあるものの、平均しておよそ四百人程度。上位25%と考えれば小唄の成績も中々のものだ。
「テストは結構気が抜けないんすよねえ。成績ががくっと落ちたりすると、あたしのママうるさいですし」
「教育ママってことか?」
「そういうんじゃないっす。成績落ちると家のことで負担をかけてるんだーとか言い出して、あたしがやってる家事に手を出そうとするからなんすよ。あたしは好きでやってるわけだし、ママは外で頑張ってくれてるんだから家ではゆっくり休んでればいいんすけどねー」
優人が軽く視線を向ければ、やれやれと首を振る小唄の姿が目に入る。
こうしてたまに話を聞くだけでも、小唄と彼女の母親が互いを思いやっていることが伝わってくる。本当に良い親子関係だ。
「そういえば先輩、最近空森ちゃんとはどうなんすか? デートぐらいしました?」
何の脈略もなしに投げつけられた質問に、踏み台代わりにしていた椅子の上でずっこけそうになった。
「いきなり何だよ。デートなんてするわけねえだろ」
「ホントっすか~? そう言って陰でこっそり着々と――」
「してない」
全く接点がないといえばもちろん真っ赤な嘘になるが、かといって男女のアレコレに発展しているわけでもない。
「なんでまたそういう考えになるんだよ」
「……女の勘?」
「自分で言ってて首を傾げるな」
疑問符を浮かべる小唄にツッコミを入れる。気付かないうちに勘付かれるような振る舞いをしたのかと疑心暗鬼になって損した。
「空森自体が彼氏を作ろうとか思ってないだろ。今は勉強が大事って感じみたいだし」
「みたいっすね。今回のテストは学年三位でしたし、いやーすごいですよねー」
「……順位が落ちて残念だとか言ってる奴らもいたけどな」
「あー、職員室に寄った時、先生たちも似たようこと言ってましたね。感覚が麻痺ってるだけだと思うんですけどねえ」
「……え?」
「だって、普通に考えたら三位でも十分過ぎるぐらいじゃないっすか。オリンピックで言えば銅メダル。あたしからしてみたらベストスリー……いや、上位二十名のあの一覧に入るだけでもすごいっすよ。――って先輩、手が止まってますよー?」
「あ、悪い」
中途半端なところで止まっていた掃除の手を動かす。
(そうか、そういうことだったのかもな……)
小唄が言葉にしてくれたおかげで、ようやく昼休みに浮かべてしまった自分の表情の正体が掴めた気がした。
雛が掴んだ学年三位という順位は、本来なら胸を張って誇れるだけのもののはずだ。なのにこれまでの結果が故に、高すぎる水準が当たり前となり、ほんの少し下回っただけで期待外れのように扱われてしまう。
まるで雛の日頃の努力を否定するかのような物言いに、あの時の自分は無意識に腹を立ててしまったのだろう。
そしてそう思ってしまうのは、きっとここ最近、他の人よりも近しい距離で雛の人となりやその努力の片鱗を見たせいだ。
垣間見た程度の優人でこれなら、当の本人はどんな気持ちなのか。
そんな風に考えてしまったが最後、優人の頭の中では使えそうなレシピの発掘作業が始まるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます