第9話 駅員さんと山高帽

 カランカラン。

 カランカラン。


 どこからともなく聞こえてくるハンドベルの音。


 駅の中は街の外へ働きに出る人達と外から来た人達とが行き交い、老若男女がせわしなくうごめいている。

 改札口から覗くホームには、ちょうど国境のピクシスから来た列車が到着したところだった。


「ごめんください」


 あたしは、改札に立つ駅員さんに声をかける。


「何だいお嬢ちゃん?」

「本日、時刻表整理の依頼を受けて参りました時計屋のピッコリーナです」

「ああ、君が時計屋さんか。ウワサは色々聞いているよ」


 ウワサというのは、多分この街で唯一の時計屋ってことだろう。

 多分……


「よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく。楽しみにしているよ、時計塔の魔物を倒して寝ぐらをぶんどったって魔女の実力を」


 ちょっと何、その出所不明すぎる怪しさ臨界突破の話!

 一体、どっから湧いて出た?

 そもそも、時計塔の魔物ってなんだよ……


「えっと、それ誰から聞いたんですか?」

「そう聞くってことは、やはりウワサは本当だったんだね」

「違いますから、そんな根も葉もないウワサなんて真に受けないで下さい」

「そう照れなくてもいいよ。サイクロプスなんていにしえの戦士でも、おそらく一人じゃ倒すのは困難って言われているんだ。むしろ誇るべきだよ」

「いや、サイクロプスなんていませんから、あの塔……」

「てことは、ミノタウロスか! クレータの牧場から逃げて来たという、あのウワサは本当だったのか……」

「いや、ミノタウロスでもないですから……」


 おいおいおい、一体どっからこんな変なウワサが飛び交ってんだよ?

 あたしは、ただ居心地良いからあそこ住んでるだけだってのに。

 しかも、なんだか知らんうちに色々尾ひれ付きまくってるし……


「まあ何にせよ、すごい時計屋だって話も聞いてるから、期待しているよ」

「はぁ、ども……」


 出だしからこういう人に会うと、なんか調子が狂うな。


 ともあれ、あたしは気を取り直して改札をくぐる。

 そこで、ちょうど改札から出ようとする人とすれ違う。

 山高帽を目深にかぶったそのおじさんは、茶色の大きな手提げカバンを軽々と持ち上げて中から切符を取り出す。

 ふと、そのカバンの奥で何かが赤く光っているのを目にして——


 ちくん——と一瞬、心臓を針で突かれるような感覚があった。


(どうした?)


 不意にピノが話しかける。


 いや、なんでもないよ。


(そうか。それにしては……)


 言いかけて、ピノはそこで黙り込む。

 多分、あたしがその時、どんな顔をしていたのか解ったからだろう。


 あのカバンの中身…………


「時計屋ちゃんだね?」

「あ、はい」


 後ろから声をかけられて、はっと我に返るあたし。

 振り向くと、おじさんというには少し若い二十代後半から三十代前半くらいの駅員さんがニコニコと手を振っていた。


「時間通りだね」

「はい」


 まぁ、本当は一時間余裕持って出てたハズなんだけどね……


「ところで、そんなところで突っ立ってどうかしたのかい?」

「いえ、えっと……あのお帽子かっこいいなぁって」


 あたしはそう言って改札を出るおじさんの山高帽を指さしたつもりだったが、しかし駅員さんは何を勘違いしたのか誇らしげにこう返した。


「わかっちゃう? そうなんだよ、僕もこの帽子に憧れて駅員になった口でね。いや嬉しいねー、この帽子の良さが分かるなんて」

「ええ、はい……そうですね」


 いやまぁ、駅員さんの帽子もかっこいいとは思うけどね。

 アゴ紐とか。


「さて、今日は時刻表整理だったね」

「はい」

「時刻表は列車の生命線だからね。腕のいい『時計屋』だと聞いてるから、楽しみにしているよ」

「ありがとうございます」

「で、時計塔の魔王ナイトメア=カイロックスを従えているというウワサは本当かい?」


 ………………………………おい、おっさん。


「なんですか、その無駄にかっこいい名前の魔王は……ていうか、そんなのいませんから……」

「そうなの?」


 そこで、めっちゃ残念そうな顔してため息つかないでくれません?

 てか、ここの駅員ってみんなこうなのか?

 もしかして、仕事で色々あって童心に帰りたくなるお年頃なんだろうか?

 正直、これから会う人全員こんな「少年の心を持った大人達」の集まりだったら、ちょっとヤダなぁ……


「ここだよ」


 案内されたのは、ホームの端にぽつんとある屋根付きの祠のような丸い建屋。

 精巧なレンガ造りで、正面の木の扉を開けると下へと続く螺旋階段があった。


「それじゃあ、入ろうか」


 そう言って、にっこりと笑いながら手を差し伸べる駅員さん。

 あたしは恐る恐るその手を掴みながら、階段の奥の暗闇へと踏み出すのだった。

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