発覚(四)
すぐには言葉が出てこなかった。なにを言われたのか、理解が全く追いつかない。完全に予期しなかった
音だけは認識することができた。しかし、それを頭の中で意味を持った言葉に変換できなかった。
「えっ?」
だから、酷くとぼけた返事になってしまう。
「アタシも耕平が初恋の相手なんだよ。アタシたち……初恋同士なの」
見ると茜は泣いていた。音もなく、茜の頬を涙が伝う。右側の頬だけその流れが止まる。
笑窪を見て、茜が微笑んでいることに気がついた。気がつくとようやく耕平は茜が言ったことの意味が理解できるようになっていた。
「茜ちゃん……も……?」
しかし、どう反応すればいいか分からない。今度は自分の中にある感情を言葉にすることができなかった。
もちろん、嬉しいという感情はあった。
初恋の相手で、今も好きだと思える相手。その相手が、自分のことを初恋の相手だと言ってくれた。
初恋の相手が耕平だからといって、茜が今も耕平に恋心を抱いているとは限らない。しかし、それでも嬉しくないわけがなかった。
それと同時に信じられないという気持ちもあった。茜からそんなそぶりを感じたことはなかったからだ。
それに怖くもあった。絶対に手が届くことはないと思っていた、半ば諦めていた相手にいざ、届く。その可能性があるのだと思うと、
その恐ろしさの正体を耕平は知らなかった。
「そうだよ。だから、アタシたちは近づきすぎちゃいけないんだよ。分かってるのに……。分かってたのに……。初恋は叶えちゃいけないのに。初恋同士は最悪なのに。アタシたちの初恋を叶えたら、きっと耕平は普通じゃなくなっちゃう。パパみたいに」
茜は自分に言い聞かせるように言った。唇の端がひくひく震えている。泣きながら笑う茜の奇妙な表情を、耕平は愛おしいと思った。
「ダメになんかならないよ。茜ちゃんが信じてるそれは迷信だよ。ぼくは──、ぼくたちは大丈夫。ぼくが茜ちゃんをちゃんと守るから」
ようやく言語化できるようになった感情を、耕平はできるだけゆっくりと茜に伝えた。
耕平の言葉を聞きながら、茜はぶるぶると駄々っ子のように首を横に振る。
「迷信なんかじゃないよ。耕平は知らないから。分からないんだよ」
「そんなことない。ぼくが証明してみせるよ」
頑なに拒む茜を耕平は必死で説得しようと試みる。けれど、茜のほうも必死だった。
「ダメだよ。お兄が死んじゃって、耕平まで……。そんなことになったら、アタシはもう……普通じゃなくなっちゃう。ただでさえ、もう普通じゃないのに。耕平に嫌われたくないよ。耕平を嫌いになりたくもない」
「茜ちゃん! 大丈夫だから。ぼくは茜ちゃんを嫌いになったりなんかしないよ。茜ちゃんに嫌われたって、ぼくはずっと茜ちゃんのことを好きでい続ける。守り続けるよ」
「──ありがとう」
耕平が笑いかけると少し遅れて茜もにっこりと笑った。泣き笑いのような顔ではなく、今度はしっかりと笑っていた。
しばらく見つめあっていると、また茜の頬をツーッと涙が伝った。
それ以上涙が流れないように茜は天井を仰いだ。静かに鼻を啜る音がした。そして、ふーっと長い息を吐くともう一度耕平の方に顔を向ける。
茜の顔からスーッと表情が消えていく。
耕平は茜がなにかを決意したような気配を感じていた。耕平の体から血の気が引いていく。
「ごめんね。でも、やっぱり、初恋は叶えたらダメなんだよ」
茜は耕平の言葉を聞き入れなかった。『ごめんね』と言いながら、異論を挟む余地のない言い方だった。
「もう……帰って……。それで、もう会うのはやめにしよう。ここにも、もう来ないで。もう連絡もしないで。これで本当の本当にさようなら」
言いながら茜は玄関の方へスタスタと歩いていく。そして、迷うことなくドアを開けた。振り返って真っ直ぐに耕平を見る。出て行けと、その態度が言っている。
唇を引き結んで、迷いのない目をしていた。
耕平はもうなにを言っても無駄なのだと悟った。視界がぼやける。涙がフローリングを叩く音で自分が泣いているのだと分かった。
泣いていることを自覚するともう止めることができなかった。涙の雫がポタポタとフローリングの色を濃く変えていく。
喉がひくついて、嗚咽が漏れる。
かっこ悪いとか茜に見られたくないとか、そんなことは思わなかった。ただ、これが最後だと分かっていたから、最後の瞬間に泣いている自分が許せなかった。
許せないのに、泣き止むことができない。自分の意思ではどうすることもできない。
そんな耕平を茜は相変わらず真っ直ぐに見ていた。唇の端に力を入れて、目に力を込めて見ていた。
急かすようなことはしなかった。けれど、玄関ドアは開け放たれたままだった。
耕平はボヤけた視界のまま、鉛のように重くなった足を引き摺るようにして玄関へと向かう。
茜の前を通り過ぎるとき、微かに声を聞いた。
「耕平。ありがとう。大好きだよ」
幻聴のようなそれは、耕平の脳裏に焼き付いて離れなかった。
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