発覚(三)
しばらく慈しむように握りしめた後で、顔の前まで持ってきて、ツーッとチャックを開ける。
もう、ふーふー、という荒い息を吐いてはいなかった。
目を血走らせてもいなかった。
それを手にしただけで落ち着かを取り戻してしまった茜がどうしようもなく悲しかった。
慣れた手つきでチャックを開ける茜のことを見ていることができなかった。
耕平は目をギュッと瞑って、それだけじゃ足りずにさらに顔を背ける。茜がしている作業の音を聞きたくなくて両手で耳を塞ぐ。それでも、なにかをする茜の気配だけはどうすることもできなかった。
しばらくすると茜の気配が止まった。それでも怖くて、耕平はしばらくの間耳を塞いだまま亀のように身を固くしていた。
いつまでもそうしているわけにはいかない。
観念してゆっくり両手を下ろすと、しばらくぶりに空気に触れた耳が冷たい。
目を開けると茜はわずかに顎を上げて、天井に顔を向けていた。目を細め、ここではないどこかを見ている。
茜が壊れてしまう。いや、もう壊れてしまっているのかもしれない。
それは小さな袋に入った粉のせいではない。壊れてしまったからあんなものに手を出してしまったのだ、と耕平は思った。
小学生のときから、きっと茜は壊れかけていたのだろう。どうして気がつかなかったのか。
その芯は、もういない。
「茜ちゃんっ!」
耕平が声をかけると、茜は目を細めたまま首を傾けて耕平の方に顔を向けた。
からっぽな目だった。
嬉しそうであり、悲しそうでもある。かと思えば怒りも窺えるし、なにかを愛おしむようでもある。
茜が耕平に向けている目は、耕平が気持ち悪いと思っていた、あのからっぽな目だった。けれど、もう不思議なくらい気持ち悪いとは思わなかった。
「これからは……茜ちゃんのことは、ぼくが守るよ」
からっぽの目に向けて、思わずそう告げていた。
『守る』とは言ったものの、なにから守ればいいのか分からなかったし、どうやって守ればいいのかも分からない。
けれど、茜は助けを必要としている。そのことだけは、はっきりと分かった。
耕平の言葉がじわじわと染み込むように、からっぽだった茜の目に色が戻っていく。
「ダメだよ……」
耳を澄ましていないと聞こえないくらい小さく、消え入りそうな声だった。
「どうして? 今の、そんな状態の茜ちゃんを放っておくほうがもっとダメだよ。今まではお兄ちゃんが茜ちゃんを守ってたんだよね?」
「ダメだよ。アタシになんか関わらないで。耕平までお
「ぼくは死なないよ。それにお兄ちゃんが死んじゃったのだって、茜ちゃんのせいじゃないと思う」
「──なんで、そう思うの?」
「だって──、茜ちゃんのお兄ちゃんは茜ちゃんのことを大切に思ってたはずだよ。大切な人を守ることが苦痛だなんて、そんな風に思うはずないよ。それを理由に死んでしまうなんて、絶対にないよ」
口にしながら、耕平は茜の父親と鉢合わせたときのことを思い出していた。
傷や痣に
だから、断言できる。苦痛であったはずがない。
そうだ。同じなのだ。耕平の気持ちと、芯の気持ちは同じなのだ。
「なんで耕平にそんなことが分かるの? 耕平がお兄のなにを知ってるっていうの? 小学生の時にほんの数十分顔を合わせただけの耕平に、お兄のなにが分かるの?」
問い詰めるような茜の言葉にも、耕平は少しも動揺しなかった。
「分かるよ。ぼくだって同じだから。お兄ちゃんには敵わないかもしれないけど、ぼくだって茜ちゃんのことを大切に思ってるから。だから──」
「ダメなんだってばッ!!」
茜の金切り声が耕平の口を止めた。一瞬、息を呑んだが、負けじと続けようとした耕平を遮るように、茜はすぐに口を開いた。
「ダメなんだよ。初恋の人とは結ばれちゃいけないんだよ」
なぜ、ここで初恋が出てくるのか、理解できなかった。
たしかに茜は耕平にとって初恋の相手であるし、そのことを茜も知っている。けれど、耕平は恋心とは無関係に茜を守りたいと思っていた。芯のように、茜の力になりたいと思っていた。
「初恋は関係ないよ。ぼくは、ただ茜ちゃんを守りたいだけなんだ。大切に思ってるだけなんだよ。お兄ちゃんと同じように。姉弟ってわけにはいかないかもしれないけど、この気持ちは前に伝えた気持ちとは別の気持ちからだよ」
「──違う」
「違わないよ。本当の本当に。だから茜ちゃんと付き合いたいとかそういうことじゃないんだよ」
「違うんだって……」
「本当に本当だから。だから、ぼくに茜ちゃんのこと──」
「だから、違うんだってッ!! アタシもなの!!」
茜は比較的穏やかだった声を再び荒げた。一瞬、直前の錯乱状態だった茜の姿が蘇る。けれど耕平は怯むことはなかった。
「アタシも、ってどういうこと?」
努めて冷静に尋ねる。茜は下唇を噛んで黙ってしまった。なにかを逡巡しているのか、黒目がゆっくりと左右に動く。
耕平は茜から応えがあるまで待とうと思った。
じっと茜のことを見ていると、黒目の動きが止まった。僅かに歪んでいた唇から力が抜けていく。そして──、
「──アタシも、耕平が初恋の相手なの」
茜の口から耕平の思いもしない言葉が溢れた。
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