第5話『予想外の展開』
日の光も完全に落ち、代わりに人工の光が辺りを埋め尽くす午後八時台。
奮発した外食で胃袋を満たした優人は、仕事終わりのサラリーマンや居酒屋の呼び込みなどでごった返す駅前で雛を見つけた。
(いつまでああしてるんだ……?)
実を言えばこれは二度目の遭遇で、店に入る前にも一度見かけていた。その時はしきりにスマホをいじっていたし、たぶん誰かと待ち合わせでもしてるんだろうと思って声をかけなかったけれど、三十分以上経っても場所を移動していない。
今やスマホを持った手はだらりと垂れ、宙ぶらりんな視線は目の前の地面にひたすらに注がれているだけだ。見るからに無気力で、どうしていいか分からず途方に暮れたような姿。
けれど不謹慎ながら、そんな姿でも雛は絵になる。
U字型の車止めポストに中腰で腰掛ける雛は、大きめのダッフルコートに膝丈のスカートという出で立ちだ。そして、足下には二、三日分の外泊ができそうな大きめのバッグ。
降り注ぐ街灯はさながらスポットライトのように雛を照らす。夜は目立ちにくいはずの寒色系の群青色の髪でも際立って目立つように見えるのは、それだけそれが綺麗で艶を放っているからだろう。
しかし、今の状況には少し危機感を覚えてしまう。
明日から休みというだけあって、繁華街はいつもの平日以上の賑わいを見せている。そうなるとよからぬ輩も出てくるわけで、雛のような外見抜群の美少女が一人がいたらなおさら――……言わんこっちゃない。
優人の悪い予感をなぞるように、千鳥足気味の男が雛に近付いて声をかけた。遠目だから正確には分からないが、大学生かその辺りの年齢。恐らく「これから遊ばない?」的なことを言っていて、雛はその誘いを断る素振りを見せているけど、男は取り合う様子もなく雛の前に居座る。
「…………」
その光景を眺め、優人はがしがしと頭を掻いた。
別に、わざわざ助けにはいる必要もないだろう。人の目も多い往来なのだから無理矢理連れて行かれることもないし、雛だって声も出せなくなるほどの引っ込み思案な性格でもないはずだから、ちょっと大きな声を上げればそれで終わり。
――そう頭では思ってるはずなのに、どうして自分の足は勝手に動いてるのか。優人自身もよく分からないもやもやを抱えたまま、二人の方へと近付き、横合いから声をかける。
「そこら辺にしてもらってもいいですか? 彼女、迷惑してるでしょう」
「っ、え……あ、天見先輩?」
ぱっと弾かれたように優人に向けられる金糸雀色の瞳。なんでここに、と言いたいのは嫌でも伝わってくるけれど、悪いが一旦後回しだ。
「あー……なんだ迷惑ってえ。俺ぁただなあ、この子と楽しくー、おしゃべりしようと思っただけだろお」
酒臭い。酔っ払っているのは明白だった。
鼻を刺すアルコール臭に顔をしかめつつ、優人はそれとなく相手を押し退けて雛との間に自分の身体を割り込ませる。
「そこどけよお。俺はその子に用あんだからあー……!」
「そんな状態じゃろくに話もできないでしょ。彼女も嫌がってるみたいだし、ここら辺で切り上げてください」
「だからー、俺はその子に用があんらってー……!」
これはだめだ。同じことばっかりで呂律も回らなくなってきてる。こうなったら多少強引でも、優人が食い止めてる間に雛には逃げてもらって――
「あ、いた! あそこだあそこ!」
「何やってんだタク!」
と、優人が実力行使に出ようとするよりも早く、新たに二人の男が参戦した。
「店から出たら急にいなくなりやがって。ほら、そこまでにしとけって」
「だから俺ぁただ話がー……!」
「あーはいはい、話ね話。それなら俺らが夜通し聞いてやるから」
「マジでごめんね? こいつ、最近彼女に振られたばかりだから荒れててさ」
そうしてタクさんとやらは、二人組に両側から肩を担がれて繁華街の方へと消えていった。めでたしめでたし……とは言い難いか。
