来訪(二)

 斉藤さいとうは一回り以上年下の耕平こうへいにも丁寧だった。

 突然の訪問を詫びつつ、そのの経緯を簡単に述べる。


「ご存知かどうかはわかりませんが、実は、藤堂とうどうさんは違法薬物を使用していまして。私どもとしては、どうにかやめてもらうように支援をしていたところだったのです。少なくとも私はいい関係が築けていると思っていました。そんな中で、つい先日、藤堂さんが緊急搬送されたと連絡を受けまして。私も急いで病院に駆けつけたんですが……」


 そこで斉藤は言いにくそうに言葉を切った。

 耕平は斉藤が再び口を開くのを黙って待った。できれば続きを聞きたくはなかったが、聞かなければならないとも思った。


「その……先ほど入院されていると言いましたが、藤堂さんはあまり状態が良くなくて……。今、昏睡状態にあります」


 斉藤の眉がへの字に曲がる。声が震えている。言いにくそうな様子や悲しそうな表情は、演技をしているわけではないと直感的に分かった。そんな斉藤の表情を見ていると、胸が詰まる。

 

 優しい人なのだなと耕平は思った。茜の周りにこんなに優しい人がいるのだと思うと、不似合いな感情なのは分かっているが嬉しかった。耕平が知る限り、茜の周りの人間は兄のしんを除けば、碌でもない人間ばかりだったように思う。


「昏睡状態っていうのは……?」


 震える喉で尋ねると、斉藤が覚悟を決めるように息を呑むのが分かった。


「──はい。違法薬物の過剰摂取です。今、藤堂さんはコミュニケーションを取れる状態にありません」


「それは……意識不明ということですよね。良くなるんですか?」


「分かりません。ですが、いずれにしても治療が必要です。目を覚ましたとしても、薬物依存から脱却するため、藤堂さんには相当大変なプログラムをこなしてもらわないといけないでしょう」


 ふぅ、と一息吐くと斉藤はそれまでの強張った表情を緩めてにっこりと微笑んだ。


甘楽かんらさんは藤堂さんの大切な人だったんですよね?」


 斉藤が『大切な人』という言葉になにか意味を込めたように思えた。


「藤堂さんから、よく甘楽さんのお話しを聞いてたんですよ。耕平は、頼りないくせにたまにビックリするくらい頼もしく思えるんだって、藤堂さん言ってました。まだお二人が小学生の頃、藤堂さんがお父さんに傷つけられているところを甘楽さんに助けられたんだとも言ってました」


「茜ちゃんが?」


「はい。藤堂さん、他の職員のことは露骨に煙たがって相手にもしなかったんですが、どういうわけか私には心を開いてくれていて色んなお話をしてくれました。意外ですか?」


 意外だった。

 茜が斎藤に心を開いたことがではなく、茜がだれかに耕平の話をしていることが、だ。

 茜はいつだって気まぐれに連絡をよこして、そして、嵐のように去っていく。そんな茜は、耕平の知らないところでは全く別の顔を持っていて、耕平のことなど思い出すこともなく過ごしているのだと思っていた。

 いざ斎藤の口からそうだったと言われても、茜が自分のいないところで耕平の話をしているところなど想像できない。かと言って、話の具体性から斉藤が嘘をついているとも思えない。嘘をつく意味もないように思う。


「お二人は、お付き合いをされていたわけではなかったんですよね?」


 訊かれた耕平は、複雑な心境で首を縦に振る。それを見た斉藤は意味深に頷いた。


「藤堂さんは、耕平が初恋の人じゃなかったらよかったのに、とよく言っていました。病院に搬送される数日前にお会いしたときには、耕平にさようならって言っちゃったとも言っていました。もう二度と会えないって。たぶん、それを酷く後悔されていて、それでご自分を追い込んでしまって──」


 言葉が出なかった。なにを言えばいいのか分からない。それっぽい言葉が出かかっては、喉の奥に張り付いて、そして飲み込んでしまう。


「藤堂さん、ご家族との関係があまり良くなかったんですよね? お父さんが暴力を振るうような人で、それはお父さんとお母さんがお互いに初恋同士なのが原因だ、と。そして間も無くご両親は離婚されたと聞きました。かなり過酷な幼少期を過ごしたようですね。そのお父さんも早々に亡くなってしまい。お母さんはそれほどおかしな人ではなかったようですが、あまり折り合いがよくなくて、藤堂さんは、早くに家を出てしまったようですね。それに最近はお兄さんを亡くしていました」


 耕平は斉藤がそんなことまで知っていることに驚いた。心を開いていたというのは本当のことらしい。


「私はお会いしたことがなくて。お部屋で写真を見かけただけなんですが、お兄さんは藤堂さんにとって心の支えだったようですね」


 そのとおりだと思う。本人もそう言っていたし、それにしんが死んでしまったと告げたときの茜は、明らかに様子がおかしかった。それはきっと幼い頃から頼って、心の支えにしてきた存在を失ってしまったからなのだろう。


「今、藤堂さんの心の支えは甘楽さん、あなただけです」


 予期しない言葉に思わず目を見開く。

 斉藤は真剣な表情で真っ直ぐに耕平を見つめていた。

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