来訪(一)
それからの
バイトも学校も無断で休んだ。
もうバイトも学校も、なにもかもがどうでもよかった。
バイト先からは何度も着信があった。しかし、今はもう鳴らない。誰かと話をする気になれなくて、早々に電源を落としてしまった。
ボーッとなにもない無機質な壁を見ているうちに時間だけが過ぎていく。耕平の目が見ているのはなにもない壁だったが、頭の中では茜の部屋でのことが映画のように何度も何度も映像を伴って思い返されていた。
なにを間違えたのだろう。
なにがいけなかったのだろう。
こんなはずじゃなかったのに。
多くを望んではいなかったのに。
茜ちゃんもぼくが初恋の相手だと言ってくれたじゃないか。
なのにどうして──。
そんなことばかりを考えていた。
そんなことばかりを考えて、もう何週間も過ごしていた。
抜け殻のようになっても、空腹を避けることはできなかった。
耕平は外が暗くなると近くのコンビニまで食べ物を買いに出た。その日の夜の分と翌日の朝と昼の分。まるでプログラムされた機械のように毎日決まった行動を取った。
食べるときと排泄のときだけが人間らしい行動だった。
コンビニまでの短い距離。その間で茜に似た人を見かけるたびに胸がざわついた。そのたびにもう外に出たくないと思うのに、空腹には勝てなかった。外になんか出たくないのに、腹を満たすために食べ物を買いに出る。
食べないと死んでしまうから。それは緩やかな自殺と変わらないから。
最初のうちは死んでも構わないと思っていた。けれど、例え消極的なものだとしても、自殺だけはするわけにはいかないと思い直した。このまま死んでしまったら、それは茜のせいになってしまう。茜を理由に自殺したことになってしまう。
茜の兄──、
積極的に生きようとしていない反面、死のうともしていない。結果として辛うじて生きている。
ボーッと壁を眺めていたら、インターホンが鳴った。
これまでも何度かあった。耕平はその全てを無視してきた。だいたいは二回ほど鳴らしたところで諦めて帰っていく。
今回もそうだろうと思って無視していると、三回目、四回目とインターホンは鳴り続けた。
少し間を空けて五回目が鳴ったところで、ようやく耕平は不審に思った。
インターホンの鳴り方にいつものようなおざなりなものを感じない。なんとしても耕平とコンタクトを取りたいという意思を感じた。
そして、耕平がこの部屋の中にいるというある程度の確信を持って鳴らしているようにも思える。
なにも感じないと思っていた胸がドキドキと脈を打つ。真っ先に思い浮かんだのは、バイト先の人の顔だ。電話が繋がらないから直接家まで押しかけてきたのかもしれない。
もう一度鳴ったら、モニターを見てみようと思った矢先にまた鳴った。
ゆっくりと立ち上がる。膝や腰の関節が鈍く痛んだ。
恐る恐るモニターに目をやると、そこには女が映っている。四十代くらいだろうか。黒縁のメガネをかけた真面目そうな女だった。
耕平は女の姿を見て、いくらか安心する。バイト先の誰かが乗り込んできたわけではないらしい。それに、モニター越しに映る女からは警戒しなければならないようなものは感じられなかった。
「……はい」
女がもう一度インターホンを鳴らそうとしたのをモニター越しに見て、耕平は通話ボタンを押して外と部屋を繋いだ。
「──あっ。
女は一瞬驚いたような声を上げてから、耕平のフルネームを告げた。
「──私、ソーシャルワーカーをしています、
耕平の心臓が一度大きく跳ね上がる。
女は耕平だけでなく、茜のフルネームも知っていた。
女はソーシャルワーカーだと言った。耕平はソーシャルワーカーがどういうものなのか知らなかった。なんとなく名乗り方から職業なのだろうと思った。
そのソーシャルワーカーがなぜ耕平の元を訪ねてくるのだろう。しかも用件は茜のことだという。
「あの……茜ちゃんが、なにか?」
耕平が応えると斉藤は安心したように表情を緩めた。そして柔和な笑みを湛えながら言った。
「実は、今、藤堂さんは病院に入院されていまして。身近な、どなたかにご連絡したいと思っていたのですが、私どもの方で把握している藤堂さんの身近な方が甘楽さんだったものですから。突然伺うのはご迷惑かとも思ったのですが、こちらで把握してますお電話番号におかけしても繋がらなかったもので。こうして直接参りました」
ちょっと待ってくれ、ちょっと待ってくれ、ちょっと待ってくれ。耕平は斉藤が話す間中、頭の中で繰り返していた。理解が追いつかない。
なぜ斉藤が耕平の電話番号や住所を知っているのだろう。それも茜の身近な人間として。そもそもこの斉藤という女は、茜とどういう関係なのだろう。年齢から察するに職場の知り合いとかそういう類だろうか。
いや、そんなことより、斉藤は茜が入院していると言った。
その理由を耕平は薄々は分かっていたが、信じたくなかった。
「とりあえず、開けますのでちょっと待ってください」
混乱する頭でそれだけ言うと耕平は急いで玄関へと向かった。
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