「災難だったな」
三人の姿が完全に見えなくなったところで、ほっと安心したように肩の力を抜いた雛を
「……ありがとうございました。あの、先輩はどうして?」
「晩飯食べた帰り。たまたま通りかかっただけだ」
「そうでしたか」
そう言って長く息を吐き、雛はまた地面とのにらめっこを始める。まだここから動く気はないらしい。
「……まあ、悪いのはもちろん向こうだけどさ、空森もあんまりこの時間に一人でうろつかない方がいいと思うぞ」
「それなら先輩もじゃないですか」
「男と女じゃわけが違うだろ」
ただでさえ人目を引くんだし、とは思うだけで口には出さない。
「そもそもそんな荷物持ってどうしたんだ? 友達の家にでも泊まるのか?」
雛の足下に置かれたバッグを顎でしゃくる。すると雛は華奢な肩をビクリと震わせた。
「えっと……」
地面とバッグ、そして優人の顔と、視線を忙しなく行ったり来たりさせる雛。テストで悪い点数を取ったことがバレた子供のように身体を縮こませると、やがて雛は絞り出すように口を開く。
「……家出、してきたんです」
「……は?」
「だから……家出です。私、家出してきちゃいました」
「してきちゃいましたって……お前、何でまた」
「色々とありまして」
「そりゃ色々がなきゃ家出なんてしないだろうよ……」
してきちゃいました、なんて言葉尻だけは可愛らしくしされても、雛の口からこぼれた内容の衝撃は全く衰えない。空いた口が塞がらないとはこのことか。優等生な雛らしからぬ発言に優人は驚きを隠せなかった。
……まあいい。この際理由はひとまず置いておく。起きてしまったことより、問題なのはこれから先の方だ。
「で、どうすんだ。行くあてはあるのか?
「……ま、漫画喫茶とか」
「会員証作るのに身分証出せって言われたらどうすんだよ? 学生証なんて出したら補導されかねないぞ」
「うっ」
雛が苦虫を噛み潰したように
よしんば受付はパスできたとしても、漫画喫茶のセキュリティなんてあってないようなものだ。雛みたいに未成年の女の子が一人なんて危険すぎる。店舗によっては鍵をかけられる完全個室の店もあるけれど、どちらにせよ金銭的な問題でもあまり現実的とは言えない。
「それこそ泊めてくれる友達とかいないのか?」
「……急な話ですし、相手にも、その家族にも迷惑をかけちゃいますから」
「心遣いは立派だけど、そんなんでよく家出したなお前……」
あからさまに呆れ返ってしまった優人の言葉に、それでも雛は言い返してこない。彼女自身、自分の行動が短慮だということは理解しているのだろう。
それでも、家出という手段を選択した。つまり、それだけ込み入った事情があるということだ。
「…………」
優人は背筋を反らして天を仰ぐ。
どうしたものか。
優人には雛を助ける義務も義理もない。理由はさておき、家出という手段に踏み切ったのは雛自身の選択で、何が起きたとしても自己責任。先ほども似たような自問自答をした。
けど、なのに、このまま見過ごす気になれない。その理由が、どうしてさっき自分の足が動いてしまったのかが、今になってようやく分かった。
――今の雛は、どこか幼い迷子のように見えるからだ。
「空森、一つ聞かせろ」
「……?」
優人を見上げる金糸雀色。一度そう意識してしまったかせいか、その瞳はやけに不安げに揺れているように思えた。
「やっぱり家に帰るって選択肢はないんだな?」
「…………」
沈黙はイコール肯定だ。
優人はもう一度天を仰ぎ、息を吐くと、足下の雛のバッグを掴んだ。
「付いて来い」
「え……せ、先輩?」
「少なくとも漫画喫茶よりはマシなところに案内してやる」
優人はそう告げると、ポケットからスマホを取り出して歩き出した。
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