第4話『コーポとまりぎ』
数日が過ぎた三連休の初日。世間一般は平日だが、優人の高校は創立記念日で休日になっているその日は、昼過ぎから慌ただしくなった。
優人が一人暮らしをしているアパート『コーポとまりぎ』――その隣人が引っ越しするということでその作業が行われ、優人はその手伝いに駆り出されていた。「暇なら手伝ってよ男手」と大家に部屋から引きずり出されたのが運の尽きである。
まあ暇だったのは事実だし、隣でどったんばったんしているのを聞かされるぐらいなら別にいいかとも思ったのだが。
とはいえ引っ越し業者に頼むほど大掛かりな作業内容でもなかったらしく、遠くの空がうっすらと茜色に染まる頃合いにはほぼほぼ片付いた。
「それでは、お世話になりました」
丁寧に頭を下げるのは、本日をもって優人の隣人でなくなる
今は大家との部屋の最後の見回りが済ませたところで、男手として手伝いに来ていた彼氏は荷物を積んだレンタカーの点検をしている。
「こちらこそ今までありがとう。ナナちゃんがいなくなると寂しくなるなあ」
寂しいと言いつつ七瀬の門出を祝うような明るい笑顔で応じるのが、大家である
ちなみに、以上のことをたとえ褒め言葉として口にしても、「それはお姉さんが老けてるってことかな? ん?」と曲解されて詰め寄られてしまうので注意が必要。アラサーの四文字などタブー中のタブーである。
「でもナナちゃん、本当に良いの? 家具とか家電とか、めぼしいものはほとんど残していっちゃって」
「ええ。彼とも話し合って、新居に合わせて色々と買い直した方がいいかなってことになったので。むしろ引き取ってもらえるだけでありがたいですよ」
「まだまだ全然綺麗で使えるものばかりだからね。次の入居者にはオプション付きってことで勧められるから、こっちとしてもありがたいよ。邪魔になったら知り合いのリサイクルショップに買い取ってもらえばいいだけだし」
「あはは。まあ、ちょっとした置き土産ってことで好きに使ってください」
そいうして二人で笑い合った後、七瀬は優人の方を向く。
「天見くんもお世話様。これ、手伝ってくれたお礼ね」
七瀬から茶封筒が差し出される。
「そんな、いいですよ別に」
「いいのいいの、バイト代兼
「……じゃあ、頂きます」
茶封筒を受け取り、七瀬と握手を交わす。お祝いの意も込めて「彼氏さんとお幸せに」と言うと、七瀬は照れくさそうに「どういたしまして」と愛嬌のある笑顔を浮かべた。
ほどなくして彼氏の方から準備完了のお声がかかり、七瀬は晴れやかな表情で新居へと繰り出していった。
「いやー、ナナちゃん幸せそうだったねえ」
「そうですね。彼氏さんも良い人そうでしたし」
少しノリは軽そうではあったが、七瀬を大事にしてるのは引っ越し作業の短い間でも伝わってきた。末永く続きそうな良いカップルだと思う。二人の未来に幸あれ。
「そういう優人くんはどうなのさ。高校の方で気になる女の子とかいないの?」
「なんですか唐突に。特にいませんよ」
「もったいないなあ。ちょーっと目つき悪くて第一印象は無愛想だけど、誠実で真面目だし、結構優良物件だと思うんだけどな。お菓子作りが上手いっていうのもポイント高いよ?」
「そんなもんですかね……」
ため息混じりに言葉を返す。
こうして腕を買ってくれるのは嬉しいのだが、所詮、
……まあ、最近例外もあったのだが。
と、一つ年下の少女のことを思い出していると、芽依は腕を組んで正面から優人を見据えた。まるで出来の悪い教え子を諭すような視線を優人に向け、やれやれと首を振ってセミロングの癖毛を揺らす。
「もったいない、もったいないよ優人くん! 若さは財産なんだからもっと青春を謳歌しなきゃ!」
「そんな力説されましても。というか、こと恋愛に関しては芽依さんだって人のこと言えな――」
「優人くん?」
「イエナンデモ」
先に話を振ってきたのは芽依からだというのに、なんと理不尽なことか。というか怖い。女性にしては身長ある方だから余計に圧がある。
戦略的撤退を選択した優人に満足そうに頷いた芽依は、「ところで」と話を切り替えた。
「優人くんの周りに一人暮らししたいって子はいない? こうして空き部屋ができたわけだし、安くしとくよ?」
「……思い当たる人はいないですね。俺だって親の仕事の都合でそうしてるだけですし、高校生で実際にしたい奴なんて一握りでしょう。そろそろ不動産屋に頼んでもいいんじゃないですか?」
一般的にアパートの入居者は不動産などの仲介業者に頼むのものだと思うが、この『コーポとまりぎ』は大家である芽依の
「やっぱりそんなもんだよねえ。一人暮らしって自由な反面、色々と大変だし」
「まあ、もしいたら声かけるぐらいはしてみますよ」
そもそもの交友関係が狭い優人にそんな機会が巡ってくるかは謎だけれど。
最後に芽依は「よろしくね」と言い残し、このアパートから歩いてしばらくのところにある自宅へと帰って行った。
さて、思わぬ臨時収入にも恵まれたことだし、今日の夕食はちょっと奮発した外食にでもするとしよう。
そうして繰り出した夜の町で。
「……何やってんだあいつ」
優人は途方に暮れた様子で一人佇む、空森雛を見かけたのだった。
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