第6話 猫のいる礼拝堂

 朝の礼拝の時間まで20分。


 教会の入り口には、熱心な信徒であろうフードの女性が一人、

「ミャオーム」と鳴く黒い猫を抱えて立っていた。


 互いに「おはようございます」と挨拶を交わしてから、あたしは奥に勝手口のある左手の方へと向かう。


 はて、あの猫……なんかこっちをじっと見つめているような?


 そう思ったのは、すれ違いざまにちらっと横目で眺めていたら、ふと黒猫と目が合ったからだ。

 綺麗な黄金色の瞳は瞬き一つせず、ただこちらを興味深そうにガン見していた。

 あたしは小首をかしげつつも、まっすぐ勝手口へと足を進める。


 ま、考えても仕方ないからね。

 それより仕事仕事。


(黒猫か…)


 不意に、ピノの声が頭の中に聞こえてきた。


(俺のいた世界じゃ不吉の象徴みたいに言われてたけどな)


 そうなの?


(そうそう、詳しくは知らんけど、なんか魔女の使い魔みたいな?)


 ふーん……まあ、魔女ってのは、あながち間違ってないかもね。


(どういうことだ?)


 昔の魔術師達は、薬草を採取するのに猫を連れて行ったり、天気を占う時に猫をそばに置いたりしてたらしいから。


(なるほど、そういうことか)


 だからなのか、猫をいじめたりすると呪われるなんて話もあるよ。


(怖えな、それ……)


 さらには、「お猫様」なんて呼んでる国もあるくらいだからねぇ。


(犬将軍ならぬ猫将軍でもいるのか、その国?)


 惜しい、実は猫大公ねこたいこう様なんだよねぇ。


(すっげー、どうでもいい情報だわ)


 どうでも良くないよ。

 ある村なんか、猫大公様を怒らせて村人全員が精神魔術で脳みそ赤ちゃん化したなんて記録が公式で残ってるんだから。


(猫大公様こわっ!)


 気をつけなよ、猫大公様の悪口いったらヤバいんだからね。


(え、もしかして、その大公様まだ生きてらっしゃる?)


 まさか、生きてたら五百歳以上だよ?


(いや、でも今の言い方って……)


 言ったよね、精神魔術が使えるからヤバいって。


(どういうことだ?)


 精神魔術が使えるってことはさ、いつ肉体が滅んでも良いように魂だけを別の器に入れ替える事もできるんだよ。


(マジかよそれ……)


 ピノが掠れたような声でつぶやく。

 人形だからわからないが、おそらく内心ではブルブルと震えているんだろう。


 などと脳内会話しているに、勝手口である。

 扉のすぐ右の壁面には、小さな円の中に六芒星の魔法陣。

 指で陣に触れると「ピンポーン」と音が鳴る。そして——


『はい、どちら様でしょう?』


 空中に司祭様の顔が現れる。

 光学魔術を利用した魔導機マテリア内線念話インテルノ』だ。


「時計屋のピッコリーナです。柱時計の点検に来ました」

『おお、随分早い到着ですね。てっきり午後になってからくるものかと思いましたよ』

「礼拝の前に済ませておこうかと思いましたので」

『それは助かりますが、すぐ終わりますか?』

「はい、3分ほどお時間いただければ終わります」


 あたしは、少し多めに見積もった時間を彼に告げる。

 実際、点検だけなら1分もかからずに終わる。

 けど、それでは『時計屋』としては下の下だ。

 礼拝の時間まで、あと残り12分ある。

 司祭様の支度も計算に入れて、3分あれば十分な整備ができる。


『そんな短時間で良いのですか?』

「はい、十分です」

『それはありがたい。では、鍵を開けますのでどうぞ中へ』


 そこでガチャリと音がするとともに勝手口の扉が開いた。


「ありがとうございます。では、お邪魔いたします」


 お辞儀してから中に入ると、中は薄暗く冷たい空気が肌を掠めた。

 焼香の匂いが幽かに漂う教会独特の空気だ。

 正面には魔王との戦いを描いた宗教画の額縁が飾られている。

 その中心、竜騎兵たちの先頭で錫杖を掲げる人物がいる。


 聖女トロカ——太古の時代、人の身でありながら竜族を率いて魔王を封印した聖人にして英雄。

 一説によれば、竜族の王を素手でねじ伏せて従わせたとかなんとか……


(絶対ウソだろ、それ)


 でも『竜王の角』という聖遺物がトロカ様の神殿に祀られているし、そこの神官長は竜族で千七百年以上もの間そうだよ。


(いや、でも素手ってお前……大体、聖女ってイメージからかけ離れ過ぎじゃね?)


 そんなこと言われてもなぁ……

 そういう伝承なんだから仕方ないじゃん。


『入ったら左へお進みください』


 司祭様の声が天井の方から聞こえてきて、


「バタン!」という音と共に扉が勢いよく閉まった。


 幸い窓から外の光が射してくれるお陰で、暗闇の中を行くことにはならずに済んでいる。が、多少明るいとはいえ闇を背にして歩くのは、いささか心許ない。


「ピノ、後ろお願い」


(あいよ)


 あたしは、腰に巻き付けた布人形ピノッキーオを後ろに回した。


「どう?」


(見たところ居ないみたいだぞ)


「ありがとう。悪いけど、しばらくそのままでお願いね」


(わかった)


 背後をピノに任せ、あたしは薄闇の回廊をまっすぐ進む。

 すると、二階へと続く階段が見えてきた。


 刹那、背後から突風が吹いた。

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